気をつけていなさい 2022年5月08日(日曜 朝の礼拝)

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気をつけていなさい

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
マルコによる福音書 13章14節~23節

聖句のアイコン聖書の言葉

13:14 「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つのを見たら――読者は悟れ――、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。
13:15 屋上にいる者は下に降りてはならない。家にある物を何か取り出そうとして中に入ってはならない。
13:16 畑にいる者は、上着を取りに帰ってはならない。
13:17 それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。
13:18 このことが冬に起こらないように、祈りなさい。
13:19 それらの日には、神が天地を造られた創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難が来るからである。
13:20 主がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、主は御自分のものとして選んだ人たちのために、その期間を縮めてくださったのである。
13:21 そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『見よ、あそこだ』と言う者がいても、信じてはならない。
13:22 偽メシアや偽預言者が現れて、しるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちを惑わそうとするからである。
13:23 だから、あなたがたは気をつけていなさい。一切の事を前もって言っておく。」マルコによる福音書 13章14節~23節

原稿のアイコンメッセージ

 イエス様が神殿の境内から出て行かれるとき、弟子の一人がこう言いました。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう」。それに対して、イエス様は、こう言われます。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」。このように、イエス様は、エルサレム神殿が徹底的に破壊されると預言されたのです。イエス様が、オリーブ山で神殿の方を向いて座っておられると、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかに尋ねました。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、そのことがすべて実現するときには、どんな徴があるのですか」。ここで、四人の弟子たちは、二つのことを、イエス様に尋ねています。一つは、「エルサレム神殿の崩壊がいつ起こるのですか」ということです。二つ目は、「世の終わりにはどんな徴があるのですか」ということです。「そのことがすべて」は「世の終わりに起こること」を指しています(ダニエル12:7「これらの事はすべて成就する」参照)。弟子たちは、イエス様から神殿崩壊の預言を聞いて、世の終わりに起こることへと思いを馳せたのです。

 前回、私たちは、5節から13節までのイエス様の教えを学びました。そこに記されていたことは、終わりの時の徴でありました。終わりの時には、偽メシアが大勢現れて、多くの人を惑わせます。また、戦争の騒ぎや噂が聞こえてきます。多くの地域で地震があり、飢饉が起こります。戦争は、社会の秩序を揺るがせます。また、地震は、私たちが立っている大地を揺るがせます。それによって、私たちは慌てふためき、世の終わりだと考えてしまいます。しかし、イエス様は、「まだ世の終わりではない」と言われるのです。これは、「終わりの日ではない」ということです。戦争や地震や飢饉は、終わりの時代の徴であっても、終わりの日をもたらす決定的な徴ではないのです。イエス様は、戦争や地震や飢饉といった終わりの時代の徴を、「産みの苦しみの始まりである」と言われます。終わりの時代の苦しみは、新しい時代を産み出すための苦しみであるのです。『イザヤ書』の第65章17節に、「見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する」とあります。新しい天と新しい地は、この終わりの時代の苦しみを経て、到来するのです。終わりの時代の徴が、戦争や地震や飢饉などであることは、終わりの日が、主の裁きの日であることを示しています(エゼキエル14:21~23、黙示6章参照)。主は、終わりの時代に、戦争や地震や飢饉を起こすことによって、すべての人々を、御自分に立ち帰らせようとされるのです。しかし、そのような主の御心に逆らって、人々は、イエス・キリストを信じる者たちを迫害します。人々は、イエスの弟子たちを地方法院に引き渡し、会堂で打ちたたきます。また、総督や王の前に立たせて、尋問するのです。そして、そのような迫害の只中で、弟子たちによって福音があらゆる民に宣べ伝えられるのです。「福音があらゆる民に宣べ伝えられる」。このことも、世の終わりの時代の徴です。考えてみますと、戦争や地震や飢饉は、これまでも起こってきましたし、今も起こっています。世界中の至るところに、キリストの教会があり、福音はあらゆる民に宣べ伝えられています。ですから、私たちは、既に、終わりの時代に生きているのです。そればかりか、福音を宣べ伝えている私たち自身が、終わりの時代の徴であるのです。イエス様は、「引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと前もって心配するな」と言われます。これは、私たちにも言われている御言葉です。現代の私たちは、日本国憲法によって思想及び良心の自由、信教の自由などが保障されています。ですから、福音を宣べ伝えることによって、捕らえられることはありません。しかし、もし、そうなったとしても、私たちは、何を言おうかと前もって心配する必要はないのです。なぜなら、そのときには、私たちの内におられる聖霊が、語るべきことを示してくださるからです。ポンテオ・ピラトの前で立派な証しをされたイエス・キリストの聖霊が、私たちの内で、立派な証しをしてくださるのです(一テモテ6:13参照)。

