タビタよ、起きよ 2007年4月29日(日曜 朝の礼拝)

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タビタよ、起きよ

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
使徒言行録 9章32節~43節

聖句のアイコン聖書の言葉

9:32 ペトロは方々を巡り歩き、リダに住んでいる聖なる者たちのところへも下って行った。
9:33 そしてそこで、中風で八年前から床についていたアイネアという人に会った。
9:34 ペトロが、「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」と言うと、アイネアはすぐ起き上がった。
9:35 リダとシャロンに住む人は皆アイネアを見て、主に立ち帰った。
9:36 ヤッファにタビタ――訳して言えばドルカス、すなわち「かもしか」――と呼ばれる婦人の弟子がいた。彼女はたくさんの善い行いや施しをしていた。
9:37 ところが、そのころ病気になって死んだので、人々は遺体を清めて階上の部屋に安置した。
9:38 リダはヤッファに近かったので、弟子たちはペトロがリダにいると聞いて、二人の人を送り、「急いでわたしたちのところへ来てください」と頼んだ。
9:39 ペトロはそこをたって、その二人と一緒に出かけた。人々はペトロが到着すると、階上の部屋に案内した。やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた。
9:40 ペトロが皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、「タビタ、起きなさい」と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった。
9:41 ペトロは彼女に手を貸して立たせた。そして、聖なる者たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せた。
9:42 このことはヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じた。
9:43 ペトロはしばらくの間、ヤッファで革なめし職人のシモンという人の家に滞在した。使徒言行録 9章32節~43節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝の御言葉には、ペトロが再び登場してきます。その前にペトロが出てきたのは、フィリポのサマリア伝道のお話しでありました。エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロとヨハネをサマリアへ派遣したのでありました。そして、8章25節によれば、「ペトロとヨハネは、主の言葉を力強く証しして語った後、サマリアの多くの村で福音を告げ知らせて、エルサレムに帰って行った」のです。エルサレムに帰って行ったとありますから、名前は出て来ませんけども、サウロに会った使徒たちの中にも当然ペトロはいたと考えられます(ガラテヤ1:18)。しかし、ペトロ個人の名前が取り上げられ、そのペトロを軸にして話しが進められていくのは、ひさしぶりのことであります。このペトロの記述は、11章18節まで続く長いものですが、そこには、ローマの百人隊長コルネリウスに聖霊が注がれたこと。エルサレム教会において、異邦人宣教が主の御旨であると正式に認められたことが記されています。教会にとって転換点とも呼べる大きな出来事が記されているわけです。ですから、今朝の御言葉は、そのコルネリウスの出来事への布石のようなものだとも言えます。しかし、だからといって、学ぶ意味がないかと言えば、もちろんそうではありません。ここに記されていることは、実際にペトロが方々を巡り歩いて行った伝承に基づくものでありまして、私たちは今朝の御言葉を、決してフィクション、創作と考えてはならないのです。 

 さて、前置きはこのぐらいにしまして、今朝の御言葉に聴いて行きたいと思います。32節をお読みします。

 ペトロは方々を巡り歩き、リダに住んでいる聖なる者たちのところへも下って行った。  

 「ペトロは方々を巡り歩き」とあります。もちろん、ペトロはここで、ただ歩き回っていたのではありません。エルサレムの大迫害のゆえに、散って行った人々が、福音を告げ知らせながら巡り歩いたように、ペトロも福音を告げ知らせながら、方々を巡り歩いたのです。また、「リダに住んでいる聖なる者たちのところへも下って行った」とありますように、このペトロの旅は、未信者を対象とする伝道だけではなく、既に主イエスを信じる者たちへの牧会の旅でもあったと言えるのです。このように、伝道と牧会、伝道と教会形成とは、切り離すことのできない、一体的な事柄であることが分かるのです。

