主の御心が行われますように 2008年2月17日(日曜 朝の礼拝)

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主の御心が行われますように

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
使徒言行録 21章1節~16節

聖句のアイコン聖書の言葉

21:1 わたしたちは人々に別れを告げて船出し、コス島に直航した。翌日ロドス島に着き、そこからパタラに渡り、
21:2 フェニキアに行く船を見つけたので、それに乗って出発した。
21:3 やがてキプロス島が見えてきたが、それを左にして通り過ぎ、シリア州に向かって船旅を続けてティルスの港に着いた。ここで船は、荷物を陸揚げすることになっていたのである。
21:4 わたしたちは弟子たちを探し出して、そこに七日間泊まった。彼らは“霊”に動かされ、エルサレムへ行かないようにと、パウロに繰り返して言った。
21:5 しかし、滞在期間が過ぎたとき、わたしたちはそこを去って旅を続けることにした。彼らは皆、妻や子供を連れて、町外れまで見送りに来てくれた。そして、共に浜辺にひざまずいて祈り、
21:6 互いに別れの挨拶を交わし、わたしたちは船に乗り込み、彼らは自分の家に戻って行った。
21:7 わたしたちは、ティルスから航海を続けてプトレマイスに着き、兄弟たちに挨拶して、彼らのところで一日を過ごした。
21:8 翌日そこをたってカイサリアに赴き、例の七人の一人である福音宣教者フィリポの家に行き、そこに泊まった。
21:9 この人には預言をする四人の未婚の娘がいた。
21:10 幾日か滞在していたとき、ユダヤからアガボという預言する者が下って来た。
21:11 そして、わたしたちのところに来て、パウロの帯を取り、それで自分の手足を縛って言った。「聖霊がこうお告げになっている。『エルサレムでユダヤ人は、この帯の持ち主をこのように縛って異邦人の手に引き渡す。』」
21:12 わたしたちはこれを聞き、土地の人と一緒になって、エルサレムへは上らないようにと、パウロにしきりに頼んだ。
21:13 そのとき、パウロは答えた。「泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。」
21:14 パウロがわたしたちの勧めを聞き入れようとしないので、わたしたちは、「主の御心が行われますように」と言って、口をつぐんだ。
21:15 数日たって、わたしたちは旅の準備をしてエルサレムに上った。
21:16 カイサリアの弟子たちも数人同行して、わたしたちがムナソンという人の家に泊まれるように案内してくれた。ムナソンは、キプロス島の出身で、ずっと以前から弟子であった。使徒言行録 21章1節~16節

原稿のアイコンメッセージ

 今日の御言葉には、小見出しにもありますように、パウロがいよいよエルサレムへ上ったことが記されています。私たちは、三度にわたって、ミレトスにおけるパウロの告別説教を学んだわけでありますけども、そのミレトスからエルサレムへの道筋が今日の御言葉では、詳しく記されています。また、今日の御言葉は、「わたしたちは」と一人称複数形で記されています。これは、使徒言行録の執筆者であるルカが、パウロ一行に同行していたということを教えています。20章の5節から、いわゆる「わたしたち章句」が再開されましたけども、今日の御言葉でも続けて、「わたしたちは」と記されているのです。このことは、ミレトスにおけるパウロの告別説教を、ルカも直接聞いたということを教えています。パウロの語った決意の言葉を、パウロの同伴者であるルカたちも聞いていたのです。パウロは、20章の22節から24節で、こう語っておりました。「そして今、わたしは、霊に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきりと告げてくださっています。しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。」

 パウロは、このような覚悟をもって、ミレトスの長老たちに別れを告げ、コス島に直航したのです。その別れの場面が、20章の36節から38節にこう記されています。「このように話してから、パウロは皆と一緒にひざまずいて祈った。人々は皆激しく泣き、パウロの首を抱いて接吻した。特に、自分の顔をもう二度と見ることはあるまいとパウロが言ったので、非常に悲しんだ。人々は船まで見送りに行った。」