 「兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう」とあるように、世の終わりには人々の愛が冷えます。また、弟子たちは、イエス様の名のために、すべての人から憎まれるのです。しかし、イエス様は、こう言われます。「最後まで、耐え忍ぶ者は救われる」。イエス・キリストの信仰に最後まで留まり続ける者は、神様によって救われるのです。聖霊の恵みに謙虚に信頼してキリストの僕としてふさわしく生きる私たちを、神様が最後まで恵みのうちに守ってくださるのです。

 長くなりましたが、ここまでは前回の振り返りであります。今朝は、その続きの14節以下を、御一緒に学びたいと願います。

 14節に「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つのを見たら-読者は悟れ-、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい」と記されています。この「憎むべき破壊者」という言葉は『ダニエル書』に出て来る言葉です(9:27、11:31、12:11参照)。ここでは、『ダニエル書』の第11章31節から33節までをお読みします。旧約の1400ページです。

 彼は軍隊を派遣して、砦すなわち聖所を汚し、日ごとの供え物を廃止し、憎むべき荒廃をもたらすものを立てる。契約に逆らう者を甘言によって棄教させるが、自分の神を知る民は確固として行動する。民の目覚めた人々は多くの者を導くが、ある期間、剣にかかり、火刑に処され、捕らわれ、略奪されて倒される。

 『ダニエル書』の第10章から第12章までは、「終わりのときについての幻」が記されています。『ダニエル書』は、世の終わりについて記す黙示文書であるのです。イエス様は、世の終わりについて教えるに当たって、旧約の黙示文書である『ダニエル書』の御言葉を用いられるのです。第11章21節から39節までは、シリア帝国の王アンティオコス四世・エピファネスによる迫害を背景にしていると考えられています。旧約聖書と新約聖書の間の時代、いわゆる中間時代に書かれた旧約聖書続編の一つに、『マカバイ記一』があります。その第1章に、シリアの王アンティオコス・エピファネスが、ユダヤ人を迫害したことが記されています。その第1章54節から57節に、こう記されています。

 第百四十五年、キスレウの月の十五日には、王は祭壇の上に『憎むべき破壊者』を建てた。人々は周囲のユダの町々に異教の祭壇を築き、家々の戸口や大路で香をたき、律法の巻物を見つけてはこれを引き裂いて火にくべた。契約の書を隠していることが発覚した者、律法に適った生活をしている者は、王の裁きにより処刑された。

 「王は祭壇の上に『憎むべき破壊者』を建てた」とありますが、これは、ギリシャの神々の主神である「ゼウスの像」であると言われています。アンティオコス・エピファネスは、エルサレム神殿の祭壇に、ゼウスの像を建てるという暴挙に出たのです。そのことを踏まえて、『ダニエル書』は、「憎むべき破壊者」について記しているのです。また、イエス様も、「憎むべき破壊者」について語っているのです。イエス様の世の終わりの教えの前提には、『ダニエル書』の教えがあり、さらには、旧約聖書続編の『マカバイ記』に記されている迫害の歴史があるのです。

