フェストゥスの前で 2008年4月20日(日曜 朝の礼拝)

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フェストゥスの前で

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
使徒言行録 25章1節~27節

聖句のアイコン聖書の言葉

25:1 フェストゥスは、総督として着任して三日たってから、カイサリアからエルサレムへ上った。
25:2 -3祭司長たちやユダヤ人のおもだった人々は、パウロを訴え出て、彼をエルサレムへ送り返すよう計らっていただきたいと、フェストゥスに頼んだ。途中で殺そうと陰謀をたくらんでいたのである。
25:4 ところがフェストゥスは、パウロはカイサリアで監禁されており、自分も間もなくそこへ帰るつもりであると答え、
25:5 「だから、その男に不都合なところがあるというのなら、あなたたちのうちの有力者が、わたしと一緒に下って行って、告発すればよいではないか」と言った。
25:6 フェストゥスは、八日か十日ほど彼らの間で過ごしてから、カイサリアへ下り、翌日、裁判の席に着いて、パウロを引き出すように命令した。
25:7 パウロが出廷すると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちが彼を取り囲んで、重い罪状をあれこれ言い立てたが、それを立証することはできなかった。
25:8 パウロは、「私は、ユダヤ人の律法に対しても、神殿に対しても、皇帝に対しても何も罪を犯したことはありません」と弁明した。
25:9 しかし、フェストゥスはユダヤ人に気に入られようとして、パウロに言った。「お前は、エルサレムに上って、そこでこれらのことについて、わたしの前で裁判を受けたいと思うか。」
25:10 パウロは言った。「私は、皇帝の法廷に出頭しているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。よくご存じのとおり、私はユダヤ人に対して何も悪いことをしていません。
25:11 もし、悪いことをし、何か死罪に当たることをしたのであれば、決して死を免れようとは思いません。しかし、この人たちの訴えが事実無根なら、だれも私を彼らに引き渡すような取り計らいはできません。私は皇帝に上訴します。」
25:12 そこで、フェストゥスは陪審の人々と協議してから、「皇帝に上訴したのだから、皇帝のもとに出頭するように」と答えた。
25:13 数日たって、アグリッパ王とベルニケが、フェストゥスに敬意を表するためにカイサリアに来た。
25:14 彼らが幾日もそこに滞在していたので、フェストゥスはパウロの件を王に持ち出して言った。「ここに、フェリクスが囚人として残していった男がいます。
25:15 わたしがエルサレムに行ったときに、祭司長たちやユダヤ人の長老たちがこの男を訴え出て、有罪の判決を下すように要求したのです。
25:16 わたしは彼らに答えました。『被告が告発されたことについて、原告の面前で弁明する機会も与えられず、引き渡されるのはローマ人の慣習ではない』と。
25:17 それで、彼らが連れ立って当地へ来ましたから、わたしはすぐにその翌日、裁判の席に着き、その男を出廷させるように命令しました。
25:18 告発者たちは立ち上がりましたが、彼について、わたしが予想していたような罪状は何一つ指摘できませんでした。
25:19 パウロと言い争っている問題は、彼ら自身の宗教に関することと、死んでしまったイエスとかいう者のことです。このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです。
25:20 わたしは、これらのことの調査の方法が分からなかったので、『エルサレムへ行き、そこでこれらの件に関して裁判を受けたくはないか』と言いました。
25:21 しかしパウロは、皇帝陛下の判決を受けるときまで、ここにとどめておいてほしいと願い出ましたので、皇帝のもとに護送するまで、彼をとどめておくように命令しました。」
25:22 そこで、アグリッパがフェストゥスに、「わたしも、その男の言うことを聞いてみたいと思います」と言うと、フェストゥスは、「明日、お聞きになれます」と言った。
25:23 翌日、アグリッパとベルニケが盛装して到着し、千人隊長たちや町のおもだった人々と共に謁見室に入ると、フェストゥスの命令でパウロが引き出された。
25:24 そこで、フェストゥスは言った。「アグリッパ王、ならびに列席の諸君、この男を御覧なさい。ユダヤ人がこぞってもう生かしておくべきではないと叫び、エルサレムでもこの地でもわたしに訴え出ているのは、この男のことです。
25:25 しかし、彼が死罪に相当するようなことは何もしていないということが、わたしには分かりました。ところが、この者自身が皇帝陛下に上訴したので、護送することに決定しました。
25:26 しかし、この者について確実なことは、何も陛下に書き送ることができません。そこで、諸君の前に、特にアグリッパ王、貴下の前に彼を引き出しました。よく取り調べてから、何か書き送るようにしたいのです。
25:27 囚人を護送するのに、その罪状を示さないのは理に合わないと、わたしには思われるからです。」
使徒言行録 25章1節~27節

