人の子のような者 2024年4月03日(水曜 聖書と祈りの会)

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人の子のような者

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ダニエル書 7章1節~28節

聖句のアイコン聖書の言葉

7:1 バビロンの王ベルシャツァルの治世第一年に、ダニエルは夢を見た。それは寝床で頭に浮かんだ幻であった。彼はその夢を書き記し、概要を次のように語った。
7:2 ダニエルは言った。私は夜、幻を見ていた。すると、天の四方から風が起こり、大海をかき立てた。
7:3 海から四頭の大きな獣が上がって来た。それぞれ異なる姿をしていた。
7:4 第一の獣は獅子のようで、鷲の翼があった。見ていると、その翼はもぎ取られ、地から起こされ、人間のように両足で立たされて、人間の心が与えられた。
7:5 すると、別の獣が現れた。第二のものは熊に似ていて、片側に立たされ、三本の肋骨をその口の歯の間にくわえていた。するとこう語る声がした。「起き上がって、多くの肉を食らえ。」
7:6 この後、私が見ていると、豹のような別の獣が現れた。その背中には四つの鳥の翼があった。また四つの頭があって、この獣には支配権が与えられた。
7:7 この後、私は夜の幻を見ていた。すると、第四の獣が現れた。それは恐ろしく、不気味で、異常に強く、大きな鉄の歯があり、食らい、かみ砕き、残りを両足で踏みにじった。これには、前に現れたどの獣とも異なり、十本の角があった。
7:8 その角を私はよく見ていた。すると、それらの間から、別の小さな角が立ち現れ、先の角のうちの三本が、そのせいで抜け落ちた。この角には人間の目のような目があり、口は尊大なことを語った。
7:9 私が見ていると、/やがて、王座が据えられ/日の老いたる者が座した。/その衣は雪のように白く/頭髪は羊毛のように清らかである。/その王座は燃える炎/車輪は燃える火。
7:10 彼の前から火の川が流れ出た。/幾千人が彼に仕え/幾万人が彼の前に立った。/裁く方が座し/書物が開かれた。
7:11 私が見ていると、あの角が語る尊大な言葉が聞こえたが、私が見ている間に、その獣は殺され、死体は破壊されて、燃え盛る火に投げ込まれた。
7:12 残りの獣は支配権を奪われた。しかし、時期と時が来るまで、命は延ばされた。
7:13 私は夜の幻を見ていた。/見よ、人の子のような者が/天の雲に乗って来て/日の老いたる者のところに着き/その前に導かれた。
7:14 この方に支配権、栄誉、王権が与えられ/諸民族、諸国民、諸言語の者たちすべては/この方に仕える。/その支配は永遠の支配で、過ぎ去ることがなく/その統治は滅びることがない。
7:15 私ダニエルの、内にある霊は憂え、頭に浮かぶ幻が私をかき乱した。
7:16 私はそこに立つ者の一人に近づき、これらすべてのことの意味を尋ねると、彼は私に答え、その言葉の解釈を示してくれた。
7:17 「これら四頭の大きな獣は、地に興る四人の王である。
7:18 しかし、いと高き方の聖者たちが王国を受け継ぎ、永遠に、代々限りなくその王国を保持する。」
7:19 それから私は、第四の獣について確かめたいと思った。それはほかのすべての獣とは異なって非常に恐ろしく、鉄の歯と青銅の爪を持ち、食らい、かみ砕き、その残りを両足で踏みにじった。
7:20 その頭には十本の角があったが、さらに一本の角が現れ、そのために三本が倒れた。この角には目があり、尊大なことを語る口があって、その姿はほかの角よりも大きかった。
7:21 見ていると、この角は聖者たちと戦い、彼らに勝った。
7:22 やがて、日の老いたる者が現れ、いと高き方の聖者たちのために裁きが行われ、聖者たちが王国を受け継ぐ時が来た。
7:23 彼はこう言った。/「第四の獣/それは地上に興る第四の王国であり/どの王国とも異なり/全地を食らい、それを踏み潰し、かみ砕く。
7:24 十本の角/それはこの王国から立つ十人の王であり/その後にもう一人の王が立つ。/彼は先の者たちと異なり、三人の王を倒す。
7:25 彼はいと高き方に逆らう言葉を語り/いと高き方の聖者たちを疲弊させる。/彼は時と法を変えようとたくらみ/聖者たちは、一年、二年と、半年の間/彼の手に渡される。
7:26 しかし、裁きが行われ/彼の支配権は奪われ/破壊され、滅ぼされて終わる。
7:27 王国と支配権、天の下の国々の権威は/いと高き方の聖なる民に与えられる。/その王国は永遠の王国であり/すべての支配者は彼らに仕え、服従する。」
7:28 ここで、その言葉は終わった。私ダニエルの思いはひどくかき乱され、顔色も変わるほどだった。しかし、私はこの言葉を心に留めた。
ダニエル書 7章1節~28節