 では、今朝の御言葉に戻ります。新約の89ページです。

 14節の中ほどに「読者は悟れ」と記されています。これは、福音書記者マルコが書き加えたものと考えられています。イエス様が、オリーブ山で、世の終わりのしるしについて教えられたのは、紀元30年頃です。そして、福音書記者マルコが、この福音書を執筆したのが、紀元70年頃と言われています。前回もお話ししましたように、紀元70年に、ローマ帝国の軍隊によって、エルサレム神殿は崩壊しました。紀元66年に、ユダヤの国はローマに反乱を起こしました。その結末として、エルサレムはローマ軍によって包囲され、神殿は火で焼かれてしまうのです。『マルコによる福音書』が、神殿崩壊の前に記されたのか、あるいは後に記されたのかは、分かりません。しかし、マルコは、紀元30年頃、イエス様が預言されたことが、紀元70年頃の今、実現しようとしていること。あるいは、実現したことを、読者に悟らせようとしているのです。「立ってはならないところ」とは、神様が臨在される聖所のことです。その聖所に、入ることの許されていない異邦人であるローマ兵(司令官ティトゥス)が立とうとしている。あるいは、立ったのです。

 イエス様は、「そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい」と言われます。荷物を取りに行ってはならないほど、一刻も早く逃げねばならないのです。「身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ」と言われるのは、逃げることが難しいからですね。また、「このことが冬に起こらないように、祈りなさい」と言われるのは、冬は大雨が降り、涸れ谷を渡ることができなくなるからです。私たちは、このイエス様の御言葉を読むとき、ロシアがウクライナに軍事侵攻して始まった戦争のことを思わずにはいられません。プーチン氏がロシアの大統領の座に立っていること。そして、多くのウクライナの人々が、国外に避難していること。そのような2022年の今、起こっていることを重ねずに読むことはできないと思います。ウクライナの人々が今、体験していることも、「神が天地を造られた創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難」であると言えると思います。そして、それは、私たちが体験することになるかも知れない苦難であるのです。世の終わりの時代の苦難、それは「主がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない」ほどの苦難であるのです。しかし、主は御自分のものとして選んだ人たちのために、その期間を縮めてくださいます。「主が御自分のものとして選んだ人たち」とは、イエス・キリストを信じる私たちキリスト者のことです。ここで、注意したいことは、主は、すべての人を大きな苦難に遭わせられるということです。主は、御自分の民をも、他の人々と同じように苦しみに遭わせられる。戦争が起これば、また、地震が起これば、キリスト者も、他の人たちと同じように苦しむのです。しかし、主は、御自分の民である私たちキリスト者のために、その期間を縮めてくださるのです。20節には、「その期間を縮めてくださったのである」とあります。完了形で記すことができるほどに、このことは確実な事であるのです。

 大きな苦しみを体験することによって、人々は、メシア、救い主が現れることを待ち望むようになります。しかし、イエス様は、「『見よ、ここにメシアがいる』『見よ、あそこだ』と言う者がいても、信じてはならない」と言われます。それは、私たちが、本物のメシア、救い主であるイエス・キリストを信じる者であるからです。私たちは、本物のメシア、救い主であるイエス・キリストを信じるゆえに、他の人をメシアであると信じてはならないのです。

 また、世の終わりには、偽メシアや偽預言者が現れて、しるしや不思議な業を行い、選ばれた人たちを惑わそうとします。『ペトロの手紙一』の第5章8節に、「あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています」とあるように、悪魔は偽メシアや偽預言者を用いて、選ばれた人たちを惑わそうとするのです(黙示13章参照)。

 イエス様は、終わりの時代についての教えを、「人に惑わされないように気をつけなさい」という言葉をもって語り出されました(13:5)。そして、終わりの時についての教えを閉じるにあたって、もう一度、「惑わされないように気をつけなさい」と言われるのです。イエス様は、終わりの時について、一切の事を前もって教えてくださいました。それは、私たちが、産みの苦しみの中で、惑わされることなく、主イエス・キリストを信じ続けるためであるのです。

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