原稿のアイコンメッセージ

 今日の御言葉で、ユダヤの総督が、フェリクスからポルキウス・フェストゥスに代わっております。フェストゥスは、60年から62年までユダヤの総督でありましたから、今日の御言葉は60年頃の出来事となります。また、パウロもこのとき、もう60歳近い年齢でありました。西洋の画家が描いた監禁されているパウロの絵を見ますと、立派な髭を生やした男の姿が描かれています。私たちがパウロの姿を想像するとき、力に溢れる若々しい姿を思い浮かべるかも知れませんけども、パウロがこのとき、60歳近い年齢であったのです。

 さて、フェストゥスは、総督として着任して三日たってから、カイサリアからエルサレムへ上りました。エルサレムはユダヤの中心地であり、ユダヤ人の指導者たちと顔合わせをする必要があったのでしょう。しかし、そこで、祭司長たちやユダヤ人のおもだった人々がフェストゥスに頼んだことは、パウロをエルサレムへ送り返すように計らっていただきたいということでありました。前の総督であったフェリクスが未決囚として2年間も監禁したままにしておいたパウロを、彼らは忘れていなかったのです。忘れていなかったどころか、依然としてパウロを殺そうとたくらんでいたのでした。ユダヤ人たちは、フェストゥスがまだ事情をよく知らないことにつけ込んで、このように願ったのでした。けれども、フェストゥスは、パウロはカイサリアで監禁されており、自分も間もなくそこへ帰るつもりであると答え、「だから、その男に不都合なところがあるというのなら、あなたたちのうちの有力者が、わたしと一緒に下って行って、告発すればよいではないか」と言ったのでした。

 ユダヤ人たちは、このフェストゥスの言葉に従って、彼と一緒にカイサリアに下ったようであります。フェストゥスは、八日か十日ほどエルサレムに滞在してから、カイサリアに下ると、翌日、裁判の席に着き、パウロを引き出すように命令しました。ここでようやく2年もの間ほったらかしになっていたパウロの件が取り扱われることになります。着任して三日でエルサレムを視察し、カイサリアへ下ると翌日には裁判をはじめるフェストゥスの姿は、前任者のフェリクスとは対象的で、てきぱきと仕事をこなす真面目な人物であることがうかがえます。パウロが出廷すると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちが彼を取り囲んで、重い罪状をあれこれ言い立てましたが、それを立証することはできませんでした。これは、前回学んだ、二年前に総督フェリクスの前で行われた裁判の繰り返しであります。パウロは、「私は、ユダヤ人の律法に対しても、神殿に対しても、皇帝に対しても何も罪を犯したことはありません」と弁明しました。ユダヤ人たちは告訴したことを立証することができなかったのですから、パウロは不起訴で、自由の身とされるはずでありますが、フェストゥスは、ユダヤ人に気に入られようとして、パウロにこう言いました。「お前は、エルサレムに上って、そこでこれらのことについて、わたしの前で裁判を受けたいと思うか。」フェストゥスは、エルサレムを訪問した際、ユダヤ人の指導者たちがパウロをエルサレムに送り返すように計らっていただきたいという願いを忘れてはいなかったようです。しかし、ここでフェストゥスは、パウロに、ユダヤ人の法廷、つまり最高法院で裁判を受けたいかと聞いたわけではありません。場所をエルサレムに移して、わたしが裁判をしようと、フェストゥスは言っているわけです。それに対して、パウロは、「私は、皇帝の法廷に出頭しているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。」と答えました。総督は皇帝の代理人でありますから、総督が裁判官であるかぎり、場所がカイサリアであろうが、エルサレムであろうが、皇帝の法廷のはずですが、しかし、パウロは、それではもはや皇帝の法廷とは呼べなくなる危険があることを十分知っていたわけです。そのことは、主イエスの裁判を思い浮かべればよく分かります。主イエスの裁判も、ユダヤの総督ポンテオ・ピラトによるものであり、皇帝の法廷でありましたけども、そこではユダヤ人の殺意に押し切られる形で、イエスさまの十字架刑が確定したのでありました。フェストゥスは「お前は、エルサレムに上って、そこでこれらのことについて、わたしの前で裁判を受けたいと思うか。」とオブラートに包んだように尋ねましたが、実質それは、自分がユダヤ人の手に引き渡されることを意味するとパウロは考えたのです。ですから、パウロはもう一度自分の無罪を主張し、最後の手段に訴えるのです。「よくご存じのとおり、私はユダヤ人に対して何も悪いことをしていません。もし、悪いことをし、何か死罪に当たることをしたのであれば、決して死を免れようとは思いません。しかし、この人たちの訴えが事実無根なら、だれも私を彼らに引き渡すような取り計らいはできません。私は皇帝に上訴します。」