 私たちの心を打つ、情感に溢れる場面であります。言葉を尽くして語ったパウロは、皆とひざまずいて祈ったのです。パウロは、32節で「そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。」と言いましたけども、その具体的な行為がここに記されています。あなたがたを神にゆだねるとはどういうことか。それは、あなたがたのために祈り続けるということなのです。神さまにゆだねたから、もうわたしはあなたたちと関わりがないということではありません。神さまにあなたがたをゆだねるとは、具体的には、いつもあながたのことを思い起こして祈り続けるということなのです。そして、ここでは「皆と一緒にひざまずいて」とあります。パウロだけではない。エフェソの長老たちも、パウロのために心を尽くして祈ったのです。「ひざまずいて」とありますけども、これは主イエスがオリーブ山で祈られたときの祈りの姿勢であります(ルカ22:41)。心を注いで祈るとき、イスに座ってなどいられない。思わず、ひざますいて祈るということが皆さんにもあると思います。イエスさまは、山上の説教の中で密室の祈りについて教えられましたけども、私たちも密室の祈りにおいて、一度、ひざまずいて祈ってみたらよいと思うのです。そのとき、神さまの御前にへりくだるとはどういうことかが、身をもって分かると思います。そして、イスに座って祈っていても、その心はいつもひざまずいているという祈りの姿勢を保ち続けることができるようになると思うのです。

 パウロは皆と一緒にひざますいて祈りました。そして、ここには書いておりませんけども、その祈りの交わりの中に主イエスが聖霊において御臨在してくださったのです。このように、互いのために主に祈ることができる。祈りをもって、別れることができる。これは私たちキリスト者に与えられた、大きな恵みであると言えます。自分のことを話して恐縮ですが、わたしは、休暇のとき、出身教会の坂戸教会で礼拝を守ることがあります。昨年でしたけども、わたしが親しくしていた長老さんが、重い病にかかりまして、鼻に管を通しながら礼拝に出席されておりました。礼拝後にひさしぶりにその長老さんとお話しをしました。しばらく話した後に、長老さんの方から、「一緒に祈りましょう」と言い出され、わたしのために祈ってくださったのです。重い病にありながら、わたしに会えたことを喜んでくださり、わたしのために祈ってくださった。そのお姿を、わたしはこの所を読みながらまざまざと思い起こしたのです。そのようなことは、皆さんにもそれぞれ経験があると思います。病の中にある方のお見舞いに行く。そのとき、その病が重ければ重いほど、私たちは言葉を失います。かける言葉が見つからない。しかし、そこで、主に祈ることはできる。そのとき、私たちは主にあって語る言葉を与えられるのです。パウロとエフェソの長老たちもそうであったと思います。悲しみの中にも、その底流には失われることのない慰めが流れている。それが、わたしとあなたの間には、主イエスがおられるということなのです。

 さて、パウロ一行が歩んだ道筋を、地名だけをあげて見ていきますと、コス島に直航し、翌日ロドス島に着き、パタラに渡ったとあります。これは、地名だけ言われてもよく分かりませんので、巻末の聖書地図を開いてみたいと思います。「8 パウロの宣教旅行2,3」をお開きください。。点線で記されているのが第3次旅行です。ミレトス、コス、ロドス、パタラが見つかったでしょうか。このように、ミレトス、コス、ロドス、パタラ、これは陸に沿っての航海と言えます。けれども、パタラからフェニキアのティルスまでは、これは地中海を横切る航海となります。2節に「フェニキアに行く船が見つけたので、それに乗って出発した。」とありますけども、パタラにおいて、パウロたちは大きな商船に乗り換えたようです。「やがてキプロス島が見えてきたが、それを左にして通り過ぎ」とありますように、その情景が目に浮かぶような生き生きとした筆遣いでこのところは記されています。まさに、同行者ならではの筆遣いと言えるでしょう。使徒言行録に戻りましょう。新約聖書の255ページです。

 パタラにおいてパウロたちが乗り込んだ船は、今で言う貨物と乗客を一緒に乗せる貨客船であったようです。ティルスにおいて、船は荷物を陸揚げすることになっていたと記されています。おそらく、あらかじめ、乗客には、一週間後に出発すると知らせてあったのでしょう。パウロたちは、弟子たちを探し出して、そこに七日間泊まりました。パウロたちが弟子たちを探したのは、泊まる場所が必要であったこともありますが、それよりも、その地で暮らすキリスト者との主にある交わりを求めてのことでありましょう。パウロは、このときすでにローマの信徒への手紙を記しておりましたが(使徒20:3)、その1章8節から12節にこう記しております。「まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。わたしは、御子の福音を宣べ伝えながら心から神に仕えています。その神が証ししてくださることですが、わたしは祈るときはいつもあなたがたのことを思い起こし、何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように願っています。あなたがたにぜひ会いたいのは、霊の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。」