原稿のアイコンメッセージ

 先月、3月の「聖書と祈りの会」では、受難節(レント)にちなんで、『イザヤ書』にある「主の僕の歌」を学びました。「主の僕の歌」は、イエス様がご自分の使命を考えるうえで、大きな影響を与えたと思われます。イエス様は、弟子たちにご自分が苦難の死を遂げて復活すること。ご自分の死が多くの人を罪から贖う死であると言われました(マルコ8:31、10:45参照)。それは、ご自分が『イザヤ書』に預言されている主の僕であると認識しておられたからです。また、イエス様は、弟子たちに、ご自分のことを、栄光を受ける人の子であるとお語りになりました(マルコ8:38、13:26、14:62参照)。たとえば、『マルコによる福音書』の第8章38節にはこう記されています。新約の76ページです。

イエス様は、ご自分の死と復活を予告された後で、こう言われました。「神に背いた罪深いこの時代に、私と私の言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じるであろう」。このイエス様の御言葉は、『ダニエル書』の第7章の預言を背景にしています。イエス様は、ご自分のことを主の僕であり、また、栄光を受ける人の子であると認識しておられたのです。

今朝の御言葉に戻ります。旧約の1372ページです。

 『ダニエル書』は、バビロン捕囚の時代、紀元前6世紀を背景にして記されていますが、最終的に編集されたのは、シリア帝国によって支配されていた紀元前2世紀であると考えられています。旧約と新約の間の中間時代に記された『旧約聖書続編』の一つに『マカバイ記一』という書物があります。『マカバイ記一』を読むと、シリアの王アンティオコス四世エピファネスによって、イスラエルが迫害を受けていたことが記されています。お配りした『マカバイ記一』の第1章41節から50節にはこう記されています。

 王は領内の全域に、すべての人々が一つの民族となるために、おのおの自分の慣習を捨てるよう、勅令を発した。そこで異邦人たちは皆、王の命令に従った。また、イスラエルの多くの者たちが、進んで王の宗教を受け入れ、偶像にいけにえを献げ、安息日を汚した。更に、王は使者を立て、エルサレムならびに他のユダの町々に勅書を送った。その内容は、他国人の慣習に従い、聖所での焼き尽くす献げ物、いけにえ、ぶどう酒の献げ物を中止し、安息日を犯し、聖所と聖なる人々を汚し、異教の祭壇、神域、像を造り、豚や不浄な動物をいけにえとして献げ、息子たちは無割礼のままにしておき、あらゆる不浄で身を汚し、自らを忌むべきものとすること、要するに律法を忘れ、掟をすべて変えてしまうということであった。そして王のこの命令に従わない者は死刑に処せられることになった。

 このような迫害を背景にして、『ダニエル書』の幻は記されているのです。

 ダニエルは、四頭の大きな獣が海から上がって来たのを幻で見ました。獅子のような獣、熊のような獣、豹のような獣、恐ろしい獣、この四頭の大きな獣が何を意味しているのかは、17節に記されています。「これらの四頭の大きな獣は、地に興る四人の王である」。「四人の王」は「四つの王国」を意味します。結論だけを申しますと、第一の獅子のような獣はバビロン帝国を指しています。第二の熊のような獣はメディア帝国を指しています。第三の豹のような獣はペルシャ帝国を指しています。第四の恐ろしい獣はシリア帝国を指しています。8節に、口で尊大なことを語る角のことが記されています。この角は、イスラエルを迫害していたシリアの王アンティオコスを指しています。25節にこう記されています。「彼はいと高き方に逆らう言葉を語り/いと高き方の聖者たちを疲弊させる。彼は時と法を変えようとたくらみ/聖者たちは、一年、二年と半年の間/彼の手に渡される」。「彼は時と法を変えようとたくらみ」とありますが、エピファネスは安息日や祝祭日を冒涜し、律法を変えるように命じて、従わない者を処刑したのです(一マカバイ1:41〜50参照)。

 今朝の御言葉には、1節から8節に「四頭の獣の幻」、15節から27節に「幻の解き明かし」が記されています。その二つに挟まれるようにして、9節から14節に「日の老いたる者による裁き」が記されています。9節と10節をお読みします。

