御言葉を宣べ伝えなさい 2023年1月15日(日曜 朝の礼拝)

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御言葉を宣べ伝えなさい

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
テモテへの手紙二 3章10節~4章8節

聖句のアイコン聖書の言葉

3:10 しかしあなたは、わたしの教え、行動、意図、信仰、寛容、愛、忍耐に倣い、
3:11 アンティオキア、イコニオン、リストラでわたしにふりかかったような迫害と苦難をもいといませんでした。そのような迫害にわたしは耐えました。そして、主がそのすべてからわたしを救い出してくださったのです。
3:12 キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆、迫害を受けます。
3:13 悪人や詐欺師は、惑わし惑わされながら、ますます悪くなっていきます。
3:14 だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。あなたは、それをだれから学んだかを知っており、
3:15 また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。
3:16 聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。
3:17 こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。
4:1 神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。
4:2 御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。
4:3 だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、
4:4 真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。
4:5 しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。
4:6 わたし自身は、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。
4:7 わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。
4:8 今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。テモテへの手紙二 3章10節~4章8節

原稿のアイコンメッセージ

 久しぶりに、皆さんとご一緒に礼拝をささげられますことを嬉しく思い、主に感謝しています。 

 先程は、『テモテへの手紙二』の第3章10節から第4章8節までをお読みしました。『テモテへの手紙二』は、イエス・キリストの使徒パウロが、ローマの獄中から、愛弟子であるテモテに書き送った手紙であります。パウロとテモテは親と子ぐらい年齢が離れており、パウロはテモテのことを「愛する子」と呼んでいます(1:2参照)。『テモテへの手紙二』は、パウロの最後の手紙であり、パウロの遺書とも呼ばれる手紙です。今朝は、その手紙の第4章1節と2節を中心にして、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。

 第4章1節と2節をお読みします。

 神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。

 パウロは、単に、「御言葉を宣べ伝えなさい」と命じるのではなく、前置きの言葉として、「神の御前で、そして、生きている者と死んだ者とを裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます」と記します。「御言葉を宣べ伝えなさい」という命令の重要さが本当に分かるのは、神の御前で、また生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思い巡らすときであるのです。「御言葉を宣べ伝えなさい」の「御言葉」とは、「イエス・キリストの福音(良き知らせ)」のことです。神の御子であるイエス・キリストは、罪を別にして、私たちと同じ人となってくださいました。そして、イエス・キリストは、私たちに代わって神の掟を完全に守ってくださり、私たちに代わって罪の刑罰としての十字架の死を死んでくださいました。神様は、イエス・キリストを死者の中から三日目に栄光の体で復活させられ、御自分の右の座へとあげられたのです。それは、イエス・キリストを信じる者を、正しい者、神の子とするためであったのです。イエス・キリストが自分の罪のために十字架にかかって死んでくださり、自分を正しい者とするために復活してくださった。そのことを信じるならば、あなたは滅びることなく、救われます。これがイエス・キリストの福音であり、パウロが宣べ伝えなさいと命じている「御言葉」であるのです。その御言葉を知らないで滅んでしまう人があってはいけない。神様から裁きの権能を委ねられた主イエス・キリストが再び来られる日に問われることは、「あなたは、イエス・キリストを信じましたか」ということです。そのとき、「私はイエス・キリストの福音を聞いたことはありません」という人がいてはならないのです。ですから、私たちは、神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、御言葉を宣べ伝えねばならないのです。

 ここで、注意したいことは、「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです」とテモテに命じたパウロが、そのとおりに実行したということです。パウロ自身が、折が良くても悪くても、御言葉を宣べ伝えたのです。迫害と苦難の中にあっても、パウロは、イエス・キリストの福音を宣べ伝えました。なぜ、パウロは、折が良くても悪くても、御言葉を宣べ伝えることができたのでしょうか。そのことを、今朝は、私たちキリスト者の徳(身についた品性)である信仰と希望と愛という三つの視点からお話ししたいと思います(一コリント13:13参照)。

 第一の視点は信仰であります。なぜ、パウロは、折が良くても悪くても、御言葉を宣べ伝えることができたのか。それは、聖書の御言葉が神の霊の導きの下に書かれた神の言葉であると信じていたからです。第3章15節から17節に、聖書がどのような書物であるかが記されています。

 また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。

 聖書は、人間が記した書物ですが、神様の霊の導きの下に書かれた書物であります(有機的十全逐語霊感)。それゆえ、聖書の究極的な著者は神様であり、聖書は神の言葉であると言えるのです。そして、神の言葉である聖書は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、聞く人に与えることができるのです。これは言い換えますと、聖書は、救い主イエス・キリストについて証しをする書物であるということです(ヨハネ5:39「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ」参照)。聖書は、旧約聖書と新約聖書の大きく二つに分けることができます。旧約聖書は、神様が救い主を遣わしてくださることを預言する書物です。そして、新約聖書は、神様が遣わしてくださった救い主は、イエス・キリストであることを証しする書物であるのです。聖書の御言葉が読まれ、解き明かされるとき、神の霊である聖霊が働いてくださり、聞く人の心に、イエス・キリストへの信仰を与えてくださるのです。そのようにして、救いに導く知恵を与えてくださるのです。そればかりではなくて、聖書の御言葉と共に働かれる聖霊は、救われた者がどのように生きるべきかを教え、善き生活に導いてくださるのです。そのような聖書の御言葉と共に働かれる聖霊を信じるからこそ、パウロは、折が良くても悪くても、御言葉を宣べ伝えることができたのです。私たちが他の人を悔い改めさせたり、イエス・キリストを信じさせることは、決してできません。人を悔い改めさせ、イエス・キリストを信じさせることができるのは、聖書の御言葉と共に働く神の霊、聖霊であるのです。私たちは、神の言葉である聖書と御言葉と共に働く聖霊を信じて、御言葉を宣べ伝えているのです。