 リダは、エルサレムの北西40キロほどの距離にある町であります。巻末に聖書地図がありますが、その6に「新約時代のパレスチナ」とあり、今朝のお話の舞台である、リダとヤッファが記されていますので、確認していただきたいと思います。リダには、すでに聖なる者たち、主イエスの弟子たちがおりました。誰がこのところまで福音を宣べ伝えたのだろうか。それはおそらく、エルサレムの大迫害によって、散って行った人々によってであったと思います。もう少し詳しくに言えば、サマリアで伝道し、エチオピアの高官に洗礼を授けたフィリポが、リダでも福音を告げ知らせたと考えられるのです。8章40節に、「フィリポはアゾトに姿を現した。そして、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行った」とあります。聖書地図で確認しますと、アゾトは、ヤッファの更に南にあります。そして、フィリポは、アゾトからすべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、北のカイサリアまで行ったのです。ですから、フィリポが、リダやヤッファに福音を告げ知らせたと考えられるのです。ペトロは、その生まれたばかりの教会を巡り歩き、主の復活の証人、主イエスの使徒として福音を語り、人々の信仰を励ましたのです。ヨハネによる福音書の21章で、復活した主イエスは、ペトロに「わたしの羊の世話をしなさい」と三度言われますが、その主の言葉を実行するかのように、主イエスの羊の群れを訪ね歩くのです。 

 33節から35節までをお読みします。

 そして、そこで、中風で八年前から床についていたアイネアという人にあった。ペトロが、「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」と言うと、アイネアはすぐ起き上がった。リダとシャロンに住む人は皆アイネアを見て、主に立ち帰った。

 ペトロは、リダに住んでいる聖なる者たちのところへ下って行ったのですから、おそらくアイネアも主イエスの弟子であったと思います。アイネアは、中風で八年前から床についておりました。中風とは、体の一部がしびれ、麻痺する症状を指します。アイネアは、八年前から、いわば寝たきりになっていたのです。そのアイネアにペトロは、こう言うのです。「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい。

 イエス様が中風の人を癒されるというお話しは、第一巻であるルカ福音書の5章17節以下にも記されておりました。人々が、中風の人を屋根をはがしてイエス様のもとにつり降ろすというお話しであります。イエス様が、中風の人に「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われると、その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った、と記されています。今朝の御言葉で、ペトロがしていることも、この主イエスと同じ業であると言えます。しかし、もちろん、ペトロは、ここで自分の力によって、アイネアを癒したわけではありません。「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる」とありますように、ペトロは主イエスだけが、アイネアを癒することができると知っていたのです。アイネアは、主イエスの御名によって、癒されるのです。そして、このことは、主イエスが復活し、今も生きているばかりか、神の御子であることを証ししているのです。なぜなら、ユダヤ人にとりまして、ただイスラエルの神ヤハウェだけが癒し主であったからであります。35節に、「リダとシャロンに住む人は皆アイネアを見て、主に立ち帰った」とありますが、これはおそらく、イエスを主と認めないユダヤ人たちが、アイネアが癒されたのを見てイエスを主と認め受け入れた、という意味だと思います。主なる神だけが癒し主であられる。そうであるならば、アイネアの癒しは、イエス・キリストが主であることを教えているのです。天におられる主イエスは、ペトロを通して、アイネアを癒すことにより、リダに住んでいる聖なる者たちの信仰を励まし、新しい人々をもその群れに加えられたのでありました。

 36節、37節をお読みします。

 ヤッファにタビタ -訳して言えばドルカス、すなわち「かもしか」- と呼ばれる婦人の弟子がいた。彼女はたくさんの善い行いや施しをしていた。ところが、そのころ病気になって死んだので、人々は遺体を清めて階上の部屋に安置した。