 私が見ていると、やがて、王座が据えられ/日の老いたる者が座した。その衣は雪のように白く/頭髪は羊毛のように清らかである。その王座は燃える炎/車輪は燃える火。彼の前から火の川が流れ出た。幾千人が彼に仕え/幾万人が彼の前に立った。裁く方が座し/書物が開かれた。

 「日の老いたる者」とは神様を指しています。ここには、神様による裁きの幻が記されているのです。この裁きによって、恐ろしい獣は殺され、その死体は破壊されて、燃え盛る火に投げ込まれます。また、残りの獣も支配権を奪われ、細々と生きる者となります。このような神様の裁きの幻を記すことによって、『ダニエル書』は、シリアの王アンティオコスによって迫害を受けているイスラエルの人々を励ますのです。さらに、『ダニエル書』は、迫害に苦しんでいるイスラエルの人々が、神様から王権を与えられて、諸民族を支配する者となるという幻を記します。13節と14節をお読みします。

 私は夜の幻を見ていた。見よ、人の子のような者が/天の雲に乗って来て/日の老いたる者のところに着き/その前に導かれた。この方に支配権、栄誉、王権が与えられ/諸民族、諸国民、諸言語の者たちすべては/この方に仕える。その支配は永遠の支配で、過ぎ去ることがなく/その統治は滅びることがない。

 イエス様は、「人の子のような者」をご自分であると言われました。最高法院で大祭司から「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と問われたとき、イエス様はこう言われました。「私がそれである。あなたがたは、人の子が力ある方の右に座り/天の雲に乗って来るのを見る」(マルコ14:62)。このように、イエス様は、ご自分こそ、『ダニエル書』に預言されている人の子であると言われたのです。けれども、もともと『ダニエル書』において、「人の子のような者」とは誰を指していたのでしょうか。結論から申しますと、「いと高き方の聖者たち」です。アンティオコスによる迫害に屈することなく、律法に忠実であった者たちのことです。18節にこう記されています。「しかし、いと高き方の聖者たちが王国を受け継ぎ、永遠に、代々限りなくその王国を保持する」。また、21節と22節にはこう記されています。「見ていると、この角は聖者たちと戦い、彼らに勝った。やがて、日の老いたる者が現れ、いと高き方の聖者たちのために裁きが行われ、聖者たちが王国を受け継ぐ時が来た」。さらに、27節にはこう記されています。「王国と支配権、天の下の国々の権威は/いと高き方の聖なる民に与えられる。その王国は永遠の王国であり/すべての支配者は彼らに仕え、服従する」。このように、「人の子のような者」は「いと高き方の聖なる民」であるのです。また、「人の子のような者」は「この方」とも言われる個人でもあります(7:14参照)。「人の子のような者」は、集団でもあり、個人でもある、いわゆる集合人格(corporate personality)であるのです(『イザヤ書』の「主の僕」と同じ。主の僕はイスラエルという集団でもおり、イスラエルのメシアという個人でもある)。「人の子のような者」は聖なる民であり、その王、メシアでもあるのです。それゆえ、イエス様は、ご自分こそ、「人の子のような者」であると言われたのです。復活されたイエス様は、弟子たちに「私は天と地の一切の権能を授かっている」と言われました(マタイ28:18)。そのことは、人の子のような者であるイエス様が、日の老いたる者である神様から支配権、栄誉、王権を与えられたことを教えているのです。神様は、イエス様を栄光の体に復活させて、天のご自分の右の座に着かせることによって、イエス様に、支配権、栄誉、王権を与えられたのです。イエス様は、諸民族、諸国民、諸言語の者たちすべてを永遠に支配される王であるのです。そのような御方として、イエス様は、世の終わりに雲に乗って来られるのです。イエス様は、世の終わりの日について、次のように言われました。『マルコによる福音書』の第13章24節から27節までをお読みします。新約の88ページです。

 「それらの日には、このような苦難の後/太陽は暗くなり/月は光を放たず/星は天から落ち/天の諸力は揺り動かされる。その時、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。その時、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、選ばれた者たちを四方から呼び集める。」

 栄光の人の子であるイエス様に呼び集められる者たちこそ、「いと高き方の聖なる民」であるのです。『ダニエル書』の「人の子のような者」は、イエス・キリストであり、その民である私たちのことでもあるのです。私たちは、イエス・キリストと共に、新しい天と新しい地を王として治めることになるのです(ローマ8章参照)。

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