 このパウロの思いは、ティルスにおいても同じであったと思います。ティルスにおいても、パウロは霊の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいと願った。また、互いの信仰によって励まし合いたいと願ったのです。キリスト者の交わり、主にある交わりを切に求める熱心が、ティルスの弟子たちを探し出させたのです。けれども、ティルスの弟子たちは励ますどころか、霊に動かされ、エルサレムへ行かないようにと、パウロに繰り返して言ったのでありました。この「霊に動かされて」という言葉は、原文を直訳すると「霊によって」となります。パウロは、エフェソの長老たちに、わたしは聖霊に促されてエルサレムに行くと言ったのでありますけども、ここでティルスの弟子たちは、その聖霊によって、エルサレムへ行かないようにと、パウロに繰り返し言ったのです。これを私たちはどのように理解すればよいのか。そのことは後ほどお話しすることにいたしまして、ともかく、滞在期間が過ぎたとき、つまり荷物の陸揚げが終わったとき、パウロたちはそこを去って旅を続けることにしたのです。ここにも、先程のエフェソの長老たちとの別れを思い起こさせる美しい場面が描かれています。パウロたちとティルスの弟子たちは、一週間の交わりでありましたけども、昔から知っていたような親しい交わりに生きる者とされていたのです。主にある交わりというものは、しばしばこのように時を越えてしまうということがあるのだと思います。3泊4日の青年修養会などに出席しますと、本当に親しい交わりが与えられる。それこそ、まるで昔からの友人のような豊かな交わりが与えられるということがあると思います。ここでも、「ひざまずいて祈り」と記されています。互いを主にゆだね、心を注いで祈る教会の姿を私たちはここに見ることができるのです。

 ティルスから、プトレマイオス、さらにはカイサリアへと、一行はいよいよエルサレムへと近づいてゆきます。8節を見ますと、「翌日そこをたってカイサリアに赴き、例の七人の一人である福音宣教者フィリポの家に行き、そこに泊まった。」とあります。使徒言行録の6章を見ますと、エルサレム教会で、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出たことが記されておりました。その食卓の奉仕をするために、霊と知恵に満ちた評判の良い人、7人が選ばれたことが記されています。フィリポはその七人の一人であったのです。フィリポについては、8章4節以下にも記されています。使徒たちに先んじて、サマリアで福音を告げ知らせたのはフィリポでありました。また、異邦人であり宦官であったエチオピアの高官に、イエスについての福音を告げ知らせ、洗礼を授けたのもフィリポでありました。8章の40節を見ますとこう記されています。「フィリポはアゾトに姿を現した。そして、すべての町を巡り歩きながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行った。」ですから、フィリポはカイサリアにそのままとどまっていたようです。この8章40節から、今日の御言葉までは、20年近くの年月が流れておりまして、フィリポには、預言をする4人の未婚の娘がおりました。これは、一家そろって主にお仕えしていたということです。カルヴァンは、これはフィリポの名誉のために書かれていると注解しています。そのフィリポの家にパウロたちは滞在したのです。そして、幾日かしてユダヤからアガボという預言者が下ってきました。このアガボは、11章28節で、すでに出てきましたが、大飢饉が世界中に起こると霊によって予告し、それがクラウディウス帝の時に起こったと記されています。アガボはいわば、巡回教師ならぬ、巡回預言者であったわけです。そのアガボが、パウロの帯を取り、それで自分の手足を縛ってこう言ったのです。「聖霊がこうお告げになっている。『エルサレムでユダヤ人は、この帯の持ち主をこのように縛って異邦人の手に引き渡す。』」

