ペトロとパウロに働きかけた神 2023年3月26日(日曜 朝の礼拝)

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ペトロとパウロに働きかけた神

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ガラテヤの信徒への手紙 2章1節~10節

聖句のアイコン聖書の言葉

2:1 その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒にエルサレムに再び上りました。その際、テトスも連れて行きました。
2:2 エルサレムに上ったのは、啓示によるものでした。わたしは、自分が異邦人に宣べ伝えている福音について、人々に、とりわけ、おもだった人たちには個人的に話して、自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないかと意見を求めました。
2:3 しかし、わたしと同行したテトスでさえ、ギリシア人であったのに、割礼を受けることを強制されませんでした。
2:4 潜り込んで来た偽の兄弟たちがいたのに、強制されなかったのです。彼らは、わたしたちを奴隷にしようとして、わたしたちがキリスト・イエスによって得ている自由を付けねらい、こっそり入り込んで来たのでした。
2:5 福音の真理が、あなたがたのもとにいつもとどまっているように、わたしたちは、片ときもそのような者たちに屈服して譲歩するようなことはしませんでした。
2:6 おもだった人たちからも強制されませんでした。――この人たちがそもそもどんな人であったにせよ、それは、わたしにはどうでもよいことです。神は人を分け隔てなさいません。――実際、そのおもだった人たちは、わたしにどんな義務も負わせませんでした。
2:7 それどころか、彼らは、ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任されたように、わたしには割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを知りました。
2:8 割礼を受けた人々に対する使徒としての任務のためにペトロに働きかけた方は、異邦人に対する使徒としての任務のためにわたしにも働きかけられたのです。
2:9 また、彼らはわたしに与えられた恵みを認め、ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、わたしとバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました。それで、わたしたちは異邦人へ、彼らは割礼を受けた人々のところに行くことになったのです。
2:10 ただ、わたしたちが貧しい人たちのことを忘れないようにとのことでしたが、これは、ちょうどわたしも心がけてきた点です。ガラテヤの信徒への手紙 2章1節~10節

原稿のアイコンメッセージ

 前回私たちは、パウロが使徒とされた次第についてご一緒に学びました。かつてのパウロは律法を守ることに人一倍熱心でした。その熱心さのゆえに、パウロは教会を迫害し、滅ぼそうとしていたのです。そのようなパウロに、神様は御心のままに、御子イエス・キリストを示してくださり、福音を異邦人に告げ知らせるようにされたのです。イエス・キリストの啓示を受けることにより、パウロは教会を迫害する者から福音を宣べ伝える者へと変えられたのです。パウロは、イエス・キリストの啓示を受けてから三年後に、ケファ(ペトロ)と知り合いになろうとして、エルサレムに上りました。パウロは、ペトロのもとに十五日間滞在して、イエス・キリストについて色々なことを教えられたと思います。今朝の御言葉は、その続きとなります。

 その14年後に、パウロとバルナバは一緒にエルサレムへ再び上りました。バルナバは、キプロス島生まれのユダヤ人で、パウロの良き理解者であり、同労者でした(使徒4:36、13:2参照)。その際、パウロはテトスも連れて行きました。テトスはパウロの愛弟子で、3節によれば、割礼を受けていないギリシア人でありました(二コリント8:16参照)。テトスは異邦人キリスト者であったのです。なぜ、パウロは、14年後に、エルサレムへ再び上ったのでしょうか。パウロは、その理由を「啓示によるものであった」と記しています。今朝の御言葉に記されているエルサレム教会の使徒たちとパウロたちとのやりとりは、『使徒言行録』の第15章に記されている、いわゆるエルサレム会議と同じものであると考えられています。ですから、『使徒言行録』の第15章を読むと、パウロたちがエルサレムに上った経緯が分かると思います。『使徒言行録』の第15章1節と2節に、次のように記されています。

 ある人々がユダヤから下って来て、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と兄弟たちに教えていた。それで、パウロとバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。この件について使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった。

 ユダヤからアンティオキアに下って来たある者たちは、エルサレム教会の使徒たちの権威によって、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と教えていました。それで、アンティオキアの教会は、パウロとバルナバと数名の者を、エルサレムに遣わすことを決議したのでした。このアンティオキア教会の決議のことを、パウロは、「啓示によるものであった」と記しているのです。

