キリストが形づくられるまで 2023年6月18日(日曜 朝の礼拝)

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キリストが形づくられるまで

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ガラテヤの信徒への手紙 4章12節~20節

聖句のアイコン聖書の言葉

4:12 わたしもあなたがたのようになったのですから、あなたがたもわたしのようになってください。兄弟たち、お願いします。あなたがたは、わたしに何一つ不当な仕打ちをしませんでした。
4:13 知ってのとおり、この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。
4:14 そして、わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに、さげすんだり、忌み嫌ったりせず、かえって、わたしを神の使いであるかのように、また、キリスト・イエスででもあるかのように、受け入れてくれました。
4:15 あなたがたが味わっていた幸福は、いったいどこへ行ってしまったのか。あなたがたのために証言しますが、あなたがたは、できることなら、自分の目をえぐり出してもわたしに与えようとしたのです。
4:16 すると、わたしは、真理を語ったために、あなたがたの敵となったのですか。
4:17 あの者たちがあなたがたに対して熱心になるのは、善意からではありません。かえって、自分たちに対して熱心にならせようとして、あなたがたを引き離したいのです。
4:18 わたしがあなたがたのもとにいる場合だけに限らず、いつでも、善意から熱心に慕われるのは、よいことです。
4:19 わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。
4:20 できることなら、わたしは今あなたがたのもとに居合わせ、語調を変えて話したい。あなたがたのことで途方に暮れているからです。ガラテヤの信徒への手紙 4章12節~20節

原稿のアイコンメッセージ

 この手紙の宛先であるガラテヤの信徒たちは、エルサレムから来た偽教師たちに惑わされて、いろいろな日、月、時節、年などを守っていました。ガラテヤの信徒たちは、イエス・キリストを信じているにもかかわらず、律法に従って歩んでいたのです。それゆえ、パウロは、今朝の御言葉の直前の11節でこう言います。「あなたがたのために苦労したのは、無駄になったのではなかったかと、あなたがたのことが心配です」。パウロは、ガラテヤの信徒たちへの心配から、今朝の御言葉を記しているのです。

 パウロは、12節前半でこう言います。「わたしもあなたがたのようになったのですから、あなたがたもわたしのようになってください。兄弟たち、お願いします」。「わたしもあなたがたのようになったのですから」とは、「ユダヤ人であるわたしが、異邦人のようなあなたがたのようになったのですから」という意味です。第2章に、パウロがケファ(ペトロ)を非難したお話しが記されていました。そこで、パウロは、ペトロを非難してこう言いました。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか」(2:14)。ペトロは、ユダヤ人でありながら、異邦人のように生活していました。つまり、律法に縛られない自由な生活をしていたのです。なぜ、ペトロは律法に縛られない異邦人のような生活をしていたのでしょうか。それは、ペトロが、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、キリスト・イエスを信じたからです。パウロも同じです。パウロも、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、キリスト・イエスを信じました。そして、律法に縛られない生活、異邦人のような生活をするようになったのです。そのようにして、ユダヤ人であるパウロが異邦人であるガラテヤの信徒たちと同じようになったのです。しかし、ガラテヤの信徒たちは、偽教師たちに惑わされて、律法に縛られた生活をする者となっていました。偽教師たちは、イエス・キリストを信じるだけではなく、律法を守らなければ救われないと教えていました。そして、ガラテヤの信徒たちは、イエス・キリストを信じておりながら、律法に縛られた生活をするようになったのです。律法が定めたいろいろな日や月や時節などを守っていたのです。そのようなガラテヤの信徒たちに、パウロは、「私のように自由な者となってほしい」と言うのです。「兄弟たち、お願いします」とあるように、パウロは、主イエス・キリストに結ばれた兄弟姉妹として、ガラテヤの信徒たちに願うのです。

 続けて、パウロは、ガラテヤの信徒たちのもとで、福音を告げ知らせた、かつての幸福な日々について記します。12節後半から15節までをお読みします。

 あなたがたは、わたしに何一つ不当な仕打ちをしませんでした。知ってのとおり、この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。そして、わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに、さげすんだり、忌み嫌ったりせず、かえって、わたしを神の使いであるかのように、また、キリスト・イエスででもあるかのように、受け入れてくれました。あなたがたが味わっていた幸福は、いったいどこへ行ってしまったのか。あなたがたのために証言しますが、あなたがたは、できることなら、自分の目をえぐり出してもわたしに与えようとしたのです。

