人の子が来る 2022年5月15日(日曜 朝の礼拝)

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人の子が来る

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
マルコによる福音書 13章24節~27節

聖句のアイコン聖書の言葉

13:24 「それらの日には、このような苦難の後、/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、
13:25 星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。
13:26 そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。
13:27 そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」マルコによる福音書 13章24節~27節

原稿のアイコンメッセージ

 弟子の一人が、「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう」と言うと、イエス様はこう言われました。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」。イエス様は、エルサレム神殿が徹底的に破壊されることを預言されたのです。

 イエス様がオリーブ山で、神殿の方に向かって座っておられると、ペトロとヨハネとヤコブとアンデレが来て、イエス様に、こう尋ねます。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、そのことがすべて実現するときには、どんな徴があるのですか」。ここで、弟子たちは二つのことを、イエス様に尋ねています。一つは、「エルサレム神殿の崩壊がいつ起こるのか」ということです。そして、二つ目は、「世の終わりには、どんな徴があるのか」ということです(ダニエル12:7「これらの事はすべて成就する」参照)。弟子たちにとって、エルサレム神殿の崩壊は、世の終わりを思わせる出来事であったのです。この弟子たちの問いを受けて、イエス様は、終わりの時代の徴について、また、エルサレム神殿の崩壊に代表される終わりの時代の苦しみについて教えられるのです。

 イエス様は、5節から13節で、終わりの時代の徴について、教えられました。偽メシアが大勢現れる。戦争が起こり、そのニュースが聞こえてくる。方々に地震があり、飢饉が起こる。イエス・キリストの福音があらゆる民に宣べ伝えられる。人の愛が冷める。キリストのゆえに、弟子たちは人々から憎まれるようになる。これらは、終わりの時代の徴であり、まだ世の終わりではないのです。

 また、イエス様は、14節から23節で、エルサレム神殿の崩壊に代表される終わりの時代の苦しみについて教えられました。実際、エルサレム神殿は、紀元70年に、ローマの軍隊によって滅ぼされました。イエス様が、このようにお語りになってから、およそ40年後に、そのとおりになったのです。

 そして、イエス様は、今朝の御言葉、24節から27節で、「終わりの日の徴」について教えられるのです。終わりの日をもたらす決定的な徴について教えられるのです。

 24節と25節をお読みします。

 それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。

 「それらの日」とは、「その日」とも訳せる「世の終わりの日」のことです(新改訳2017参照)。聖書において、世の終わりの日は「主の日」とも呼ばれています。主の日とは、主なる神が歴史に介入される日で、神の正しい裁きが行われる日のことです。主の日は、神の民イスラエルにとっては救いの日であり、イスラエルを苦しめる異邦人には破滅の日であると考えられていました。例えば、『イザヤ書』の第13章には、次のように記されています。旧約の1080ページです。

 第13章には、「アモツの子イザヤが幻に見た、バビロンについての託宣」が記されています。その9節から13節までをお読みします。

 見よ、主の日が来る/残忍な、怒りと憤りの日が。大地を荒廃させ/そこから罪人を絶つために。天のもろもろの星とその星座は光を放たず/太陽は昇っても闇に閉ざされ/月は光を輝かさない。わたしは、世界をその悪のゆえに/逆らう者をその罪のゆえに罰する。また、傲慢な者の驕りを砕き/横暴な者の高ぶりを挫く。わたしは、人を純金よりもまれなものとし/オフィルの黄金よりも得難いものとする。わたしは天を震わせる。大地はその基から揺れる。万軍の主の怒りのゆえに/その憤りの日に。

 ここに、主の日には太陽が闇に閉ざされ、月も星も光を放たないこと。大地だけではなく、天も揺り動かされることが記されています。そして、これらのことは、神に逆らう悪と罪に対する、神の憤りのゆえであるのです。このような主の日の到来を背景にして、イエス様は、「終わりの時代の苦難の後(のち)の、終わりの日には、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる」と言われたのです。「終わりの日」とは、この世界とその歴史を始められた主なる神が、この世界とその歴史を裁くことによって終わりをもたらす「主の日」であるのです(終わりの日を、旧約聖書が預言してきた「主の日」として理解することが大切である)。

