受けるよりは与える方が幸いである 2023年12月31日(日曜 朝の礼拝)

問い合わせ

日本キリスト改革派 羽生栄光教会のホームページへ戻る

受けるよりは与える方が幸いである

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
使徒言行録 20章32節~35節

聖句のアイコン聖書の言葉

20:32 そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。
20:33 わたしは、他人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。
20:34 ご存じのとおり、わたしはこの手で、わたし自身の生活のためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。
20:35 あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」使徒言行録 20章32節~35節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、私たち羽生栄光教会の伝道開始44周年に感謝して礼拝をささげています。1979年12月30日に羽生栄光伝道所の設立式が行われました。そして、1980年1月1日の元旦礼拝をもって羽生栄光教会は伝道を開始したのです。そのときの教会員は9名でした(現住陪餐会員5名、現住未陪餐会員4名)。今年の9月に創立メンバーの一人であるYYさんが天に召されましたが、YYさんが2007年の8月号の『まじわり』に記した文書を読んで、羽生栄光教会の歴史を振り返りたいと思います。

「伝道の実践8 信徒によって開始された羽生開拓伝道 YY

 羽生栄光教会の歴史を振り返ることで、主の恵みと祝福を回顧し、東部中会の伝道の活性化を図る一助となれば幸いです。

1、前史

   75・76年の夏、羽生のST兄(当時大宮教会会員)宅で、矢内昭二先生(当時東京教会牧師)を迎えて神学講義がありました。当時、福音伝道教団・羽生教会会員だった私は、この講義を聞いて深い感銘を受け、改革派信仰に目覚めました。この神学講義が後に羽生に改革派教会を生み出す種子となりました。

 75年に神学研修所が開設すると、まずS兄が、少し間をおいて私も水曜日の授業に参加しました。神学研修所での学びを通して、二人は改革派信仰の素晴らしさを確信するに至り、いつか羽生に改革派教会を建設したいと強く願うようになりました。岩永隆至先生(当時上福岡教会牧師)の授業と信仰者としての姿勢に引かれ、私は76年、家族と共に上福岡教会に移籍しました。

 私たちは機会あるごとに教会建設のことを話し合いました。しかし、二家族で牧師を招聘して教会を建てたいという願いは、いつも宣教教師の話で挫折してしまいました。

 この困難な役割を引き受けられたのが、77年から研修所で学んでいた嘉成公悦先生(当時教師候補者)でした。嘉成先生の決断なくして羽生栄光教会の存在はありません。後に先生は次のように回想しておられます。「ある日、私とYさん、Sさん、岩永牧師、A長老の4人が上福岡教会に集まり、夢・幻ではなく、現実の事柄として、羽生の地に改革派教会を建てることを確認し、協力し合うことを誓い、祈った。」(十年史より)

2、嘉成公悦先生の時代(79年12月〜85年3月)

   78年、嘉成先生が羽生に赴任してくださるとの約束を受けて、私たちは「80年に羽生に伝道所を開設すること」を決意し、嘉成先生を迎えて、S宅で毎月一度の家庭集会を開きました。この集会には上福岡教会から大勢の兄・姉が応援に来てくださり、大変励まされました。

 79年12月30日の伝道所設立式を経て教会活動が始まると、上福岡教会・大宮教会は毎月一定額の献金をささげてくださり、月々の家賃と水道光熱費を賄うことができました。この支援は長期に及び、教会活動を支え続けてくださいました。しかし、二家族(後に三家族)で牧師家庭を支えることは大変困難で、嘉成先生ご家族には言葉で言い表せないほどのご苦労をおかけしました。初期伝道活動は嘉成先生ご家族の尊い犠牲の上に築かれました。

 教会が借用した民家は大変古く、伝道を開始してほどなく教会堂建設の話が出るようになりました。しかし、伝道所開設のときに宣教教師のところで挫折したように、何度話しあっても、資金調達のところでいつも話は挫折しました。

