ペトロの救出 2007年6月10日(日曜 朝の礼拝)

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ペトロの救出

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
使徒言行録 12章1節~19節

聖句のアイコン聖書の言葉

12:1 そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、
12:2 ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。
12:3 そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえようとした。それは、除酵祭の時期であった。
12:4 ヘロデはペトロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越祭の後で民衆の前に引き出すつもりであった。
12:5 こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。
12:6 ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは戸口で牢を見張っていた。
12:7 すると、主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロのわき腹をつついて起こし、「急いで起き上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。
12:8 天使が、「帯を締め、履物を履きなさい」と言ったので、ペトロはそのとおりにした。また天使は、「上着を着て、ついて来なさい」と言った。
12:9 それで、ペトロは外に出てついて行ったが、天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った。
12:10 第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門の所まで来ると、門がひとりでに開いたので、そこを出て、ある通りを進んで行くと、急に天使は離れ去った。
12:11 ペトロは我に返って言った。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」
12:12 こう分かるとペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた。
12:13 門の戸をたたくと、ロデという女中が取り次ぎに出て来た。
12:14 ペトロの声だと分かると、喜びのあまり門を開けもしないで家に駆け込み、ペトロが門の前に立っていると告げた。
12:15 人々は、「あなたは気が変になっているのだ」と言ったが、ロデは、本当だと言い張った。彼らは、「それはペトロを守る天使だろう」と言い出した。
12:16 しかし、ペトロは戸をたたき続けた。彼らが開けてみると、そこにペトロがいたので非常に驚いた。
12:17 ペトロは手で制して彼らを静かにさせ、主が牢から連れ出してくださった次第を説明し、「このことをヤコブと兄弟たちに伝えなさい」と言った。そして、そこを出てほかの所へ行った。
12:18 夜が明けると、兵士たちの間で、ペトロはいったいどうなったのだろうと、大騒ぎになった。
12:19 ヘロデはペトロを捜しても見つからないので、番兵たちを取り調べたうえで死刑にするように命じ、ユダヤからカイサリアに下って、そこに滞在していた。使徒言行録 12章1節~19節

原稿のアイコンメッセージ

 1節、2節をお読みします。

 そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。

 今朝の御言葉では、お話しの舞台がエルサレムへと移っております。ここでのヘロデ王は、ヘロデ・アグリッパ一世のことです。聖書には三人のヘロデが出てきます。一人目は、イエス様がお生まれになったとき、ユダヤの王であったヘロデ大王です(マタイ2:1)。ヘロデ大王は、ベツレヘムに救い主がお生まれになったと聞くと、その周辺の二歳以下の男の子を、一人残らず殺させたと言われます。救い主としてお生まれになったイエス様を殺そうとした王でありました。二人目は、イエス様がおよそ30歳で公生涯を始められた時、ガリラヤとペレアの領主であったヘロデ・アンティパスです(ルカ3:1)。彼はヘロデ大王の二番目の息子です。洗礼者ヨハネを殺害し、イエス様を尋問したのは、領主ヘロデ・アンティパスでありました。そして、三人目が今朝の御言葉で出てくるヘロデ・アグリッパ一世です。このヘロデは、ヘロデ大王の孫、領主ヘロデ・アンティパスの甥にあたります。ヘロデ・アグリッパ一世は、ローマ皇帝カリグラによって王の地位を与えられ、次第に勢力を得て、祖父ヘロデ大王と同じく全パレスチナを支配するようになりました。41年から44年までの4年間、ヘロデ・アグリッパは、ユダヤ人の王として君臨したのです。これまで、エルサレムは、ローマ総督の支配下におかれていましたが、エルサレムもヘロデの支配下におかれるようになったのです。そのヘロデが着手したこと。それが、教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺すということでありました。ヨハネの兄弟ヤコブとは、12使徒の一人であるヤコブのことです。ヘロデ・アンティパスが王に君臨することによって、王の手によって、教会は迫害されるようになったのです。それも、教会の土台と言える12使徒にその手が伸び、その一人であるヤコブが剣で殺されたというのですから、これは教会にとって大変衝撃的な事件でありました。かつてのステファノの事件をきっかけにして起こった迫害の時には、「使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリア地方に散って行った」とありました。12使徒は、イエス・キリストの十字架の死と復活の証人として立てられた者たちでありましたから、命がけでエルサレムに踏みとどまったとも考えることができます。さらに、またこのようにも考えられるのです。ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害は、ステファノと同じ、ギリシア語を話すヘレニストのユダヤ人を対象とするものであったと。午後の祈りの時に、神殿にちゃんと詣でていたヘブライ語を話すユダヤ人であった使徒たちはその迫害を免れることができたとも考えられるのです。しかし、その使徒たちがここでは、迫害の対象となっています。ヤコブは剣で殺され、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、ヘロデは更にペトロをも捕らえたのです。ヘロデ自身も熱心なユダヤ教徒であったと言われますけども、ここで「それがユダヤ人に喜ばれるのを見て」とありますように、教会を迫害したのは、ユダヤ人への迎合政策によるものでありました。ヘロデは、ヘロデ大王と同じくイドマヤ人の血を引くものでありましたから、ある負い目を持っていたのかも知れません。旧約聖書の申命記17章には「王に関する規定」が記されておりますが、そこに「同胞でない外国人をあなたの上に立てることはできない」と記されています。この掟のゆえに、ユダヤ人の中には、イドマヤ人の血を引くヘロデの統治を嫌う者たちが多くいたのです。ちょうど、ギリシアの都市を支配するとき、その住民のご機嫌を取るために、劇場、競技場などを建設するように、ヘロデは、ユダヤ人たちのご機嫌を取るために、人々から不信の目で見られていた教会を迫害したのです。これまで、教会は、サドカイ派を中心とする最高法院からは敵対視されておりましたが、どちらかと言うと民衆からは好意を寄せられておりました。しかし、この頃の教会は、どうやらユダヤ人全般から不信の目で見られていたようであります。その原因となったのは、教会が、異邦人に割礼を受けさせることなく、その交わりに迎え入れたことにあったのではないかと思います。以前お話ししましたように、たとえ、誰々がメシアであると主張しても、律法を重んじるのであれば、ユダヤの宗教の一派と見なされておりました。しかし、この時の教会は、ユダヤ人の目からして、どうも怪しい集団に見えたようであります。そのようなエルサレムの雰囲気を背景として、ヤコブが殺され、また、使徒たちの筆頭であり、異邦人宣教の張本人であるペトロが捕らえられたのです。そして、それはちょうどイエス様が捕らえられたのと同じ除酵祭の時期であったのです(ルカ22:1)。