 帯で手足を縛るこの仕草は、鎖で手足を縛られることを表す象徴的行為です。このような象徴行為は、旧約預言者においてもよく見られたことでありました。一つだけ例をあげますと、主は、イザヤに裸、はだしでで歩きまわるように命じられました。これは、エジプトとクシュが、アッシリアの王によって捕囚とされ、若者も老人も裸、はだしで引いて行かれることを示すものでありました。それと同じように、預言者アガボは、パウロの帯を用いて、これからパウロがどのようになるかをあらかじめ実演して見せたのです。このアガボの言葉は、主イエスの死と復活の予告を私たちに思い起こさせます。イエスさまも、御自分が異邦人に引き渡されることを予告なされました(ルカ18:32)。前々回、パウロの歩みは、「キリストにならいて」の歩みであると申しましたけども、主イエスが、エルサレムで異邦人の手に引き渡されたように、パウロもエルサレムで、異邦人の手に引き渡されると言うのです。12節に、「わたしたちはこれを聞き、土地の人と一緒になって、エルサレムへは上らないようにと、パウロにしきりに頼んだ。」とあります。ティルスにおいては、旅を続けた「わたしたち」も、ここでは土地の人と一緒になって、エルサレムへは上らないようにと、パウロにしきりに頼んだのです。この「土地の人」とは、まず何よりフィリポのことでありましょう。フィリポは、先程も申しましたように、サマリアで福音を伝え、エチオピアの高官に洗礼を授け、福音を伝えながらカイサリアにやって来た人物でありました。けれども、そもそもは、エルサレム教会の食卓の奉仕者であったのです。このフィリポを含む7人は、現在の執事職の起源と言われておりますが、現代の多くの新約学者の指摘するところによりますと、この7人はギリシア語を話すユダヤ人キリスト者の指導者たちであったと言われています。思い起こしていただきたいのですが、エルサレム教会には、ヘブライ語を話すユダヤ人と、ギリシア語を話すユダヤ人の大きく二つのグループがありました。そして、このグループは、律法や神殿についての考え方にいささか違いがあったのです。一言で申しますと、ギリシア語を話すユダヤ人キリスト者は、イエス・キリストにおいて神殿祭儀は終わりを迎えたと考えたのです。そのことは、ステファノの説教において説かれたことであります。ですから、ステファノの殺害をきっかけとして起こった大迫害は、ギリシア語を話すユダヤ人キリスト者だけが対象となったのです。ヘブライオイである使徒たちは依然としてエルサレムに留まり続けることができたわけですね。8章1節から5節にはこう記されています。「サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。さて、散って言った人々は福音を告げ知らせながら巡り歩いた。フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。」

 このように、フィリポがエルサレムを出て行かねばならなかったのは、エルサレムの教会に対して大迫害が起こったからでありました。そして、その迫害の急先鋒とも言えるのが、パウロであったのです。しかし、そのような迫害者であったパウロが、今はイエス・キリストの使徒となり、フィリポの家の客として迎え入れられているのです。先程、ティルスの兄弟たちが霊に導かれてエルサレムに行かないようにパウロに繰り返して言ったとありましたが、このティルスの教会も、もともとは、ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々から始まったのです(使徒11:19)。しかし、その人々が、パウロの身を心から按じ、ひざまずいて祈るものとなっている。フィリポにおいても同じであります。フィリポも、エルサレムへ上らないようにとしきりにパウロに頼んだのです。かつて自分たちを迫害した者の身を心から按じる者となっているのです。もうそのようなことは忘れてしまって、主にある兄弟姉妹として心から愛し合う者へと変えられているのです。こう見てきますと、20年という時の流れの中で働かれた主のくすしき御業を思わずにはおれません。主イエスの御業は、互いに愛し合う者へと彼らを造りかえてくださったのです。彼らばかりではありません。主イエスにあって私たちも、互いに愛し合うことができる者とされているのです。