 今朝の御言葉に戻ります。新約の89ページです。

 26節をお読みします。

 そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。

 このイエス様の御言葉は、『ダニエル書』の第7章の御言葉を背景にしています。旧約の1392ページです。

 第7章には、「四頭の獣の幻」が記されています。今朝は、詳しくお話しできませんが、この四頭の獣は、それぞれの時代の大きな国を指しています。第一の獅子のような獣は、バビロン帝国を指しています。第二の熊のような獣は、メディア王国を指しています。第三の豹のような獣は、ペルシア帝国を指しています。第四のものすごく、恐ろしい獣は、ギリシア帝国を指しています。この第四の獣の小さな角、目があり、口もあって尊大なことを語っていた角は、アンティオコス四世エピファネスを指しています。先週もお話ししたとおり、『ダニエル書』の幻は、旧約聖書続編の『マカバイ記』に記されている迫害の歴史を背景にしています。紀元前2世紀、ギリシア帝国の王アンティオコス・エピファネスは、ユダヤ人にギリシア人と同じようになることを求め、律法に従う生活を禁じました(ヘレニズム)。割礼を授けること、安息日を守ることなどを禁じたのです。そして、エルサレム神殿の祭壇に、こともあろうに、ギリシアの神ゼウスの像を立て、ユダヤ人にとって汚れた動物である豚を生け贄としてささげたのです。そのようなアンティオコス・エピファネスの迫害に対して武力をもって立ち上がったのが、マティアとその息子たち(その一人がマカバイと呼ばれるユダ)であったのです。そのようなことを念頭に置いて、9節から14節までをお読みします。

 なお見ていると、王座が据えられ/「日の老いたる者」がそこに座した。その衣は雪のように白く/その白髪は清らかな羊の毛のようであった。その王座は燃える炎/その車輪は燃える火/その前から火の川が流れ出ていた。幾千人が御前に仕え/幾万人が御前に立った。裁き主は席に着き/巻物が繰り広げられた。

 さて、その間にもこの角は尊大なことを語り続けていたが、ついにその獣は殺され、死体は破壊されて燃え盛る火に投げ込まれた。他の獣は権力を奪われたが、それぞれの定めの時まで生かしておかれた。夜の幻をなお見ていると、見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り/「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み/権威、威光、王権を受けた。諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え/彼の支配はとこしえに続き/その統治は滅びることがない。

 王座に座す「日の老いたる者」とは主なる神のことです。主なる神は裁き主として、巻物の記録に基づき、幾万人をお裁きになります。ここに描かれている幻は、主の日に行われる神の裁きの光景です。尊大なことを語る角、アンティオコス・エピファネスを王とするギリシア帝国は、殺され、死体は破壊されて、燃え盛る火に投げ込まれました。それに対して、「人の子のようなもの」は神から権威、威光、王権を受けます。これによって、「人の子のようなもの」は、諸国、諸族、諸言語の民をとこしえに支配するようになるのです。この「人の子のような者」とは、「いと高き者の聖者ら」のことであります。18節に、「しかし、いと高き者の聖者らが王権を受け、王国をとこしえに治めるであろう」と記されています。また、22節に、「やがて、『日の老いたる者』が進み出て裁きを行い、いと高き者の聖者らが勝ち、時が来て王権を受けたのである」と記されています。さらに、27節に、「天下の全王国の王権、権威、支配の力は/いと高き方の聖なる民に与えられ/その国はとこしえに続き/支配者はすべて、彼らに仕え、彼らに従う」と記されています。権威、威光、王権を受ける「人の子のような者」は、「いと高き者の聖者ら」であるのです。つまり、この幻は、ギリシア帝国の王アンティオコス・エピファネスの迫害に対して戦う、律法に忠実なイスラエルの民が、主によって勝利を収めることを示しているのです。

