主にある仲間 2007年4月22日(日曜 朝の礼拝)

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主にある仲間

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
使徒言行録 9章26節~31節

聖句のアイコン聖書の言葉

9:26 サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた。
9:27 しかしバルナバは、サウロを連れて使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。
9:28 それで、サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった。
9:29 また、ギリシア語を話すユダヤ人と語り、議論もしたが、彼らはサウロを殺そうとねらっていた。
9:30 それを知った兄弟たちは、サウロを連れてカイサリアに下り、そこからタルソスへ出発させた。
9:31 こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。使徒言行録 9章26節~31節

原稿のアイコンメッセージ

 ダマスコの町を、籠に乗せられ城壁づたいにつり降ろされるという仕方で脱出したサウロは、エルサレムへと向かいました。かつてサウロは、主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、エルサレムからダマスコへと旅立ちました。そして、当初の目的からすれば、ダマスコで、主を呼び求める者たちを男女を問わず縛り上げ、エルサレムへと連行するはずであったのです。しかし、このとき、サウロ自身が、主を呼び求める者へと変えられていた。サウロ自身が、主イエスにとらえられていたのです。ですから、エルサレムについたサウロが、まず向かったところ、それは大祭司のもとではなく、主イエスの弟子たちのもとでありました。26節に、「サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた。」とあります。ここで「加わろうとした」と訳されている動詞は、未完了形でありまして、その試みが長く続いたことを表しています。サウロは、何度も何度も、弟子たちの仲間に加えてもうらおうと試みたのです。サウロが、エルサレムの弟子たちの仲間に加わろうとし続けたのはなぜでしょうか。それは、イエスの十字架と復活の直接の証人であった使徒たちに、自分のことを認めてもらう必要があったからだと思います。もちろん、サウロの使徒としての召命、召しは、栄光の主イエスから直接与えられたものでありました。しかし、それだからと言って、サウロは、エルサレムの弟子たちとの関係を軽んじることはありませんでした。むしろ、地上でイエスと生活を共にし、自分よりも先に使徒として召されたエルサレムの弟子たちを重んじたのであります。それは、使徒たちを中心とするエルサレム教会が、当時のすべての教会の母教会であっただけではなく、主は唯一の主であるという信仰によるものであったと思います。前回学んだ25節に、「サウロの弟子たち」と記されておりました。サウロによって、イエスを信じる者たちが起こされていた。「サウロの弟子たち」と呼びうる者たちが生まれていたのです。しかし、もちろん、サウロの目的は、自分の弟子をつくることではなくて、主イエスの弟子をつくることでありました。サウロは、サウロ派という分派をつくろうとしたのではなく、唯一の主であるイエスを頭とする神の教会を建て上げようとしていたのです。このサウロの信仰は、後に記したコリントの信徒への手紙一8章6節によく表されています。「わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。また、唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです。」

 私たちには、唯一の神、父である神がおられる。また、唯一の主、イエス・キリストがおられる。それゆえ、そのキリストを頭とする教会は、唯一の教会でなければならない。この信仰の確信によって、サウロは、何度断られようと、弟子の仲間に加わろうと努めたのです。弟子の仲間に加わるということ、それは言い換えるならば、エルサレムの弟子たちから、自分も彼らと同じ主の弟子であることを認めてもらうということであります。このことは、私たちに当てはめていえば、イエスの弟子、クリスチャンになるにはどのような手続きを必要とするかを考えてみればよく分かると思います。通常、私たちがキリスト者となるとき、しばらく教会の礼拝に出席をし、長老会で試問を受け、礼拝の中で、信仰を公に言い表し、洗礼を受けます。また、幼児洗礼を受けられた方は、分別年齢に達した頃、長老会で試問を受け、礼拝の中で、信仰を公に言い表しすます。これは、先に弟子となった人々に、自分も同じ主イエスを信じる者であることを公にし、受け入れてもらう入会の式でもあるわけです。ただ、自分はイエス様を信じているといっているだけではだめでありまして、その信仰を、先にキリスト者とされた者から吟味されるということが必要なのであります。そして、その弟子の仲間に加えられる、教会の一員となることがどうしても必要なのですね。ある古代の神学者が言ったように、教会は信仰者の母でありまして、健全な信仰生活を送るためには、神を父として持ち、教会を母として持つということがどうしても必要なわけであります。

