迫害されるサウロ 2007年4月15日(日曜 朝の礼拝)

問い合わせ

日本キリスト改革派 羽生栄光教会のホームページへ戻る

迫害されるサウロ

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
使徒言行録 9章23節~25節

聖句のアイコン聖書の言葉

9:23 かなりの日数がたって、ユダヤ人はサウロを殺そうとたくらんだが、
9:24 この陰謀はサウロの知るところとなった。しかし、ユダヤ人は彼を殺そうと、昼も夜も町の門で見張っていた。
9:25 そこで、サウロの弟子たちは、夜の間に彼を連れ出し、籠に乗せて町の城壁づたいにつり降ろした。使徒言行録 9章23節~25節

原稿のアイコンメッセージ

 しばらくの間、使徒言行録から離れておりましたが、今朝から再び、使徒言行録を読み進めていきたいと思います。

 23節、24節をお読みします。

 かなりの日数がたって、ユダヤ人はサウロを殺そうとたくらんだが、この陰謀はサウロの知るところとなった。しかし、ユダヤ人は彼を殺そうと、昼も夜も町の門で見張っていた。

 「かなりの日数がたって、ユダヤ人はサウロを殺そうとたくらんだ」とあります。サウロは、ユダヤ人から命を狙われるものとなったのです。それは、20節にありますように、サウロがあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝える者となったからであります。これを聞いた人々が皆、非常に驚いて「あれは、エルサレムでこの名を呼び求める者たちを滅ぼしていた男ではないか。また、ここへやって来たのも、彼らを縛り上げ、祭司長たちのところへ連行するためではなかったか」と言っているように、イエスの御名を呼ぶ者たちを滅ぼすために来た男が、イエスの御名を宣べ伝える者となっていたのです。そのサウロの姿を見て、ダマスコに住んでいたユダヤ人たちはうろたえたのであります。ここでの「ユダヤ人」とは、民族としてのユダヤ人ではなくて、イエスを信じない者たちのことであります。サウロも、ダマスコに住んでいた主の弟子たちも、民族としては、ユダヤ人でありましたけども、イエスの弟子であるがゆえに、ここではユダヤ人とは呼ばれていないのです。ユダヤ人たちがうろたえたのは当然であります。サウロは、この道のものを迫害する急先鋒としてダマスコに来たはずでありました。しかし、そのサウロが、イエスをキリストと宣べ伝える者となっていた。そして、逆に、ユダヤ人をイエスこそメシアであると説き伏せるのです。私たちはダマスコ途上において、栄光の主イエスがサウロに現れてくださったこと。サウロが主の弟子であるアナニアを通して、目を再び見えるようにしてもらい、イエスの名によって洗礼を受けたことを知っておりますから、このサウロの変わりようを理解することができます。しかし、ダマスコのユダヤ人にとって、会堂におけるサウロの言動は、まったく訳の分からない、説明のつかないことでありました。もし、説明がつくとすれば、それはサウロが語っていたように、栄光の主イエスがサウロに現れてくださったからに他ならない。ここで、サウロが、ダマスコ途上の出来事のことを話したかどうかは、分かりませんけども、22章のユダヤ人たちのへの弁明の中で、サウロはダマスコ途上の出来事を語っておりますから、ここでも当然そのことを語ったのではないかと思います。そして、ダマスコ途上において栄光の主イエスが現れてくださったことだけが、このサウロの変わりようを説明することができるのです。エルサレムでイエスの名を呼び求める者たちを滅ぼしていた男が、ダマスコに着くとイエスの名を宣べ伝える者となっていた。この180度の転換をどのように説明することができるのか。その理由はただ一つ、それは、サウロが語ったように、ダマスコ途上において栄光の主イエスが現れてくださったからに他ならないのです。サウロに現れてくださった栄光の主がイエスであられたということは、十字架に死んだナザレのイエスが復活し、天へと上げられ、メシアとなられたということであります。ある人は、このサウロの回心こそ、イエスが復活されたことの証拠であると言っています。かつて死を恐れてイエスを捨てた使徒たちが、復活の主にまみえ、聖霊をいただいてからは、死をもおそれず大胆にイエスを宣べ伝える者となった。この使徒たちの変わりように、イエスが復活された、一つの証拠を見ることができるように、迫害者であったサウロが、イエスを宣べ伝える者に変えられた。ここに、イエスが復活し、天へと昇り、主となられた、その証拠を見ることができるのです。サウロの存在そのものが、何よりもイエスが神の子であり、メシアであることを証ししていると言えるのです。

