神の愛とキリストの忍耐 2023年10月01日(日曜 朝の礼拝)

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聖句のアイコン聖書の言葉

3:1 終わりに、兄弟たち、わたしたちのために祈ってください。主の言葉が、あなたがたのところでそうであったように、速やかに宣べ伝えられ、あがめられるように、
3:2 また、わたしたちが道に外れた悪人どもから逃れられるように、と祈ってください。すべての人に、信仰があるわけではないのです。
3:3 しかし、主は真実な方です。必ずあなたがたを強め、悪い者から守ってくださいます。
3:4 そして、わたしたちが命令することを、あなたがたは現に実行しており、また、これからもきっと実行してくれることと、主によって確信しています。
3:5 どうか、主が、あなたがたに神の愛とキリストの忍耐とを深く悟らせてくださるように。テサロニケの信徒への手紙二 3章1節~5節

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 今朝は、『テサロニケの信徒への手紙二』の第3章1節から5節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。

 第3章1節と2節をお読みします。

 終わりに、兄弟たち、わたしたちのために祈ってください。主の言葉が、あなたがたのところでそうであったように、速やかに宣べ伝えられ、あがめられるように、また、私たちが道に外れた悪人どもから逃れられるように、と祈ってください。すべての人に、信仰があるわけではないのです。

 パウロは、テサロニケの信徒たちに、「わたしたちのために祈ってください」と、執り成しの祈りを求めます。前回(先週)学んだ、第2章16節と17節で、パウロは、テサロニケの信徒たちのために執り成しの祈りをささげていました。「わたしたちの主イエス・キリスト御自身、ならびに、わたしたちを愛して、永遠の慰めと確かな希望とを恵みによって与えてくださる、私たちの父である神が、どうか、あなたがたの心を励まし、また強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように」。このように、パウロは、テサロニケの信徒たちのために祈っていたのです。そのパウロが、続く今朝の御言葉で、「終わりに、兄弟たち、わたしたちのために祈ってください」と言うのです。

 ここで、パウロは祈りの課題を二つあげています。一つ目の祈りの課題は、「主の言葉が、あなたがたのところでそうであったように、速やかに宣べ伝えられ、あがめられるように」ということです。パウロは、この手紙を記した時(50年頃)、コリントで、福音を宣べ伝えていました。パウロは、テサロニケでそうであったように、コリントにおいても、主の言葉が速やかに宣べ伝えられ、崇められるように祈ってほしいと言うのです。二つ目の祈りの課題は、「わたしたちが道に外れた悪人どもから逃れられるように」ということです。「すべての人に信仰があるわけではないのです」とパウロが記しているように、誰もがイエス・キリストの福音を信じるわけではありません。イエス・キリストの福音に反抗して、パウロたちに危害を加えようとする者たちもいたのです。そのような道に外れた悪人どもから逃れることができるように、祈ってほしいと、パウロは言うのです。

 パウロが、コリントで福音を宣べ伝えたことは、『使徒言行録』の第18章に記されています。新約の249ページです。少し長いですが、第18章1節から17節までをお読みします。

 その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるように命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。

 シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた。ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。

 ガリオンがアカイア州の地方総督であったときのことである。ユダヤ人たちが一団となってパウロを襲い、法廷に引き立てて行って、「この男は、律法に違反するようなしかたで神をあがめるようにと、人々を唆しております」と言った。パウロが話し始めようとしたとき、ガリオンはユダヤ人に向かって言った。「ユダヤ人諸君、これが不正な行為とか悪質な犯罪とかであるならば、当然諸君の訴えを受理するが、問題が教えとか名称とか諸君の律法に関するものならば、自分たちで解決するがよい。わたしは、そんなことの審判者になるつもりはない。」そして、彼らを法廷から追い出した。すると、群衆は会堂長のソステネを捕まえて、法廷の前で殴りつけた。しかし、ガリオンはそれに全く心を留めなかった。

 パウロは、コリントに来たとき、テント造りの仕事をしながら、安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていました。この頃、なかなか福音宣教は進展しなかったようです。しかし、転機が訪れます。シラスとテモテがマケドニア州からやって来て、パウロは御言葉を語ることに専念することができるようになったのです。パウロは、ユダヤ人たちに対して、メシアはイエスであると力強く証ししました。しかし、ユダヤ人たちは反抗し、口汚く罵りました。彼らはおそらく、イエスの名を冒涜したのでしょう。それで、パウロは、彼らと決別し、異邦人に福音を宣べ伝えることを宣言します。パウロは会堂の隣りにある神をあがめるティティオ・ユストという人の家で、福音を宣べ伝えました。すると、会堂長のクリスポが、一家をあげて主イエス・キリストを信じるようになったのです。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けたのでした。このようにして、主の言葉はコリントにおいても速やかに宣べ伝えられ、あがめられるようになったのです。この背後には、テサロニケの信徒たちの執り成しの祈りがあったと読むことができます。テサロニケの信徒たちは、パウロの願いを受けて、「主の言葉が、速やかに宣べ伝えられ、あがめられるように」と祈っていたと思います。その執り成しの祈りによって、コリントにおいても、主の言葉が速やかに宣べ伝えられ、あがめられるようになったのです。