 サウロは、エルサレムの弟子たちのもとを訪れたわけでありますけども、これはサウロがエルサレムの教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていたことを考えるとき、サウロにしてみれば気が重かったのではないかと思います。どのような顔をして会えばよいのか、そのような迷いも、もしかしたらあったかも知れません。けれども、そのサウロの重い足どりを進ませたのは、主イエスによって与えられた赦しでありました。人間の理屈から言うならば、かつて教会を荒らし回り、弟子たちを牢へと送り込んでいた男が、自分も弟子の仲間に加わりたいと願うことは、およそ信じられないし、虫がよすぎるようにも思えます。それでも、なお、サウロが、弟子たちの仲間に加えてもらおうとし続けることができたのは、その弟子たちが、他でもない主イエスの弟子たちであったからです。サウロは、それが主の弟子であるがゆえに、いつか分かってもらえる。そして、自分も仲間に加えてもらえると主にあって希望を持ち続けることができたのです。けれども、皆は彼を弟子だとは信じませんでした。サウロがいくら自分もイエスを信じているといっても、皆は、かつてのサウロの振る舞いをよく知っていたがゆえに、サウロを弟子だとは信ぜず、恐れたのであります。サウロが、弟子に加わろうとし続けたように、弟子たちもサウロを恐れ続けたのです。そのようなサウロと弟子たちの並行関係を打ち破ったのが、バルナバでありました。27節から28節にこう記されています。「しかし、バルナバは、サウロを連れて使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。」

 バルナバは、以前、「持ち物を共有する」というお話しのところで出て参りました。4章36節から37節に、「たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ-「慰めの子」という意味-と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた。」と記されています。このようにバルナバは、使徒たちから、慰めの子と呼ばれるほどに、信頼されていた弟子であったのです。そのバルナバが、サウロと使徒たちの間を取り持ったのです。かつて、アナニアがサウロとダマスコの弟子たちの間を取り持ったように、ここではバルナバがサウロと使徒たちとの仲介者となったのです。いわば、バルナバは、サウロの身元引受人となったのであります。バルナバは、使徒たちに、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に説教した次第を説明しました。これによって、サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになったのです。サウロは、バルナバの執り成しにより、弟子の仲間に加えられたばかりか、復活の主の証人である、使徒として受け入れられたのです。そして、エルサレムでも主の名によって恐れず教えるようになったのであります。ここで、サウロは何を恐れなくなったのか。ある人は、ここでサウロが死を恐れずに教えるようになったと言っております。復活の主イエスを教えるということはそういうことだと言うのです。そして、このことは、何もサウロだけではない、ペトロやヨハネといったエルサレムの使徒たちにおいても言えることでありました。「あの名によって教えてはならない」と命じる大祭司を前にして、使徒たちは大胆にこう答えたのでありました。「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木につけて殺したイエスを復活させられました。神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すために、この方を導き手とし、救い主として、御自分の右に上げられました。わたしたちはこの事実の証人であり、また、神が御自分に従う人々にお与えになった聖霊も、このことを証ししておられます。」

 この使徒たちの言葉、「わたしたちはこの事実の証人であり、また、神が御自分に従う人々にお与えになった聖霊も、このことを証ししておられます」、この言葉は、エルサレムの使徒たちが、パウロを弟子として、また使徒として受け入れた理由を考えるうえで、鍵となる言葉ではないかと思います。なぜ、使徒たちは、迫害者であったサウロを、自由に行き来するという親しい交わりに受け入れたのか。それは、バルナバの執り成しのゆえであったと言えますけども、何よりもサウロが、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教したという事実にあったと思います。大胆に語ることは、信者たちが祈り求めた聖霊の賜物でもありました(使徒4:29)。サウロが、ダマスコにおいて、大胆に死をも恐れずにイエスの名を宣べ伝えたということ。これこそ、バルナバが説明したように、旅の途中で主に出会い、主に語りかけられたことの確かな証拠であったと言えるのです。このことは、すでに主の弟子である私たちに、いろいろなことを考えさせます。私たちが主の弟子であると、どうして分かるのか。また、どのようにして人々にそのことを証ししていくことができるのか。それは、私たちが大胆に、死の恐れから解き放たれて、復活された主イエスを宣べ伝えることによるのです。主イエスを宣べ伝える伝道の最前線、それは何と言っても主の日の礼拝であります。私たちは共に祈り、讃美歌を歌い、説教を聴き、その祈りにアーメンと答えることによって、主の弟子であることを証しし、互いに確認することができるのです。