 第二の視点は、希望であります。パウロが迫害と苦難に耐えて、御言葉を宣べ伝えることができたのは、主イエス・キリストが来られるとき、御国に入ることができるという希望を持っていたからです。パウロが初期に記した手紙、例えば、『テサロニケの信徒への手紙一』を読みますと、パウロは、自分が生きている間に、イエス・キリストが再び来られると考えていたようです(一テサロニケ4:15参照)。しかし、パウロの後期の手紙を読むと、自分が死を通して、天におられるイエス・キリストのもとへ行くことについて記しています。今朝の御言葉である第4章6節から8節にも、パウロのそのような思いが記されています。

 わたし自身は、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけではなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。

 パウロは、この手紙をローマの獄中で記しています。パウロは、主イエス・キリストの福音を宣べ伝えたゆえに捕らえられ、処刑されようとしているのです。そのような自分を、神にささげられたいけにえに譬えるのです。そして、パウロは、死を通して、天におられるイエス・キリストにまみえること、さらには「かの日」に与えられる「義の栄冠」に思いを馳せるのです(栄冠は勝利の冠!)。神様は、イエス・キリストを信じる者の罪を赦し、正しい者と認めてくださいます(信仰義認)。イエス・キリストを信じる私たちは、神様の御前に正しい者とされている。しかし、私たちには、まだ罪が残っており、罪を犯してしまうのです。その私たちが実質的にも正しい者とされる。そして、公に正しい者であると宣言される。それが、「かの日」と言われる主イエス・キリストが再び来られる日に起こるのです。主イエス・キリストが再び来られる日に、義の栄冠を受ける勝利者として、神様とイエス・キリストがおられる新しい天と新しい地に永遠に住む者となる。そのような希望に生きていたからこそ、パウロは、迫害と苦難に耐えて、御言葉を宣べ伝えることができたのです。そのような希望が、パウロだけではなくて、テモテにも、そして、私たちにも与えられているのです。神様は、主イエス・キリストが来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも、義の栄冠を授けてくださいます。ですから、私たちは、主イエス・キリストの出現と御国を思いつつ、希望をもって御言葉を宣べ伝えているのです。

 第三の視点は愛であります。パウロが、折が良くても悪くても、御言葉を宣べ伝えることができたのは、罪のゆえに滅びてしまう隣人への愛のゆえでありました。『フィリピの信徒への手紙』の第3章17節から第4章1節までをお読みします。新約の365ページです。

 兄弟たち、皆一緒にわたしに倣う者となりなさい。また、あなたがたと同じように、わたしたちを模範として歩んでいる人々に目を向けなさい。何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。だから、わたしが愛し、慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である愛する人たち、このように主によってしっかりと立ちなさい。

 パウロは、イエス・キリストの十字架の言葉に耳を傾けずに、滅びてしまう人々を愛して、昼も夜も涙を流しながら福音を宣べ伝えました(使徒20:31参照)。そのような愛を、パウロは、神様から与えられていたのです(ローマ5:5参照)。生まれながらの人間は、自分の欲望を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません(かつての私たちもそうでした)。そのような人間を神様は愛してくださり、独り子イエス・キリストを世の救い主として遣わしてくださいました。しかも、イエス・キリストを、十字架の死に引き渡すという仕方で、人間の救いを成し遂げてくださったのです。その神様の愛を、自分に対する愛として知ったゆえに、パウロは、神様の愛をもって、イエス・キリストの福音を宣べ伝えたのです。私たちが福音を宣べ伝える原動力、その動機付け(モチベーション)は、独り子を賜ったほどの神様の愛であるのです。また、御自分の命を捨てられたほどのイエス・キリストの愛であるのです(二コリント5:14「キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです」参照)。私たちも、神様の愛とイエス・キリストの愛を知っている者として、一人も滅びてはいけないという愛から御言葉を宣べ伝えているのです。

 『週報』の表紙に記されているように、今年の年間聖句は、「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。」(テモテへの手紙二4章2節)であります。また、今年の年間テーマは、「忍耐強く、御言葉を宣べ伝えよう!」であります。私たちは、神の言葉である聖書と御言葉と共に働く聖霊を信じて、また、義の栄冠を受けるという希望をもって、さらには、一人も滅びてはいけないという愛から、忍耐強く、御言葉を宣べ伝えていきたいと願います。

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