 パウロは、生まれながらのローマ市民でありましたから、皇帝に上訴する権利を持っておりました。それをここで用いたわけです。パウロは、地方総督による裁判では、公正な裁きは期待できないと考え、ローマの皇帝に上訴したのです。また、パウロがローマに行くには、もはや皇帝に上訴するしか道はないと考えたのでありましょう。パウロは、かつてエルサレムで聞いた主の御言葉を忘れてはおりませんでした。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」この主の御言葉を実現するためにも、パウロは、ローマの皇帝に上訴したのです。そこで、フェストゥスは陪審の人々と協議してから、「皇帝に上訴したのだから、皇帝のもとに出頭するように」と答えました。このフェストゥスの宣言によって、パウロの裁判は総督の手から離れ、ローマ皇帝へと移されたのであります。

 数日たって、アグリッパ王とベルニケが、フェストゥスに敬意を表するためにカイサリアへやって来ました。アグリッパ王は、正式にはヘロデ・アグリッパ二世で、使徒ヤコブを殺し、ペトロを捕らえたヘロデ・アグリッパ一世の息子にあたります。また、ベルニケはその妹でありました。前回でてきたフェリクスの妻ドルシラは、この二人の妹に当たります。アグリッパ王は、ユダヤ北部を支配するカルキスの王でありましたから、新しいユダヤ総督と良い関係を築きたいと願っていたのでありましょう。そして、この滞在中に、フェストゥスは、パウロの件を王に持ち出したのです。「ここに、フェリクスが囚人として残していった男がいます。わたしがエルサレムに行ったときに、祭司長たちやユダヤ人の長老たちがこの男を訴え出て、有罪の判決を下すように要求したのです。わたしは彼らに答えました。『被告が告発されたことについて、原告の面前で弁明する機会も与えられず、引き渡されるのはローマ人の慣習ではない』と。それで、彼らが連れ立って当地へ来ましたから、わたしはすぐにその翌日、裁判の席に着き、その男を出廷させるように命令しました。告発者たちは立ち上がりましたが、彼について、わたしが予想していたような罪状は何一つ指摘できませんでした。パウロと言い争っている問題は、彼ら自身の宗教に関することと、死んでしまったイエスとかいう者のことです。このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです。わたしは、これらのことの調査の方法が分からなかったので、『エルサレムへ行き、そこでこれらの件に関して裁判を受けたくはないか』と言いました。しかしパウロは、皇帝陛下の判決を受けるときまで、ここにとどめておいてほしいと願い出ましたので、皇帝のもとに護送するまで、彼をとどめておくように命令しました。」

 ここに記されていることは、これまでのことをまとめたものでありますが、単なる繰り返しではなく、言い換えられていたり、付け加えられることによって新しい情報も盛り込まれています。例えば19節には、フェストゥスがパウロの件をどのように捉えていたかが記されています。「パウロと言い争っている問題は、彼ら自身の宗教に関することと、死んでしまったイエスとかいう者のことです。このイエスが生きているとパウロは主張しているのです。」このフェストゥスの見解は、パウロをエルサレムで救助した千人隊長クラウディウス・リシアと同じ見解であると言えます。ただし、ここでさらに明らかになっていることは、パウロが「イエスが生きている」と主張していたことであります。パウロは、守りの姿勢で弁明していただけではなくて、攻めの姿勢で、イエスの復活を弁証していたのです。なぜなら、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望は、イエスの復活において実現したからです。フェストゥスは、「わたしはこれらのことの調査の方法が分からなかったので」と言っておりますが、死んだイエスが復活し、今も生きていることは、人間の調査によって証明できるようなものではありません。なぜなら、イエスが生きているということは、復活した主イエスの聖霊のお働きによって、はじめて分かることであるからです。しかし、まったく論証できないかと言えばそうではありません。聖書自身が、イエス・キリストの復活を論証している書物であり、またキリスト教会がその歴史を通して証言してきたのも、イエスは生きておられるということでありました。教会は、イエス・キリストの復活を証言するために、週の初めの日に集まり、礼拝をささげているのです。