 また、テサロニケの信徒たちは、パウロたちが、道に外れた悪人どもから逃れられるように祈っていたと思います。この執り成しの祈りによって、パウロは、ユダヤ人たちの策略から逃れることができたのです。12節以下に、ユダヤ人たちが一団となってパウロを襲い、法廷に引き立てて行ったことが記されています。しかし、ユダヤ人たちの目論みどおりにはならず、パウロは何の危害も受けることはありませんでした。この背後にも、テサロニケの信徒たちの執り成しの祈りがあったのです。

 今朝の御言葉に戻ります。新約の382ページです。 

 3節をお読みします。

 しかし、主は真実な方です。必ずあなたがたを強め、悪い者から守ってくださいます。

 パウロは、「すべての人に信仰があるわけではない」と記した後で、「しかし、主は真実な方です」と記します。パウロが「すべての人に信仰があるわけではない」と言うとき、その信仰とは、聖霊の賜物である「イエス・キリストを信じる信仰」のことです。パウロは、イエス・キリストの福音を宣べ伝えながら、多くの人々から反対を受けてきました。そのような経験を踏まえて、パウロは、「すべての人に信仰があるわけではない」「すべての人に聖霊の賜物であるイエス・キリストを信じる信仰が与えられているわけではない」と言うのです。このような言葉を聞くと、私たちは意気消沈してしまうかも知れません。しかし、パウロは続けて「主は真実な方です」と言うのです。「主イエス・キリストは真実な御方であり、必ずあなたがたを強め、悪い者から守ってくださる」と言うのです。ここで、「あなたがた」と言われていることに注意したいと思います。パウロは、2節で、「わたしたちが道に外れた悪人どもから逃れられるように、祈ってください」と記しました。しかし、3節では、「必ずあなたがたを強め、悪い者から守ってくださいます」と記すのです。パウロは、主イエス・キリストのゆえに苦しみを受けているのは自分たちだけでなく、テサロニケの信徒たちも同じであることを知っていました(1:4、6参照)。それゆえ、パウロは、「わたしたち」から「あなたがた」へと言葉(目的語)を変えているのです。しかし、主語は同じですね。真実である主イエス・キリストが、パウロたちを悪人どもから逃れさせてくださり、テサロニケの信徒たちを悪い者から守ってくださるのです。パウロは、第2章7節で、「不法の秘密の力は既に働いています」と記しました。イエス・キリストの福音に反抗する悪い者たちの背後には、不法の秘密の力が働いているのです。福音宣教は、不法の秘密の力である悪魔との霊的な戦いであるのです(エフェソ6:10~12参照)。しかし、それは勝つか負けるか分からない戦いではありません。なぜなら、私たちの主イエス・キリストは、こう言われているからです。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16:33)。十字架の死によって悪魔を滅ぼされたイエス・キリストが、私たちを強め、悪い者から守ってくださるのです(ヘブライ2:14参照)。真実であるイエス・キリストは、私たちを恵みの御支配の内に、必ず守ってくださるのです。

 4節と5節をお読みします。

 そして、わたしたちが命令することを、あなたがたは現に実行しており、また、これからもきっと実行してくれることと、主によって確信しています。どうか、主が、あなたがたに神の愛とキリストの忍耐とを深く悟らせてくださるように。

 テサロニケの信徒たちは、パウロたちが命令したことを現に実行していました。パウロたちが命令したことについては、一通目の手紙『テサロニケの信徒への手紙一』の第4章に記されています。新約の377ページです。第4章2節から7節までをお読みします。

 わたしたちが主イエスによってどのように命令したか、あなたがたはよく知っているはずです。実に、神の御心は、あなたがたが聖なる者となることです。すなわち、みだらな行いを避け、おのおの汚れのない心と尊敬の念をもって妻と生活するように学ばねばならず、神を知らない異邦人のように情欲におぼれてはならないのです。このようなことで、兄弟を踏みつけたり、欺いたりしてはいけません。わたしたちが以前にも告げ、また厳しく戒めておいたように、主はこれらすべてのことについて罰をお与えになるからです。神がわたしたちを招かれたのは、汚れた生き方ではなく、聖なる生活をさせるためです。

 このようなパウロからの命令を、テサロニケの信徒たちは実行していたのです。そして、パウロは、テサロニケの信徒たちが、これからも実行してくれると主によって確信していたのです。

 今朝の御言葉に戻ります。新約の382ページです。

 パウロは、テサロニケの信徒たちが、自分たちが命じたように、これからも聖なる生活を送ることを、主によって確信していました。ここで大切なのは、「主によって」と記されていることです。なぜ、パウロは、テサロニケの信徒たちが、これからも聖なる生活を送ると確信することができるのか。それは、テサロニケの信徒たち一人一人に、主イエス・キリストの聖霊が与えられているからです。「聖なる生活を送る」とは、言い換えれば、「神の子としての生活を送る」ということです。私たちが神の子としての生活を送るために必要なこと、それは、私たちが神の愛とキリストの忍耐とを深く悟ることです。聖書協会共同訳は、5節を次のように翻訳しています。「どうか、主があなたがたの心を、神の愛とキリストの忍耐へとまっすぐに向けてくださいますように」。主が私たちの心を、神の愛とキリストの忍耐へとまっすぐに向けてくださるとき、私たちは神の子としての聖なる生活を送ることができるのです。神がどれほど私たちを愛してくださっているのか(一ヨハネ3:1参照)。キリストが私たちを罪から贖うためにどれほどの苦しみを忍耐してくださったのか(ヘブライ12:3参照)。そのことに、私たちの心がまっすぐに向けられるとき、私たちは、神の子としての聖なる生活を追い求めることができるのです(ヘブライ12:14参照)。

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