 ここで注意したいことは、「人の子のような者」が「彼」と呼ぶことができる個人であると同時に、「いと高き者の聖者ら」と呼ぶことができる集団であるということです。「人の子のような者」は、いわゆる集合人格であるのです(H.W.ロビンソン『旧約聖書における集団と個』参照)。王国が王によって表されるように、「いと高き者の聖者ら」は「人の子のような者」によって表されるのです(ダニエル7:17参照)。そして、イエス様によれば、「人の子のような者」とは、イエス様御自身であるのです。イエス様は、『マルコによる福音書』の第8章38節で、こう仰せになりました。「神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる」。このようにイエス様こそ、終わりの日に、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来る人の子であるのです。そして、人の子であるイエス・キリストの民である私たちこそ、「いと高き者の聖者ら」であるのです。

 今朝の御言葉に戻ります。新約の89ページです。

 「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る」。このイエス様の御言葉は、先程の『ダニエル書』の第7章の幻と少し違っています。『ダニエル書』の第7章では、雲に乗って、神様の前に立って、権威、威光、王権を受けた場面が記されていました。しかし、イエス様の御言葉では、そのことを前提にして、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って、天上から地上へと来るのです。このことは、イエス・キリストの十字架において、主の日の裁きが行われたこと。イエス・キリストが、復活と昇天と着座によって、神様から権威と威光と王権を受けられたことを教えています。第15章に、イエス様が十字架に磔にされて、死なれたことが記されています。そこには、「昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた」と記されています(15:33)。太陽が暗くなる、主の日の裁きが、イエス様のうえに臨んでいたのです。イエス様は、御自分の民の罪を担って、主の日の裁きを受けてくださり、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と大声で叫ばれたのです(15:34)。そのようにして、イエス様は、『イザヤ書』の第53章が預言している主の僕として死んでくださったのです。神様は、そのようなイエス様を死から三日目に栄光の体で復活させられました。そして、天に上げられ、御自分の右の座に着かせられたのです。そのようにして、神様は、イエス様に人の子としての権威、威光、王権を授けられたのです。そのイエス様が、終わりの日に、大いなる力と栄光を帯びて、雲に乗って来られるのです。

 27節をお読みします。

 そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。

 このイエス様の御言葉の背景には、『申命記』の第30章の御言葉があると言われます。旧約の328ページです。

 第30章1節から6節までをお読みします。

 わたしがあなたの前に置いた祝福と呪い、これらのことがすべてあなたに臨み、あなたが、あなたの神、主によって追いやられたすべての国々で、それを思い起こし、あなたの神、主のもとに立ち帰り、わたしが今日命じるとおり、あなたの子らと共に、心を尽くし、魂を尽くして御声に聞き従うならば、あなたの神、主はあなたの運命を回復し、あなたを憐れみ、あなたの神、主が追い散らされたすべての民の中から再び集めてくださる。たとえ天の果てに追いやられたとしても、あなたの神、主はあなたを集め、そこから連れ戻される。あなたの神、主はかつてあなたの先祖のものであった土地にあなたを導き入れ、これを得させ、幸いにし、あなたの数を先祖よりも増やされる。あなたの神、主はあなたとあなたの子孫の心に割礼を施し、心を尽くし、魂を尽くして、あなたの神、主を愛して命を得ることができるようにしてくださる。

 ここには、主が追い散らされた御自分の民を再び集めてくださること。そして、それは、カナンの土地に住まわせ、子孫の数を増し、心に割礼を施して、主を愛し、命を得させるためであることが記されています。このことを念頭に置くとき、人の子であるイエス様が、天使たちを遣わして、選ばれた者たちを集める目的が明かとなります。人の子である栄光のイエス様は、新しい天と新しい地に住まわせるために、神様との永遠の愛の交わりに生きる者とするために、地の果てと天の果てから、御自分の選びの民を集められるのです。人の子であるイエス・キリストが、どこに来られるのかは、分かりません。しかし、どこであろうとも、イエス・キリストが来られたとき、私たちは、天使たちによって、イエス・キリストのもとへと集められるのです(私たちが知らないうちに、イエス・キリストが来ていたということはない)。

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