 この難問は矢内先生の提案によって一気に解決しました。それは、羽生栄光教会がCRCから1000万円を借用し、5年後に東京教会がCRCに返済するというものでした。従って羽生栄光教会は借用5年後から東京教会に返済を開始すればよいことになります。高額な銀行利息がついた当時、東京教会は無利子で1000万円を貸与してくださいました。資金の問題が解決して程なく、83年1月に新会堂が完成し、伝道の大きな武器になりました。100坪の土地は、S兄が20年の長期契約で貸してくださいました。

3、今井献先生の時代(85年7月〜97年7月)

   約3ヶ月の無牧期間を経て、85年7月、今井先生が赴任されました。

(1)教会設立

   外部からの支援・厚意(それは不可欠なものでした)に甘えていた教会が、自分の足で歩き始めたのがこの頃でした。自覚的に歩むために、教会設立は絶好の目標となり、教会は5年の歳月をかけてこれに取り組みました。そして、90年4月に教会設立を果たしました。

(2)教会堂の増築

   この頃礼拝出席者が25名ほどになり、会堂が手狭になってきました。そのため、会堂増築が教会設立後の大きなテーマとなりました。一泊修養会で取りあげたり、会員懇談会での話し合いを重ねたりして、増築することを決めました。資金は教会員の献金と中会回転基金からの借用金(300万円)で賄いました。93年9月に完成し、会堂が2倍の広さになりました。

(3)借用金の返済

   今井先生の作成された計画案を基に、小会は借用金の返済計画を立て、東京教会からの1000万円の借用金、中会からの300万円の借用金をすべて完済することができました。99年のことでした。

 教会設立、会堂増築、借用金の返済において、今井先生の具体的に物事に対処する才能が生かされ、教会は大きく成長することができました。

4、矢内昭二先生の時代(98年7月〜03年7月)

   矢内代理牧師の牧会期間中、矢内先生ならではの特筆すべきことが二つありました。

 一つは、02年11月に宗教法人となったことです。二つ目は、S兄から土地(100坪)を購入したことです。これで羽生栄光教会は一人前の器となることができました。

 借用金をせずに土地を購入できたのは、矢内先生のご提案により、牧師給を極端に少なくしたおかげです。

5、村田寿和先生の時代(03年8月〜)

   25年の歳月をかけて教会の器が整った今、残された課題は小会・執事会の更なる充実、信徒の賜物が活かされる教会の活性化、そして器が大勢の礼拝者で満たされる事です。

 村田牧師に説教の賜物を与えられた主に期待しています。

(羽生栄光教会長老)」

 このYYさんの文書を読んで、教えられることは、羽生栄光教会が東部中会の諸教会、とりわけ上福岡教会、大宮教会、東京教会の祈りと援助を受けて成長してきたことです。このことは、準・創立メンバーのYSさんが、『25年史』で書いておられることでもあります。その一部をお読みします。

「私たちの羽生伝道所は今までの文章でもお分かりいただけたかと思いますが、改革派神学研修所との深いかかわりを持ちながら、上福岡教会、大宮教会、東京教会の援助を受けながら伝道が進められて参りました。

 また、東部中会の諸教会の援助や祈りによって支えられて参りました。当時から抱いていた北関東伝道の拠点になりたいという願い(原点)を忘れずにこれからの教会形成にも励みたいと思います。今までは他の教会から多くの祈りと援助を受けて参りましたので、私たち羽生栄光教会の小さな群れが更に主の恵みによって祝福されたとき、新しい教会を生み出す教会になりたいと願っております。

 『受けるより与えるほうが幸いである』というみことばにより第一次開拓伝道計画が立案できる時を願いながら・・・。」 

 ここには、「北関東伝道の拠点になりたい」という願いと「新しい教会を生み出す教会になりたい」という願いが記されています。この二つの願いの延長線上に、羽生栄光教会の牧師である私が、宇都宮教会の代理牧師をしていると考えていただきたいと思っています。実は、宇都宮教会の目標の一つも「北関東伝道の拠点になること」であります。その宇都宮教会の歩みを支えるために、自分たちの牧師を代理牧師として送り出すことは開拓伝道に準ずることであると思います。