 リダから北西に18キロほどの距離にある海岸沿いの町ヤッファに、タビタという婦人の弟子がおりました。このタビタとは、アラム語名でありまして、仲間内ではギリシャ語名でドルカス、かもしかと呼ばれていたと記されています。旧約聖書において、かもしかは、愛らしさ、敏しょうさの比喩として用いられています。ですから、タビタは、愛らしい、活発な婦人ではなかったかと思います。彼女は何に対して、活発であったのか。それは、善い行いや施しに対してでありました。主イエスの弟子として、かもしかのように、しなやかにたくさんの善い行いや施しをしていたのです。しかし、そのような婦人が病気になって死んでしまったのです。人々は遺体を清めて階上の部屋に安置したとあります。当時は、気候がら、死んでから2、3時間で、遺体を墓へ葬ったと言われています。しかし、このとき人々は、遺体を墓へと葬らず、階上の部屋へと安置しました。なぜでしょうか。それは、ペトロがリダにいると聞いたからであります。おそらく、この時、ヤッファの弟子たちは、ペトロがリダで、アイネアを癒したことを聞いていたのでありましょう。二人の人を送り、「急いでわたしたちのところへ来て下さい」とペトロに頼むのです。ペトロはリダを立ち、二人と共にヤッファへと向かいました。そして、タビタの遺体が安置されていた階上へと案内されるのです。「やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた」と記されています。ここに、彼女が為したたくさんの善い行いや施しの一端が記されています。やもめとは、夫を亡くした婦人のことであり、社会的には最も弱い立場に置かれておりました。ドルカスは、そのやもめたちのために、衣服を作り、施していたのです。ここに、ヤッファの弟子たちがタビタのよみがえりを願う、その理由があります。つまり、ヤッファの教会において、タビタは無くてはならない、中心的存在であったのです。それゆえ、ヤッファの弟子たちは、タビタを生き返らせてもらいたいと願うのです。ドルカスが作ってくれた数々の下着や上着をペトロに見せたのは、ドルカスが、自分たちの群れにどれほど必要な人物であるかをペトロに分かってもらうためであったと言えるのです。 

 ペトロは、ヤッファの弟子たちの願いを聞き入れ、皆を外に出し主に祈ります。そして、遺体に向かって、「タビタ、起きなさい」と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がったのです。ペトロは彼女に手を貸して立たせ、そして聖なる者たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せたのでありました。この出来事は、やはり第一巻であるルカ福音書に記されている主イエスの御業を思い起こさせるものであります。ルカによる福音書の8章40節以下に、イエス様が会堂長ヤイロの一人娘を生き返らせるというお話しが記されておりました。ゲラサ人の地から帰ってきたイエス様の足もとに、ヤイロはひれ伏し、自分の家に来てくださるようにと願う。それは12歳の一人娘が死にかけていたからでありました。イエス様は、ヤイロと一緒に彼の家へと向かうわけでありますけども、その途中で、イエス様は足を止められてしまう。誰かがわたしに触れたと言って、その人を探し出そうとなされるのです。実は、12年間、出血のとまらなかった女が、こっそりイエス様の服にさわって、癒していただいた。そして、イエス様とこの婦人のやり取りが始まってしまう。ヤイロにとっては、いても立ってもいられない気持ちであったと思います。娘が死にかけているのですから、やきもきしてしまったと思います。しかし、そうこうしているうちに、自分の家から遣いの者が来て、「お嬢さんは亡くなりました。この上、先生を煩わせることはありません。」との知らせが届く。まだ生きているうちは望みがある。しかし、死んでしまえば、もうどうしようもない。そうヤイロが諦めかけていたとき、イエス様は、言われるのです。「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる。」そして、その家に着くと、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、その娘の父母のほかには、だれも一緒に入ることをお許しにはならず、娘の手を取り、「少女よ、起きなさい」と呼びかけるのです。すると娘は、その霊が戻って、すぐ起き上がったのであります。

 この主イエスの御業を、ペトロは、ヨハネやヤコブと共に見ておりました。そしてペトロは、その主イエスと同じ御業をここでしているのであります。もちろん、ペトロが「ひざまづいて祈った」とありますように、ここでも、タビタを生き返らせたのは、主イエスであられます。それゆえ、このことを知った多くの人々が、主を信じたのでありました。主イエスは、死者をも生き返らせることのできる命の主、神の御子なのであります。

 イエス様が、ヤイロの娘に向かって言った「少女よ、起きなさい」という言葉は、マルコ福音書の並行個所によれば「タリタ、クム」でありました。これは、ユダヤ人の日常語であったアラム語であります。イエス様はこのとき、アラム語で、「タリタ、クム」、「少女よ、起きなさい」と呼びかけられたのです。そして、おそらく、ペトロもタビタにアラム語で話しかけたのではないかと考えられる。先程も申しましたように、「タビタ」はアラム語名であるからです。ですから、ペトロは、このとき「タビタ、クム」と呼びかけたと考えられるのです。イエス様が仰せになった言葉と、僅か1文字違うだけであります。ペトロは、主イエスの言葉をなぞるように、「タビタよ、起きなさい」「タビタ、クム」と呼びかけたのです。それほどまでに、使徒ペトロの歩みは、主であるイエスの歩みを映し出すものとなっていたのです。そして、このことは、ペトロをはじめとする12人に、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった主イエスが今も生きて働いておられることを鮮やかに指し示しているのです。