 「あなたがたは、わたしに何一つ不当な仕打ちをしませんでした」。このパウロの言葉は意味深長でありますね。「今、あなたがたは、私に不当な仕打ちをしている。しかし、かつて、あなたがたは、わたしに何一つ不当な仕打ちをしなかった」。こうパウロは言いたいようです。といいますのも、16節にありますように、偽教師たちに惑わされたガラテヤの信徒たちは、パウロのことを敵と見なしていたからです。しかし、かつてはそうではありませんでした。かつてパウロは、体が弱くなったことがきっかけで、ガラテヤの信徒たちに福音を告げ知らせました。当初、パウロの計画には、ガラテヤ地方に行って福音を告げ知らせることはありませんでした。しかし、パウロは病気を患うことによって、ガラテヤ地方に住む人々に福音を告げ知らせることになったのです(使徒16:6「さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った」参照)。パウロの病気が何であったのかはよく分かりません。もちろん、ガラテヤの信徒たちは、パウロの病気が何であったのかを知っていました。ですから、パウロは詳しく記していないわけです。このパウロの病気については、マラリア熱であったとか、てんかんの発作であったとか、目の病(眼病)であったとか、いろいろと推測されています。パウロの病を特定することはできませんが、他の人から見ても病気であることが分かるものであったようです。パウロの病気の症状は、人々からさげすまれ、忌み嫌われてもしようがないものであったのです。当時の人々は、病を悪霊の仕業であると考えていました。しかし、ガラテヤの信徒たちは、パウロを神の使いであるかのように、また、キリスト・イエスででもあるかのように、受け入れてくれたのです。ガラテヤの人々は、病を患っていたパウロを神の使いとして受け入れ、パウロの語る言葉を、イエス・キリストの言葉として受け入れたのです。パウロの説教によって、ガラテヤの信徒たちの目の前に、十字架に磔にされたイエス・キリストの姿がはっきりと示され、彼らに神の霊、聖霊が与えられたのです(3:1、2参照)。あのとき、私たちは幸福であった。パウロもガラテヤの信徒たちも、イエス・キリストの祝福に溢れていた。あの頃、ガラテヤの信徒たちは、できることなら自分の目をえぐり出してもパウロに与えようとしたのです。私は、先程、パウロが患った病は目の病(眼病)であったと推測されていると申しました。その理由がここにあります。目の病を患っているパウロのために、ガラテヤの信徒たちは、自分の目をえぐり出して与えようとした。それほどまでに、ガラテヤの信徒たちは、自分たちにイエス・キリストの福音を告げ知らせてくれたパウロを愛していたのです。