 私が宇都宮教会の代理牧師を引き受けるとき、二ヶ月に一度は、宇都宮教会の礼拝に出席して説教をすること。その午後に対面で小会議長を務めることは必要不可欠であると考えました。そして、実際、二ヶ月に一度、第三主日に、宇都宮教会の礼拝に出席して説教をし、その午後に小会議長の務を果たしてきました。そのことを、羽生栄光教会の皆さんが理解してくださっていることを感謝しています。とりわけ、O長老が奨励のご奉仕をしてくださっていることを感謝しています。二ヶ月に一度、自分たちの牧師を他の教会に送り出すことは、容易いことではないと思います。私の宇都宮教会での代理牧師の期間は、来年2024年4月21日までですが、また一年間延長する可能性が高いです。そうすると、二ヶ月に一度、私は宇都宮教会の礼拝に出席して説教することになります。そのようにして、私たちは、「受けるよりは与える方が幸いである」という主イエス・キリストの御言葉に生きる教会になりたいと願っています。

 今朝は、『使徒言行録』の第20章に記されている「パウロの告別説教」を読みました。その32節から35節に、パウロはこう言っています。

 「そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。わたしは、他人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。ご存じのとおり、わたしはこの手で、わたし自身の生活のためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」

 パウロは、エフェソにおいて、自分の生活のためにも、共にいた人々のためにも働きました。それは、エフェソの信徒たちに、働いて弱い者と助けるようにと模範を示すためであり、「受けるよりは与える方が幸いである」という主イエスの御言葉を思い出させるためでした。「受けるよりは与える方が幸いである」という御言葉は、福音書には記されていない、ここだけに記されている主イエスの御言葉です。しかし、同じような趣旨のことをイエス様は『ルカによる福音書』の第14章で言われています。新約の137ページです。第14章12節から14節をお読みします。

 また、イエスは招いてくれた人にも言われた。「昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」

 ここで教えられていることは、「受けるよりは与える方が幸いである」ということです。イエス様が、「受けるよりは与える方が幸いである」と言われるのは、与える人に神様が報いてくださるからです(「幸い」と訳される「マカリオス」は「祝福されている」とも訳することができる神様を源とする幸いである)。これは施しについての基本的な考え方です(箴言19:17「弱者を憐れむ人は主に貸す人。その行いは必ず報いられる」参照)。また、イエス様は、『ルカによる福音書』の第18章29節と30節でこう言われています。新約の145ページです。

 イエスは言われた。「はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける。」

 そして、この文脈で、イエス様は、御自分の十字架の死と復活について予告されるのです(ルカ18:31~33参照)。神の国のために自分の命を捨てられるイエス様を、神様は復活させてくださり、永遠の命を与えてくださるのです。イエス様御自身が「与える幸い」に生きた御方であるのです。

今朝の御言葉に戻ります。新約の255ページです。

パウロが、「受けるよりは与える方が幸いである」という主イエスの御言葉を引用するとき、そこでは金銀、生活するためのお金のことを言っています。しかし、先程も申しましたように、自分たちの牧師を他の教会の代理牧師として送り出すことも、「受けるよりは与える方が幸いである」という主イエスの御言葉に適うことであると思います。といいますのも、教会会計の支出の多くは教職費に費やされているからです。羽生栄光教会の皆さんが、私の牧師としての働きを支えてくださっているからこそ、私は宇都宮教会の代理牧師として働くことができるのです。

 私が宇都宮教会の代理牧師になったことは、私たちが立てた計画によることではありません。2023年4月20日に、宇都宮教会の牧師であった金田知朗先生が天に召されたことによります。しかし、そのことも主の御手の内にあることですから、「受けるよりは与える方が幸いである」という信仰をもって、二ヶ月に一度、自分たちの牧師を宇都宮教会の代理牧師として送り出していただきたいと願います。また、宇都宮教会のためにお祈りしていただきたいと願います。

関連する説教を探す関連する説教を探す