 エルサレムに上ったパウロは、「自分が異邦人に宣べ伝えている福音について、人々に、とりわけ、おもだった人たちに個人的に話して、自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないかと意見を求めました」。パウロが異邦人に宣べ伝えている福音とは、「割礼なしの福音」のことです。ある人々は、「異邦人もモーセの慣習に従って割礼を受けなければ救われない」と教えていました。しかし、パウロは、「異邦人はモーセの慣習に従って割礼を受ける必要はなく、イエス・キリストを信じる信仰によって救われる」と宣べ伝えていたのです。その福音を、エルサレムの人々に、とりわけ、おもだった人たちに個人的に話して、「自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないか」と意見を求めたのです。しかし、エルサレム教会の人々も、おもだった人であるヤコブとケファとヨハネも、パウロが宣べ伝えている「割礼なしの福音」に反対することはなかったようです。その証拠に、パウロと同行したテトスは、割礼を受けることを強制されませんでした。テトスはギリシア人であり、割礼を受けていない異邦人キリスト者です。しかし、エルサレムの人々は、テトスに割礼を受けることを強制しなかったのです。このことは、異邦人はモーセの慣習に従って割礼を受ける必要はなく、イエス・キリストへの信仰によって救われることを示しているのです。

 4節に「潜り込んで来た偽の兄弟たち」とあります。「偽の兄弟たち」とは、「異邦人もモーセの慣習に従って割礼を受けなければ、救われない」と教えていた人々のことです。異邦人にも割礼を受けさせようとする人々を、パウロは「偽の兄弟たち」と呼びます。ガラテヤの諸教会を惑わしていたのも、まさしく「偽の兄弟たち」でありました。そのことを重ね合わせながら、「彼らは、わたしたちを奴隷にしようとして、わたしたちがキリスト・イエスによって得ている自由を付けねらい、こっそり入り込んで来た」と記すのです。ここでの「キリスト・イエスによって得ている自由」とは、律法からの自由(掟を守れば祝福され、掟を守らなければ呪われるという掟の世界からの解放)、神の子としての自由のことです(ローマ7章、8章参照)。キリスト・イエスは、私たちに代わって神の掟を完全に守ってくださいました。また、キリスト・イエスは、私たちに代わって律法の呪いの死を死んでくださいました。そのようにして、キリスト・イエスは、私たちを律法から解放して、神の子としての自由を与えてくださったのです。そして、これこそ、パウロが宣べ伝えてきた福音の真理であるのです。人は律法の行いによるのではなく、イエス・キリストへの信仰によって救われる。この福音の真理が、あなたがたがのもとにいつもとどまっているように、パウロたちは片時も屈服して譲歩することはなかったのです。ここでの「あなたがた」には、ガラテヤの信徒たちばかりではなく、すべての異邦人キリスト者が含まれています。パウロは、私たちのためにも、偽兄弟たちに片時も屈服して譲歩することはなかったのです。そして実際、おもだった人たち、ヤコブとケファとヨハネも、テトスに割礼を受けることを強制しなかったのです。ガラテヤの諸教会を惑わせていた偽兄弟たちは、エルサレムの使徒たちの権威によって、「イエス・キリストを信じるだけではなく、割礼を受けなければ救われない」と教えていました。しかし、エルサレムの使徒たちは、テトスに割礼を受けることを強制しなかったのです。つまり、割礼を受けることは、救われるための必要条件ではないのです。

 ここでパウロは、一つの但し書き(挿入句)を記しています。「この人たちがそもそもどんな人であったにせよ、それは、わたしにはどうでもよいことです。神は人を分け隔てなさいません」。この但し書きによって、パウロは、偽兄弟たちとの間に一線を画しています。パウロがエルサレムの使徒たちのことを記すのは、偽兄弟たちの論法に従ったまでのことであって、パウロはそのような人間の権威に依り頼む者ではないのです。

 7節に、「それどころか、彼らは、ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任されたように、わたしには割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを知りました」とあります。この表現は微妙な表現ですね。読み方によっては、福音が二つあるようにも読めます。しかし、パウロが、第1章7節で記したように、福音はただ一つだけです。それは、パウロがイエス・キリストの啓示によって知らされた福音、人は律法の実行によってではなく、イエス・キリストへの信仰によって救われるという福音であります。このように福音の真理は一つでありますが、割礼についての受け止め方は、ユダヤ人と異邦人では異なっていたわけです。エルサレム教会のおもだった人たちは、異邦人キリスト者がモーセの慣習に従って割礼を受けるべきであるとは考えていませんでした。しかし、ユダヤ人キリスト者に対しては、モーセの慣習に従って割礼を受けるべきであると考えていたようです(使徒21:20参照)。エルサレム教会のおもだった人たちは、救いの条件としてではなく、ユダヤ人という民族として、モーセの慣習に従って割礼を受けるべきであると考えていたのです(2:11~14参照)。