 4節、5節をお読みします。

 ヘロデは、ペトロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越祭の後で民衆の前に引き出すつもりであった。こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。

 ヘロデは、ローマ人のしきたりに倣って、四人一組の兵士四組にペトロを引き渡し監視させます。昼と夜の十二時間をそれぞれ四つに区分し、三時間ずつ交代で監視させたのです。そして、大勢の人々がエルサレムに集まる過越祭が終わった後で、ペトロを民衆の前に連れ出し処刑するつもりであったのです。それに対して、教会は何をしたのでしょうか。教会がしたこと、それはペトロのために神に熱心に祈るということでありました。心を一つにして祈り続けていたのです。ヘロデ王という絶対的な権力による迫害の嵐が吹きすさぶ中で、教会は他に一体何ができただろうか。彼らにできること、それは祈ることだけであったとも言うことができます。しかし、もっと積極的に言えば、全能者なる主なる神に祈りをささげることこそ、教会に与えられた最善の道であり、最も力ある武器でもありました。特に、それが私たち人間の力ではどうしようもないと思われる時、父なる神にお祈りをすることができるのはキリスト者だけに与えられた恵みであり、特権であります。この時も、まさにそうであったわけです。ペトロはヘロデ王によって、厳重な監視下のもと捕らえられていたわけでありますから、ここからペトロを救出するのは、人間的に考えれば不可能であります。それゆえ、教会ではペトロのために熱心な祈りが神にささげられていたのです。

 6節から10節までをお読みします。

 ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは戸口で牢を見張っていた。すると、主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロのわき腹をつついてお起し、「急いで起き上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。天使が、「帯を締め、履物を履きなさい」と言ったので、ペトロはそのとおりにした。また、天使は、「上着を着て、ついて来なさい」と言った。それで、ペトロは外に出てついて行ったが、天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った。第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門の所まで来ると、門がひとりでに開いたので、そこを出て、ある通りを進んで行くと、急に天使は離れ去った。

 ヘロデがペトロを引き出そうとしていた前夜、最後の最後でペトロは主の天使によって、牢から開放されます。ここで、私たちの目を引くのは、ペトロが鎖につながれたまま、二人の兵士の間で眠っていたということです。ペトロは天使にわき腹をつついてもらわねば起きないほど熟睡していたのです。明日、処刑されるかもしれないというのに、ペトロはこのとき安心して眠ることができたのです。それは、ペトロが主にすべてをお委ねしていたからでありましょう。後にパウロが「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです」と語っているように、ペトロは、生きるにしても、死ぬにしてもすべてを主に委ねて、その心は平安であったのです(ローマ14:8)。先程、除酵祭は、かつて主イエスが捕らえられた頃であったと申し上げましたが、それはペトロにとって、主イエスを三度拒んだという苦い思い出と結び合わされて思い起こされたことであろうと思います。最後の晩餐の席において、ペトロは主イエスに、「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と語りました。しかし、それから数時間後に、ペトロはわが身かわいさに、主イエスとの関係を三度否定してしまうのです。けれども、それから10数年経って、ペトロはそのとき自分が語った通りに、主イエスのために牢に入り、死んでもよいと覚悟していたのであります。ペトロは、牢獄の中で、そのことを思い起こしていたと思います。そして、それは剣で殺されたヨハネの兄弟ヤコブも同じであったと思うのです。かつてヤコブは、弟のヨハネと共に、イエス様にあるお願いをしておりました。そのことが、マルコによる福音書10章35節以下に記されています。新約聖書の82ページ、マルコによる福音書の10章35節から41節までをお読みいたします。

 ゼベタイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、二人は言った。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているのか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」彼らが、「できます」と言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは定められた人々に許されるのだ。」ほかの十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた。

 イエス様は、ヤコブとヨハネに「わたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることができるか」と問われ、「できます」と答えました。そして、イエス様も「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる」と言われたのです。イエス様が飲む杯、イエス様が受ける洗礼とは、父なる神の御心を実現するための苦難の死のことでありました。その杯を飲み、その洗礼を受けることができるかとイエス様は問われたのです。そして、二人はけなげにも「できます」と答えたのでありました。先程のペトロと同じように、「イエス様と御一緒ならば、どのような苦難にも耐えて見せましょう」と言ってのけたのです。そして、イエス様もそれを受けとめられ「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けるようになる」と言われたのです。私たちは、ヘロデの手によって、ヤコブが12使徒の中で初めの殉教者となったことを聞くとき、このイエス様の言葉がここで実現していることに気づくのであります。ある人は、「できます」と言わなければ良かったのにと言うのでありますけども、しかし、わたしはこのイエス様のお言葉、「確かに、あなたがたはわたしの飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けるようになる」というお言葉は、ヤコブの心をいつも励まし、力づけた福音ではなかったかと思うのです。捕らえられ、牢に閉じ込められた使徒たちが最も恐れたことは何であったでしょうか。殺されることでしょうか。そうではないと思います。牢に閉じ込められたキリストの弟子たちが最も恐れたこと、それはわが身かわいさに主イエスを捨てるということです。主の飲まれた杯を投げ捨て、主の受けられた洗礼から逃げ出すことです。私たちが恐れることもそのことではないでしょうか。今、主イエスを信じているけども、迫害が起こったとき、今のように主イエスに従うことができるだろうか。そのように恐れるのだと思います。しかし、ヤコブは既に主イエスから確証を与えられていたのです。「確かに、あなたがたはわたしの飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けるようになる」と。「あなたがた」とありますように、このお言葉はヤコブとヨハネの二人に対してのものでありました。それでは、このイエス様のお言葉は、ヤコブだけにしか、つまり半分しか実現しなかったのかと言いますとそうではありません。ヤコブが12使徒の最初の殉教者になったのに対して、ヨハネは、12使徒の中で最も長生きしました。殉教の死を遂げたわけではなく、いわば天寿を全うしたのです。しかし、その歩みは、苦難の連続でありました。ちょうど、主イエスが、十字架につけられた時だけ苦難を負われたのではなく、公生涯のすべての期間において苦難を負われたように、その使徒としての生涯は、イエス様が飲む杯を飲み続け、イエス様が受ける洗礼を受け続ける歩みであったのです。事実、ヨハネの黙示録1章9節にはこう記されています。「わたしは、あなたがたの兄弟であり、共にイエスと結ばれて、その苦難、支配、忍耐にあずかっているヨハネである。わたしは、神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島にいた。」

 ヨハネは、神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモス島に島流しにされていたのです。このように、主イエスの御言葉はヤコブとヨハネのそれぞれの人生において、実現したのであります。

 使徒言行録に戻りましょう。新約聖書の236ページです。

 ペトロは、天使の言われるままに、帯を締め、履物を履き、上着を着て、あとを着いて行くのでありますが、天使のしていることが現実のこととは思えず、幻を見ているのだと思いました。そして、第一、第二の衛兵所を過ぎ、町の門に通じる鉄の門がひとりでに開き、そこを出て進み、天使が離れ去ってから、ペトロは我に返ってこう言うのです。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」