 ヨハネによる福音書の11章にイエスがラザロをよみがえらせるというお話しが記されています。そのラザロのよみがえりを記した後で、ヨハネはこう記すのです。「祭司長たちはラザロをも殺そうと謀った。多くのユダヤ人がラザロのことで離れて行って、イエスを信じるようになったからである。」イエスによってよみがえらせられたラザロの存在そのものが、イエスがメシアであることを証ししていました。それゆえ、祭司長たちは、ラザロを殺そうと謀ったというのです。このことは、サウロにおいても言えることであります。かつて迫害者であったサウロが、イエスを宣べ伝える者となった。そのサウロの存在自体が、サウロの語る出来事、栄光の主イエスが彼に現れたことを証ししている。それゆえ、ユダヤ人はサウロを殺そうとたくらんだのです。

 25節をお読みします。

 そこで、サウロの弟子たちは、夜の間に彼を連れ出し、籠に乗せて町の城壁つだいにつり降ろした。

 ここに、「サウロの弟子たち」という言葉がありますけども、これはおそらく、サウロによって、イエスを信じた者たちのことではないかと考えられています。そして、おそらく、このサウロの弟子たちは、かつてのサウロと同じように教会を滅ぼそうとしていた者たちであったと考えられるのです。それほど、迫害者サウロの回心の影響力は大きかった、ということであります。それゆえ、ユダヤ人はサウロをこの地上から除いてしまおうとするのです。この陰謀は、サウロの知るところとなりますが、しかし、ユダヤ人はサウロを町から出すまいと昼も夜も門を見張っておりました。そこで、サウロの弟子たちは、夜の間に彼を連れ出し、籠に乗せて町の城壁づたいにつり降ろしたのです。このことは、後にパウロが書いたコリントの信徒への手紙二の11章32節、33節にも記しております。新約聖書の339ページです。

 「ダマスコでアレタ王の代官が、わたしを捕らえようとして、ダマスコの人たちの町を見張っていたとき、わたしは、窓から籠で城壁づたいにつり降ろされて、彼の手を逃れたのでした。」

 このパウロの言葉によれば、ダマスコにおいて、パウロを捕らえようとしていたのは、アレタ王の代官となっています。このことを、使徒言行録の記述と重ね合わせるとき、ユダヤ人は、当時ダマスコを管理していたアレタ王の代官の協力を得て、サウロを捕らえようとしたと理解することができます。ユダヤ人たちは、アレタ王の代官の助けを得て、町の門を見張り、サウロを捕らえ、殺そうとしたのです。しかし、サウロの弟子たちは、城壁に沿った家の窓から、サウロを籠に乗せてつり降ろしたのです。

 この第二コリント書の記述から、パウロが、ダマスコで城壁づたいにつり降ろされたことが事実であることが分かるのですが、むしろ注目したいことは、パウロがそのことをどのような文脈の中で語っているかということであります。この段落は、ゴシック体で「使徒としてのパウロの労苦」と小見出しが付けられているように、パウロの使徒としての苦難のリストが記されています。パウロは、自分の能力を誇り、異なる福音を宣べ伝える偽使徒たちに心奪われていたコリントの教会に対して、愚かなことだが、わたしもあえて誇ろうと語り出します。そして、彼ら以上にキリストに仕える者であることのしるしとして、苦難のリストを記すのです。23節から31節までお読みします。

 キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目にあったことも度々でした。ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度、一昼夜海上に漂ったこともありました。しましば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。

 誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。主イエスの父である神、永遠にほめたたえられるべき方は、わたしが偽りを言っていないことをご存じです。」

 このように語った後に、パウロは、自分がダマスコで、籠で城壁づたいにつり降ろされて逃れたことを告げるのです。

 ですから、パウロにとって、自分が籠でつり降ろされたことは、自分の弱さに関わることであり、また、使徒としての労苦の始まりでもあったと言えるのであります。町の門から、堂々と出ることはできず、闇夜に乗じて、こそこそと籠からつり降ろしてもらった。それはパウロにとって忘れることのできない、みっともない、情けない経験でありました。けれども、パウロは、そのことを主にあって誇ると言うのです。それは他でもない、それが主のための弱さ、主のための苦しみであったからであります。

 使徒言行録に戻ります。新約聖書の231ページです

 かつて、主イエスは幻の中でアナニアにこう仰せになりました。15節。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示そう。」

 ユダヤ人に命を狙われたサウロは、そのユダヤ人の手を逃れる籠の中で、アナニアから聞いたであろう、この主イエスのお言葉を思い起こしていたのではないだろうかと思います。イエスを主と認めず、それを宣べ伝える者を殺そうとするユダヤ人たち、それは他でもない、かつてのサウロの姿でありました。サウロは、そのユダヤ人に、かつての自分の姿を見ながら、イエスこそメシアであると語り続けたのです。そのユダヤ人のうえにも、自分と同じ主イエスの憐れみが注がれることを信じて、福音を宣べ伝え続けたのです。かつて迫害者であったサウロが、宣教者となったことは、イエスが復活し、メシアとなられたことの確かな証しであると申し上げました。そして、このことは同時に、どのような迫害者であっても神は救うことができるし、神の救いから洩れることはないということを表しているのです。