 29節に、「また、ギリシア語を話すユダヤ人と語り、議論もしたが、彼らはサウロを殺そうとねらっていた。」とあります。ここで「ギリシア語を話すユダヤ人」と訳されている言葉は、ヘレニスタスという言葉です。外地で生まれ育ちエルサレムに移り住むようになった、ギリシア語を母国語とするヘレニストのユダヤ人であります。このヘレニストのユダヤ人たたちは以前にも出て参りました。ステファノと議論をした人々、それがヘレニストのユダヤ人たちでありました。ですから、この人々は、ステファノを殺害した人々、言うなればかつてのサウロの同胞たちであったと言えるのです。ここで、「語り、議論もしたが」と訳されている動詞は、未完了形でありまして、これも継続、反復を表しています。ですから、サウロは、一度だけ語り、議論をしたのではなく、何度も何度も、語り、議論をしたということが分かるのです。ここで気づきますことは、かつてステファノの殺害に賛成していたサウロが、そのステファノと同じ道を歩んでいる。いわば、ステファノの後継者となっていることであります。最高法院において死をとして語ったステファノの証しは無駄ではなかった。そのステファノの言葉は、サウロの心に届き、聖霊のお働きによって、サウロの内に豊かに宿っていたのです。迫害者であったサウロが、イエスを宣べ伝える者となったことは、エルサレムにおいてもサウロの身に危険を招きます。なぜなら、ユダヤ人の目に、それは明かな裏切りと映ったからです。それゆえ、ユダヤ人は、サウロを殺そうとするのであります。しかし、それを知った兄弟たち、主イエスの弟子たちが、サウロを連れてカイサリアへと下り、そこから彼の出身地であるタルソへと出発させたのでありました。かつて、サウロを弟子だとは思わず、恐れていた者たちが、ここでは「兄弟」と呼ばれています。そして、サウロの身を守るために、サウロと共にカイサリアまで下って行くのです。このことから、私たちは大切なことを教えられます。それは、ある人が主イエスを信じることを公にしたならば、その人を主にある兄弟姉妹として受け入れ、かばい、助けなければならないということです。私たちは、過去からその人がどのような人かを決めつけ、レッテルを貼ってしまうのでありますけども、しかし、その人が、主イエスを信じることを公にしたのであれば、新しく生まれた者として、主にある兄弟姉妹として受け入れなければならないのであります。神を父と呼ぶ、神の家族の一員として互いに愛し合うことが求められるのです。私たちの神への愛、主イエスへの信仰は、主イエスにあって互いを受け入れ、愛し合うことによって具体的に表されるのです。

 最後に31節を学んで終わりたいと思います。

「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。」

 これは、6章7節に続く、2回目のまとめの句であります。6章7節には「こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った」とありました。そこでは、主の福音がエルサレムに満ちたことが記されておりました。その後の6章8節から9章30節までのまとめの句として、この31節が記されているのです。ですから、31節が「こうして」と語るとき、これは、ステファノが殉教したこと。エルサレムで大迫害が起こったこと。それを免れるために、福音を告げ知らせながら人々が散って行ったこと。フィリポがサマリアで伝道したこと。迫害者であったサウロに栄光の主イエスが現れたこと。サウロが主の弟子として、また使徒としてエルサレム教会に受け入れられたこと。さらには、サウロがタルソスへと逃れたこと。これらすべてのことが含まれるわけであります。天におられる主イエスは、迫害という痛みを通して、福音宣教をエルサレムからユダヤ、サマリア地方へと拡大されました。そして、迫害者であったサウロを弟子とし、教会に平和をもたらしたのです。そればかりか、主イエスはサウロを異邦人宣教の器として備えられたのであります。

 復活されたイエス様は天に上げられる前、使徒たちに「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」と仰せになりました。この主イエスの約束は、このようにして、着々と実現されていくのです。「エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」この約束を実現するために、主イエスは迫害者であったサウロを異邦人の使徒として召し、主にある仲間に加えられたのです。

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