 フェストゥスは、「パウロが、イエスは生きていると主張している」と申しましたけども、それは単なる主義主張ではなく、パウロの存在そのものと深く結びついておりました。パウロは、ガラテヤの信徒への手紙において、「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。」と述べています。パウロは、イエス・キリストの命に生かされていたのです。パウロはすでに、イエス・キリストとの生きた交わり、霊的な交わりに生かされていたのであります。そのことは、パウロが記した獄中書簡を読めばよく分かります。エフェソの信徒への手紙、フィリピの信徒への手紙、コロサイの信徒への手紙、フィレモンへの手紙は、パウロが監禁中に記した手紙であり、獄中書簡と呼ばれています。その獄中書簡を読めば、パウロが牢獄という死と隣り合わせの状況で、どれほど豊かな福音理解に生かされていたかを知ることができます。フィリピの信徒への手紙には、「主にあって喜びなさい」と何度も記されています。パウロは、牢獄に捕らえられておりながら、フィリピの信徒たちに対して、「わたしと一緒に喜びなさい」と呼びかけるのです。キリストの復活を信じるということは、こういうことでありますね。人間的に見れば、何の喜びもないところで、なお喜ぶことができる。復活し、今も生きておられるイエスさまが、聖霊において私たちと共にいてくださるから、喜ぶことができるのです。その喜びに支えられて、パウロは「イエスは生きておられる」と主張したのです。

 フェリクスからパウロの話を聞いたアグリッパ王は、「わたしも、その男の話を聞いてみたいと思います」と興味を抱きました。そして、それは翌日実現することになります。翌日、アグリッパとベルニケが盛装して到着し、千人隊長や町のおもだった人々と共に謁見室に入ると、フェストゥスの命令でパウロが引き出されました。この時のパウロは鎖につながれており、みすぼらしい姿であったと思います。ここでフェストゥスが述べていることも、これまでの繰り返しですが、パウロを、彼らの前に、特にアグリッパ王の前に引き出した理由について触れています。皇帝のもとへ護送するために確かな罪状を書き記すためであると言うのです。こうして、パウロは総督や王の前で、イエスさまについて証しをすることになるのです(ルカ21:12、13、使徒9:15)。 

 私たちは今日、午後から半日修養会を予定しております。テーマは年間テーマの「福音を伝えよう」でありますが、それとの関わりでいえば、「十字架に死んだイエスは復活し、今も生きておられる」というこの主張こそが福音であります。復活されたイエスさまは、天へと上げられる前、弟子たちにこう仰せになりました。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」わたしの証人とは、イエスは生きておられることの証人ということであります。そして、このことは、聖霊を与えられて、イエスさまとの生きた交わりに今生かされている者たちだけが証言できることなのです。言葉だけではなくて、全存在をもって、主イエスは生きておられることを証しすることが私たちにも求められているのです。私たちが主イエスの証人として生きるようになるならば、それに従って当然私たちの生き方も変えられて行きます。自分中心から神中心へと、キリスト中心へと変えられていくのです。パウロは、ローマの信徒への手紙の14章7節から9節でこう記しています。「わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きた人にも主となられるためです。」

 私たちはイエスさまをだてに主イエスと読んでいるわけではありません。私たちは生きるにしても、死ぬにしても主のものであります。私たちの人生も主のものなのです。それゆえ私たちは、「わたしの内にもイエスが生きておられる」ということができるのです。復活の聖霊を与えられた私たちの交わりの中に、主イエスは生きておられるのです。この礼拝の中に主イエスは生きておられるのであります。ですから、今も生きておられるイエスさまにお会いしたければ、礼拝に来ればよいのです。「本当に、イエスさまは生きておられるのですか」と尋られたら、「礼拝に来れば分かります」とお答えしてよいのであります。イエスは今も生きておられる。それゆえ、罪に汚れた私たちが、大胆に神の御前に出ることができるのです。自分の罪を認めながら、なおかつ神さまを「アッバ、父よ」と呼ぶことができるのです。私たちの罪のために死に、復活してくださったイエスさまが、今も生きておられるから、私たちは神と共に生きることができるのです。

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