 しかし、そのガラテヤの信徒たちが、偽教師たちに惑わされて、パウロのことを敵と見なすようになりました。16節に、「すると、わたしは、真理を語ったために、あなたがたの敵となったのですか」とあります。パウロが語っていることに変わりはありません。パウロは、かつてガラテヤ地方を訪れたときも、この手紙を書いている今も、同じ福音の真理を語っているのです。かつて、ガラテヤの信徒たちは、パウロが語った福音の真理を、喜んで受け入れました。自分たちに、福音の真理を語ってくれたパウロを敬い、愛しました。しかし、今は、福音の真理を語るパウロを敵と見なすようになってしまった。それは、ガラテヤの信徒たちがエルサレムから来た偽教師たちにすっかり惑わされてしまったからです。偽教師たちは、パウロのことを敵と見なしていました。偽教師たちにとって、律法からの自由を説くパウロは敵であったのです。そして、偽教師たちに惑わされたガラテヤの信徒たちにとっても、パウロは敵となったのです。そのようなガラテヤの信徒たちに、パウロは、17節でこう言います。「あの者たちがあなたがたに対して熱心になるのは、善意からではありません。かえって、自分たちに対して熱心にならせようとして、あなたがたを引き離したいのです」。「あの者たち」とは、ガラテヤの信徒たちを惑わす偽教師たちのことです。偽教師たちは熱心でした。しかし、その熱心さは、善意から出ていないと言うのです。ここでの「善意」とは、「ガラテヤの信徒たちの救いを願う心」のことです。「偽教師たちは、あなたがたが救われることを願って熱心になっているのではない。そうではなく、あなたがたを自分たちに熱心にさせる目的で熱心になっているのだ」と言うのです。偽教師たちの熱心さの源は、党派心であり、自己愛であるのです。そのような悪意から、偽教師たちは、ガラテヤの信徒たちを、パウロから引き離そうとしているのです。偽教師たちは、ガラテヤの信徒たちが自分たちに対して熱心になるように、パウロを中傷し、パウロとの関係を引き裂こうとしているのです。そして、この偽教師たちの企ては、成功しつつあるわけです。偽教師たちに惑わされたガラテヤの信徒たちは、パウロを敵と見なしていました。しかし、そのようなガラテヤの信徒たちに、パウロは18節でこう言います。「わたしがあなたがたのもとにいる場合だけに限らず、いつでも、善意から熱心に慕われるのは、よいことです」。ここでの「善意」は、「自分たちに福音の真理を語ってくれたパウロに感謝し、愛する心」のことです。福音を語る人の善意は、聞いてくれる人々を愛して、救われることを願う心のことです。そして、福音を聞く人の善意は、語ってくれる人を愛して、感謝する心のことです。ここに記されているのは、牧師と教会員とのあるべき関係です。牧師は、聞いてくれる人々を愛して、救われることを願って福音を語る。そして、教会員は福音を語ってくれる牧師を愛して、感謝する。そのような善意から牧師と教会員の関係は成り立っているのです。パウロは、「わたしがあなたがたのもとにいる場合だけに限らず、いつでも、善意から熱心に慕われるのは、よいことです」と記すことによって、離れている今も、自分のことを善意から熱心に慕ってほしいと願っています。しかし、パウロがガラテヤの信徒たちに、このような手紙を書き送るのは、ガラテヤの信徒たちから、熱心に慕われたいからではありません。パウロは、ガラテヤの信徒たちを愛して、救われることを願う善意から、この手紙を書き記しているのです。パウロは、この手紙を書きながら、ガラテヤの信徒たちを、もう一度産もうと苦しんでいるのです。19節で、パウロはこう言います。「わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます」。パウロは、ガラテヤの信徒たちに、「わたしの子供たち」と親しく呼びかけます。パウロの福音宣教によってイエス・キリストを信じたガラテヤの信徒たちは、パウロにとって、自分の子供たちであるのです(一コリント4:15「キリストに導く養育係があなたがたに一万人いたとしても、父親が大勢いるわけではない。福音を通し、キリスト・イエスにおいてわたしがあなたがたをもうけたのです」参照)。通常、イエス・キリストを信じた者は、聖霊のお働きによって、イエス・キリストに似た者へと造りかえられていきます(二コリント3:18「わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しならが、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです」参照)。しかし、偽教師たちに惑わされたガラテヤの信徒たちの内には、キリストが形づくられていないのです。そのために、パウロは、かつて語った福音の真理を、もう一度この手紙に書き記すのです。あなたがたは律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされている。あなたがたは、イエス・キリストへの信仰によって、アブラハムに約束された祝福を受け継ぐ者とされている。あなたがたは、律法の支配から解放されて、自由な、神の子とされている。そのような福音の恵みを、言葉を尽くして記してきたのです。

 そのように記してきたパウロですが、離れた場所から手紙を書き送ることの限界も感じていたようです。20節で、パウロはこう言います。「できることなら、わたしは今あなたがたのもとに居合わせ、語調を変えて話したい。あなたがたのことで途方に暮れているからです」。パウロがこの手紙をどこで執筆したのかはよく分かりませんが、一つの推測は、エフェソです。エフェソとガラテヤ地方は、およそ400キロメートル離れていました。それゆえ、パウロはガラテヤ地方に行くことができず、手紙を書き送ったわけです。しかし、パウロは、「できることなら、わたしは今あなたがたのもとに居合わせて、語調を変えて話したい」と言うのです。「あなたがたのもとに行って、顔と顔を合わせて、かつてのように、親しく語り合いたい。そうすれば、あなたがたを福音の真理に立ち帰らせることができるのに」。こうパウロは願うのです。しかし、実際、パウロはガラテヤの信徒たちのもとへ行くことができませんので、途方に暮れているのです。どうしたらいいのか分からなくて、困り果てているのです。

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