 8節で、パウロは、ペトロをユダヤ人の使徒として召されたイエス・キリストが、自分を異邦人の使徒として召してくださったと主張しています。ガラテヤの諸教会を惑わせていた偽兄弟たちは、パウロはペトロによって使徒とされたと中傷していました。しかし、ペトロをユダヤ人の使徒とされたイエス・キリストが、パウロを異邦人の使徒とされたのです。そして、このことを、エルサレム教会の柱と目されるヤコブとケファとヨハネも認めたのです。パウロによって、多くの異邦人がイエス・キリストを信じる者となり、異邦人の口によって主の御名がほめたたえられている。このパウロに与えられた神の恵みを、エルサレムの使徒たちも否定することはできなかったのです(一コリント15:10参照)。ヤコブとケファとヨハネは、パウロとバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました。この一致は、何よりも福音の一致であります。エルサレムの使徒たちとパウロたちは、「人は律法の行いによらず、イエス・キリストへの信仰によって救われる」という福音の真理において一致していたのです。そのことを踏まえて、エルサレムの使徒たちは、おもにユダヤ人たちに福音を宣べ伝える。パウロたちは、おもに異邦人に福音を宣べ伝えることを決めたのです。

 10節に、「ただ、わたしたちが貧しい人たちのことを忘れないようにとのことでしたが、これはちょうどわたしも心がけてきた点です」とあります。ここでの「貧しい人たち」とは、エルサレム教会の信徒たちのことです。エルサレム教会の信徒たちは、経済的にも貧しい人たちであり、信仰的にも、主に依り頼む貧しい人たちでありました。そのエルサレム教会の信徒たちのことを忘れないでほしいと、おもだった人たちはパウロたちに求めたのです。このことは、ちょうどパウロが心がけてきた点でした。パウロは、異邦人の使徒であり、ギリシア・ローマ世界に、多くの教会をたてました。そのパウロが心がけてきたことは、エルサレム教会との関係を持ち続けるということであったのです。エルサレム教会は、イエス・キリストの十字架と復活の歴史的出来事に結びついている教会です。エルサレム教会の柱と目されている人々は、主イエス・キリストの十字架の死と復活の目撃者たちです。そのエルサレム教会との関係が断たれてしまうならば、パウロがたてた異邦人教会は、いわば根無し草となってしまうのです。そのようにならないように、パウロは、異邦人教会に呼びかけて、エルサレム教会の貧しい人々に対する献金を募ったのです(一コリント16:1~4参照)。パウロにとって、異邦人教会からのエルサレム教会への献金こそ、一致のしるしであったのです。

 今朝は最後に、このことを私たちに引き寄せてお話ししたいと思います。私たち羽生栄光教会は、単立の教会ではありません。日本キリスト改革派教会という教派に属する教会です。私たちは日本キリスト改革派教会に属することによって、公同の、普遍的な教会に属する者とされているのです。もし、私たちが日本キリスト改革派教会という教派に属していなければ、私たちの教会の歴史は、1979年から始まったことになります。しかし、私たちは日本キリスト改革派羽生栄光教会(伝道所)として始まりましたので、その歴史を教派の創立である1946年にまで遡ることができるのです。さらには、日本キリスト改革派教会の創立者たちが、旧日本基督教会の教師たちであったことを踏まえるならば、さらに遡ることができるわけです(1890年日本基督一致教会が日本基督教会と改称を決定)。私たちは、自分たちのルーツを、宗教改革の教会(カルヴァン)に、さらには古代教会(アウグスティヌス)へと遡ることができるのです。その行き着く先が12使徒を土台とするエルサレム教会であるのです。私たちが単立教会ではなく、教派に連なることを重んじるのは、私たちと同じように、主イエス・キリストが多くの人々に働きかけて、御心を行っておられると信じているからです。ここに集っている私たちだけではなくて、他の教会の兄弟姉妹にも働きかけて、御心を行っておられる。そのことを信じるがゆえに、私たちは、他の教会との交わり、中会での交わり、大会での交わりを重んじるのです。そして、他の教会との交わり、中会での交わり、大会での交わりを具体的に覚えるのが、祈りと献金をささげるときであるのです(トルコ・シリア大地震のための募金)。祈りと献金をささげることによって、私たちは、他の教会との交わり、中会での交わり、大会での交わりに生かされていることを実感するのです。私たちに働きかけてくださった神様は、他の多くの人々にも働きかけて、御心を行っておられます。そのことを信じて、私たちは、祈りと献金をささげていきたいと願います。

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