 テモテへの手紙一の1章12節から17節で、パウロはこう記しています。新約聖書384ページです。

 「わたしを強くしてくださった、わたしたちの主キリスト・イエスに感謝しています。この方が、わたしを忠実な者と見なして務めに就かせてくださったからです。以前、わたしは神を冒涜する者、迫害する者、暴力を振るう者でした。しかし、信じていないとき知らずに行ったことなので、憐れみを受けました。そして、わたしたちの主の恵みが、キリスト・イエスによる信仰と愛と共に、あふれるほど与えられました。「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに価します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。しかし、わたしが憐れみを受けたのは、キリスト・イエスがまずそのわたしに限りない忍耐をお示しになり、わたしがこの方を信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした。永遠の王、不滅で目に見えない唯一の神に、誉れと栄光が世々限りなくありますように、アーメン。」

 ここで、パウロは、自分は罪人の最たるものであること。そして、その自分が憐れみをうけたのは、イエス・キリストを信じて命を得ようとしている人々の手本となるためであったと語っています。これは、もちろん、教会を迫害することまで、パウロを手本にせよということではありません。そうではなくて、そのような私でも、神は救いに入れてくださった。それゆえ、誰も私は救われないと嘆くことはないということであります。いわば、パウロは自分が救われた、その体験の中に、どのような罪人であっても救われるという確信を含み持っているのです。このことは、私たちにおいても同じことが言えるのではないでしょうか。よく日本人に福音を伝えるのは難しいと言われます。確かに、統計的にみれば、クリスチャン人口は、1%未満であると言われます。しかし、そのように嘆いている私たち自身が日本人であるということを忘れてはならないのです。日本人に福音を伝えるのは難しい。確かにそうでありましょう。しかし、私たちも日本人であることを思い起こすならば、私たちが救われている、イエスを信じる者とされている、この事実に、日本人に福音が伝わるという希望があるのです。

 先程、第二コリント書を開き、パウロの使徒として被った苦難のリストを読みました。パウロが、そのような苦難に耐えることができた理由、それは、自分を迫害する者の姿にかつての自分の姿を見ることができたからであります。旧約聖書のコヘレトの言葉7章21節、22節に次のような御言葉あります。

 「人の言うことをいちいち気にするな。そうすれば、僕があなたを呪っても/聞き流していられる。あなた自身も何度となく他人を呪ったことを/あなたの心はよく知っているはずだ。」

 このコヘレトの言葉を、パウロに当てはめるならば、パウロが迫害を耐えることができたのは、かつてパウロ自身が迫害する者であったからだと言えるのです。私は、以前、何度かギデオン協会のお手伝いで、中学校、高校の前で聖書配布のお手伝いをさせていただいたことがあります。その時、ギデオンの会員の方からお伺いしたのですが、ある時、校舎の窓から、今しがた配ったばかりの聖書が投げ捨てられたというのであります。そのお話を聞いたとき、ひどいことをすると思いました。しかし、神様のことなど、全く信じていなかった自分の中学時代、高校時代を考えるならば、もしかしたら自分もそうしたかも知れないと思ったのです。日本人に福音を伝えることは難しい。それはよく分かる。なぜなら、かつて自分も信じていなかったからです。神など信じる者は、どうかしているとあざ笑う者であったからです。しかし、それゆえに、今、イエス・キリストを信じていることを不思議に思う。そして、そこに計り知れない神の恵みを見出すのであります。パウロもそうでありました。かつて迫害者であった自分が、今はイエスを信じる者とされている。イエス・キリストよって、救われたのです。そのイエス・キリストの愛を思うとき、今、自分を迫害している者の上にも、神の救いが訪れることを信じることができる。この私が救われたのだから、あなたも救っていただける。そのために、イエス・キリストはこの地上に来て下さった。そのためにイエス・キリストは十字架につき、復活してくださったとパウロは語るのです。

 聖書は、私たちが救われた者の初穂として救いに入れられたと教えています。初穂とは、初めての実りでありまして、当然、それに続く収穫が期待されているのです。この私が救われている。聖書を神の言葉として読み、聞く者とされている。ここに、私たちが福音を告げ知らせ続けることができる、その希望があります。私たちを救ってくださった神は、私たちと同じように、多くの方をも救ってくださる。そして、それは他でもない私たちを通してなのであります。神は私たち教会を通して、すべての者が救われることを願っておられます。その神の御心に生きる私たちでありたいと心から願います。

関連する説教を探す関連する説教を探す