 ここでは、「わたしたちはこれを聞き」とあるように、ルカまでも、パウロにエルサレム行きを断念するよう願いました。ミレトスでの告別説教を聞いていたルカでさえも、パウロにエルサレムに上らないようにとしきりに頼んだのです。それほど、アガボの象徴行為とその言葉は強い印象を与えたのでしょう。先程、4節の「彼らは霊に動かされ、エルサレムへ行かないようにと、繰り返し言った。」という言葉をどのように理解すればよいのかと申しましたけども、おそらく、このアガボと同じ、聖霊のお告げがあったのだと思いますね。このようなお告げを受けたとき、人々は、何と考えたか。彼らは、パウロはエルサレムに行かない方がよいと考えたわけです。聖霊が、直接、パウロはエルサレムへ上ってはならないと言ったわけではないのです。聖霊は、エルサレムでパウロがどうなるかを告げているだけなのです。ただ、それが自分たちにとって喜ばしくないと思えるので、それを聞いた人々が、エルサレムに行かないように言っていると解釈したわけです。このことは、主イエスをいさめたペトロのことを思い起こせばよく分かると思います(マタイ16:21以下)。イエスさまが御自分の苦難の死と復活を弟子たちに教えられると、ペトロはイエスさまをわきへお連れしていさめてこう言うのです。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」しかし、イエスさまはそのペトロに対してこう言うのです。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」それからイエスさまは、弟子たちに「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負ってわたしに従いなさい。」と言われるのです。ペトロは、イエスさまの身を按じて、「そんなことがあってはなりません」といさめました。けれども、イエスさまは、そのペトロを「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」とお叱りになったのです。なぜ、イエスさまは、ペトロを「サタン」とまで呼ばれたのか。それは、イエスさまの心にも、できればエルサレムで待つ苦難の死を避けたいという思いがあったからでしょう。そのような思いがあったからこそ、ペトロの言葉を即座に退けられたのです。事実、イエスさまは、十字架に渡される夜、オリーブ山で「父よ、御心なら、この杯を取りのけてください。」と祈られたのです。けれども、そのように祈られたイエスさまは、続けてこう祈られたのです。「しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行っってください。」イエスさまは、御自分の意志ではなく、神さまの御意志が実現することを第一とされました。けれども、ペトロは、神さまではなく、人間の意志を第一とした。そして、それはエルサレムの道からイエスさまを引き離すことであったゆえに、ペトロはサタンとまで呼ばれたのです。主イエスは、そのペトロの言葉に、荒れ野におけるサタンの誘惑と同じ響きを聞き取ったのです。イエスさまの歩みというものは、まことに不思議な歩みだと思います。福音書によれば、イエスさまは三度、エルサレムにおける苦難の死と復活を弟子たちに予告されました。これが旧約聖書からイエスさまが読み取られた御自分に定められた道であったのです。エルサレムで十字架の死が待っていると知りながら、そのことを弟子たちに予告されながら、イエスさまはエルサレムへと進んでいくのです。そもそも、死にたくなければ、エルサレムに行かなければよかったのです。それこそ、ガリラヤにひっこんでいれば、平穏無事な生涯を送ることができたはずです。けれども、それはイエスさまに定められた道ではありませんでした。イエスさまに定められた道、それは十字架の死を通して、復活し、天に上げられるという道であったのです。苦難から栄光へ。これがメシアであるイエスさまの歩むべき道でありました。イエスさまは、十字架の死と復活を見据えながら、弟子たち共にエルサレムへと上られたのです。

 今日の御言葉に記されているパウロの姿は、ちょうどこの主イエスのお姿を映し出すものであります。ルカをはじめとする人々が、パウロにエルサレムへ上らないようにとしきりに頼んだのは、パウロのためを思ってのことでありました。パウロを愛するがゆえであったのです。その愛を与えてくださったのは聖霊でありますから、その意味では、「聖霊によって、エルサレムに上らないようにと願った」と言うこともできるでしょう。けれども、パウロは、自分に定められた道をもう一度ここではっきりと宣言するのです。「主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。」なぜか。それは、エルサレムにおいて主イエスの福音を証しすることがパウロにとっての主の御心だからです。パウロは、聖霊のお告げを通して、エルサレムで自分がどのようになるかを知らされました。人々は、それを避けるべき警告として理解しました。けれども、それはパウロにとって、そこに主の御心を見出し、自ら喜んで従うための、主の導きであったのです。そして、祈りによって確固とされたパウロの決意が、一同を「主の御心が行われますように」との祈りへと引き上げたのでありました。パウロの決意によって、一同のものたちが、主の御心を第一とする主イエスに倣う者へと変えられたのです。

 15節に、「数日たって、わたしたちは旅の準備をしてエルサレムに上った。」とありますけども、ここでの準備は何より、自分の意志よりも神の御意志が行われることを祈り求める心であると言えるのです。そして、それは、私たちが主の日の礼拝ごとに整えていただく心でもあるのです。

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