 そして、ペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家へ向かうのです。「そこには、大勢の人が集まって祈っていた。」と記されています。教会は、ペトロが引き出される前夜になりましても、諦めることなく祈り続けていたのです。おそらく、このマリアの家は普段から礼拝の場として用いられていたのでありましょう。このように、初代教会では、信徒が家を開放して礼拝や祈祷会を持っていたのです。まさに、教会は家の教会であったのであります。すると、ここで面白いことが起こりました。ペトロが門をたたくとロデという女中が対応するのですが、それがペトロの声だと分かると喜びのあまり、門を開けもしないで家に駆け込み、ペトロが門の前に立っていると告げたと言うのです。そして、それを聞いた人々は、「あなたは気が変になっている」と言い、ロデが本当だと言い張るので、「それはペトロを守る天使だろう」と言い出すのであります。この記述を読んで、私たちはある戸惑いを覚えると思います。ペトロのために熱心に祈っていた弟子たちが、なぜ、ペトロが門の前に立っていると告げたロデの言葉を疑ったのだろうかと思うのです。ある人は、ここに弟子たちの信仰の弱さが表れていると言っています。また同時に、ここに弟子たちの謙虚さが表れていると言うのです。それは、自分たちが願ったことを神が必ずそのとおりにしてくださるとは考えない、主の御心を第一とする祈る人間の謙虚さであると言うのです。確かに、熱心に祈りをささげるならば、それが何でもそのとおりになるのではありません。もしそう考えるならば、それは祈りではなく、魔術であります。自分を神の上に置いて、神を召し使いのように考え違いしてしまっているのです。事実、ヤコブが捕らえられた時も、教会は熱心に祈ったでありましょうけども、ヤコブは剣で殺されてしまったのです。それでは、ヤコブのための祈りは聞かれなかったのかと言えば、私はそのようには思いません。なぜ、ヤコブのための祈りが聞かれないと考えるのか。それは、弟子たちが、ヤコブが釈放され、地上で生きながらえることを祈っていたはずだと考えるからです。しかし、教会はそのように祈っていたのでしょうか。もちろん、そのことも祈っていたと思います。しかし、教会が熱心に祈り求めていたことは、生きるときも、死ぬときも、ヤコブが主イエスの御支配のもとに生き続けるということであったのではないでしょうか。ヤコブが死という最大の敵を前にしても、主イエスを信じ、永遠の命に至るということではなかったのではないでしょうか。主イエスは、十字架に渡される前の夜、オリーブ山で、こうお祈りになりました。「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」そして、主イエスは、汗が血のように滴る祈りの格闘の中で、父の御心を自分の心として受け取り直されたのであります。そのようにして、主イエスの祈りは父なる神に聞き入れられたのです。そうであれば、主イエスの証人として殉教したヤコブのための祈りは聞かれなかったなどと誰が言えようか。ヨハネの兄弟ヤコブも、教会の祈りに支えられて、主の永遠の命の支配の中で、殉教の死を遂げることができたのであります。そのようにして、ヤコブは主の御栄光を表したのです。そして、ここに、弟子たちがペトロが門の前に立っていることを信じられなかった理由の一つがあるのではないかと思うのです。ペトロのために祈っていたの弟子たちは、ただペトロが生きて釈放されることを願っていたのではありません。教会が祈っていたこと、それはペトロが主イエスの御支配に守られ続けるということです。生きるにしても、死ぬにしても、主イエスの証人として留まり続けることであったのです。

 ペトロは戸を叩き続け、弟子たちが開けてみるとペトロがいたので彼らは非常に驚きました。そして、ペトロは、主が牢から連れ出してくださった次第を説明し、「このことをヤコブと兄弟たちに伝えなさい」と言い、行く先も告げず姿をくらましたのです。ヘロデの追っ手が来る前に、ペトロは他の所へ行ったのであります。ここでのヤコブ、これは主イエスの弟であったヤコブのことであります。ルカは、このようにしてエルサレム教会から使徒たちが去り、主の兄弟ヤコブがその指導者となることを暗示しているのです。

 18節以下に、ペトロがいなくなった後のことが記されておりますが、これはペトロの救出が、ただ主イエスによるものであったことを教えています。ヘロデは、ペトロを捜しても見つからないので、番兵たちを取り調べたうえで死刑にするように命じました。これは、当時の慣習によるものであります。番兵は囚人に対する責任があり、囚人が逃げた場合は、その囚人と同じ刑罰を受けねばならなかったのです(使徒16:27、27:42)。よって、番兵の誰かが手引きをし、ペトロを脱出させたとは到底考えられません。それはペトロが告げているように、主イエスによることであったのです。ヘロデはそれを認めることができず、番兵の責任とし、またもや罪のない者の命を奪ったのでありました。

 私たちは、あらゆる困難を前にして、自分には何もできないとないと思うことがあります。しかし、私たちにはできなくとも、神にはできるのです。そして、私たちはその神に、「アッバ父よ」と呼びかけ、祈ることができるのです。祈ることは何もできないということではありません。私たちには、どのような困難を前にしても諦めず祈ることができるのです。祈るという行動を起こすことができるのです。そして、私たちの祈りは主イエスによってとりなされ、必ず父なる神への御許へと差し出されるのです。そうであれば、私たちはそこでどのような結末が与えられようとも、それを主がなしてくださった最善として受けとめることができるのではないでしょうか。ヤコブは処刑され、ペトロは救出されるという出来事は、そのことを私たちに教えているのであります。

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