 今朝は、「ペトロ、アイネアをいやす」というお話しと、「ペトロ、タビタを生き返らせる」というお話しを続けて読んだわけでありますけども、この2つを比べてみますと、いくつかのことに気づかされます。一つは、アイネアは、病の癒しであるが、タビタは、死からの生き返りであるということです。病から死へと、事の深刻さが増していることが分かります。また、ペトロがアイネアを癒したのは、八年前から床についていたアイネア自身のためでありました。しかし、ペトロがタビタを生き返らせたのは、彼女自身のためというよりも、彼女を必要としていた教会のためであったと言えるのです。この点は、むしろ、ルカによる福音書7章に記されている、イエス様がやもめのひとり息子を生き返らせるというお話しを思い起こしたらよいと思います。ナインという町にイエス様が近づくと、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎだされるところであった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っておりました。主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われ、死の葬列を止めてしまわれる。そして、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われると、死人は起き上がってものを言い始めたのであります。そして、イエス様は息子をその母親にお返しになっるのです。なぜ、イエス様は、若者を生き返らせたのか。それは、この若者が、やもめの一人息子であったからです。この若者が、やもめの命そのものであったからであります。この「やもめの息子を生き返らせる」というお話しと今朝の御言葉を重ね合わせるならば、もしかしたら、タビタは、ヤッファのやもめたちにとって、一人娘のような存在ではなかったかと思います。やもめたちが皆、ペトロのそばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せたのはなぜか。それは、ドルカスが死んだら、これから着るものに事欠くという心配からではなかったと思います。ドルカスが作った数々の下着や上着、それは、ドルカスの愛のしるしでありました。ドルカスがどれほど自分たちを愛してくれたか、そのことを物語るものであります。ですから、ここで、泣きながらペトロに寄ってきた者たちが訴えたのは、ただペトロを同情させて自分たちの願いを叶えてもらおうとうことではなくて、そこで、問われていたのは、おそらく神の正しさなのだと思います。たくさんの善い行いや施しをしてくれたタビタが、病気になって死んでしまった。それで神様の正しさは成り立つのか。そのように、生まれたばかりのヤッファの教会は、信仰の危機に直面していたと言えるのです。それゆえ、ペトロは、タビタを生き返らせるのであります。タビタのことで嘆き悲しむ聖なる者たちや、やもめたちのために、主イエスはタビタを生き返らせたのでありました。

 現代において、教会は死者を生き返らせることができるわけではありません。また、教会は、病をたちまち癒すことができるわけでもありません。それは、使徒たちの時代に限られたことでありました。病の癒し、死人の生き返りは、どちらも、イエス・キリストがどのようなお方であるのかを指し示す、いわば啓示としての意味を持っているのです。その神様の啓示が文書として、聖書として私たちに与えられている今、啓示としての奇跡は止んでいるのであります(ウ告白1:1参照)。ですから、私たちは、今朝の御言葉に記されているような奇跡を読むときに、同じことを今起こしてほしいと願うのではなく、イエスとはどのようなお方かをしっかりと聞き取ることが大切なのです。アイネアの癒しとタビタの生き返りを通して、主イエスは今も生きて働いて意おられることを。そして、主イエスこそ、癒し主であり、命の主であられることをしっかりと聞き取らなくてはならないわけであります。その時、私たちも、この奇跡にあずかる者となるのです。その時、ここに、私たち自身の希望を見出すことができるのです。現代の私たちは、死者を生き返えらせ、病をたちまち癒すことはできませんけども、しかし、私たちの主イエスは、今もそのようなことがおできになる方であると信じているのであります。それゆえ、私たちは、ただ主イエス・キリストに、病の癒しを祈り求めるのです。また、愛する者を失ったとき、ただ主イエス・キリストに慰めを祈り求めるのであります。わたしたちにはできない。しかし、主イエスにはできる。そのことを信じるがゆえに、私たちも、ペトロのようにひざまづいて主イエスに祈り願うのです。

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