ナザレの人イエス 2012年12月02日(日曜 朝の礼拝)

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ナザレの人イエス

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
マタイによる福音書 2章13節~23節

聖句のアイコン聖書の言葉

2:13 占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」
2:14 ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、
2:15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
2:16 さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。
2:17 こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。
2:18 「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、/慰めてもらおうともしない、/子供たちがもういないから。」
2:19 ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、
2:20 言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」
2:21 そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。
2:22 しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、
2:23 ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。マタイによる福音書 2章13節~23節

原稿のアイコンメッセージ

序.

 前回私たちは、イエス様が旧約聖書の預言のとおり、ユダの地、ベツレヘムでお生まれになったことを学びました。東方から来た占星術の学者たちは、聖書の御言葉と輝く星に導かれて、イエス様のいる家にたどり着きました。しかし、彼らは、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げを受けたので、別の道を通って自分の国へ帰って行ったのでありました。今朝の御言葉はその続きであります。

1.エジプトへの避難

 13節に次のように記されています。「占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」。ヘロデ大王は、占星術の学者たちに、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言っておりましたが、主はヘロデの嘘を見抜いておられました。主は、ヘロデがその子を探しだして殺そうとしていることを知っておられたのです。それで、占星術の学者たちが帰って行った晩に、主の天使が夢でヨセフに現れ、「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい」と命じられるのです。14節に、「ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。」(~15a)と記されておりますが、ヨセフがその夜のうちに主の天使の言葉に従ったことは、彼の信仰が従う信仰であったことをよく表しています。「エジプトから帰国する」ことは、19節以下に詳しく記されておりますが、ここではそれが先取りされて記されております。そして、福音書記者マタイは、それを旧約聖書の預言が成就するためであったと記すのです。15節の後半であります。「それは、『わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した』と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。」。ここで、マタイが引用しているのはホセア書第11章1節の御言葉であります。実際に聖書を開いて確かめてみたいと思います。旧約聖書の1416頁です。ホセア書第11章は「神の愛」を教える有名な個所でありますが、その1節に、こう記されています。「まだ幼かったイスラエルをわたしは愛した。エジプトから彼を呼び出し、わが子とした。」。この所を念頭において、マタイは、イエス様がエジプトに避難し滞在されたのは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」という主の御言葉が実現するためであったと記しているのです。このことから教えられますことは、イエス様は聖霊によっておとめマリアから生まれたという意味で神の子であると同時に、真のイスラエルとしても神の子であるということです。出エジプト記の第4章22節で、「イスラエルはわたしの子、わたしの長子である。」とありますけれども、イエス様は真のイスラエルという意味でも神の子であるのです。ですから、イエス様がエジプトからイスラエルの地に戻られることは、イスラエルの出エジプトに対応する出来事であるのです。ちょうど第4章に記されているイエス様が受けた40日の荒れ野の誘惑が、イスラエルの荒れ野の40年に対応するように、幼子イエス様がエジプトからイスラエルの地へ戻られるのは、イスラエルの出エジプトの出来事に対応しているのです。

 今朝の御言葉に戻ります。新約聖書の3頁です。

2.ベツレヘムの幼児の虐殺

 16節に次のように記されています。「さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。」。前回も申しましたが、ヘロデはイドマヤ出身で、純粋なユダヤ人ではありませんでした。律法は外国人がユダヤの王になることを禁じておりましたから(申命記17:15参照)、当然ながらユダヤ人からは人気がありませんでした。そのような彼がユダヤ人の王となれたのはローマ帝国の後ろ楯によるものであったのです。また、ヘロデは猜疑心が強く残忍な王でありました。特に、自分の王の座を危うくする者は徹底的に排除したと言われています。そのためにヘロデは親族、自分の妻や子供たちまで殺したと言われています。そのようなヘロデでありますから、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺にいた二歳以下の男の子を一人残らずの殺させたのです。しかし、ヘロデは、「ユダヤ人の王としてお生まれになった」イエス様が、既にエジプトに避難していたことなど知るよしもありません。ヘロデは、このことによって、「王として生まれた幼子」を殺すことができたと考えたかも知れませんが、主は先手を打って、ヨセフによってイエス様をエジプトへと避難させておられたのです。ある書物によると、ベツレヘムの人口は1000人ほどであり、殺された二歳以下の男の子の数は20人ほどであったと言われています。イエス様がお生まれになったとき、20人もの男の子の命が奪われたことを、私たちは忘れてはならないと思います。もちろん、その責任は、神様にも、またイエス様にもありません。男の子たちを殺したのはヘロデであります。ですから、マタイは、ただ「こうして、預言者エレミヤを通していわれていたことが実現した」とだけ記すのです。ベツレヘムの幼児の虐殺は、聖書の預言が実現するために起こった出来事ではありません。そうではなくて、ヘロデの罪の結果として、聖書の預言が実現したのです。ユダヤ人の王がお生まれになった。約束のメシアがお生まれになった。その誕生をすべての人が諸手を挙げて喜んだわけではないのです。そのことを、ベツレヘムの母親たちの激しく嘆き悲しむ声は私たちに教えているのです。そして、マタイは、そこに預言者エレミヤを通して言われていたことの実現を見るのです。18節。「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから。」。ここでマタイはエレミヤ書の第31章15節の御言葉を引用しています。このところも実際に確認したいと思います。旧約聖書の1235頁です。エレミヤ書の第31章15節をお読みします。「主はこう言われる。ラマで声が聞こえる/苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む/息子たちはもういないのだから。」。この御言葉はバビロン捕囚の文脈において語られています。ラケルとはヤコブの妻の人であり、ヨセフとベニヤミンの母となった人物でありますが、ある伝承によれば、そのお墓はベツレヘムにあったと言われています(創世記35:19参照)。そのラケルが、イスラエルの民が捕囚としてバビロンへ連れて行かれるのを、草場の陰で泣いていると言うのです。しかし、この預言が希望の言葉で終わっていることに私たちは思いを向けたいと思います。続づく16節、17節をお読みします。「主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰って来る。あなたの未来には希望がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰って来る。」。マタイが、ヘロデによってベツレヘムの幼児が虐殺されたことをエレミヤの預言の成就であると語ったとき、ここまで、この希望の言葉までを言いたかったのではないでしょうか。幼子を殺された母親たちの激しい嘆き、悲しみを慰めることができるとすれば、それは神様だけであります。そして、神様はその母親たちをイエス・キリストにある永遠の命の希望をもって慰めてくださるのです。そして、それはイエス・キリストの名のゆえに迫害されている者たちに与えられている慰めであるのです。

 今朝の御言葉に戻ります。新約聖書の3頁です。

3.イスラエルの地へ

 19節、20節に次のように記されています。「ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトいるヨセフに夢で現れて、言った。『起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地へ行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。』」。この19節の「この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」は明らかに出エジプト記の第4章19節の御言葉を映し出すものであります。そこにはこう記されています。「主はミディアンでモーセに言われた。『さあ、エジプトに帰るがよい、あなたの命をねらっていた者は皆、死んでしまった。』」。私たちはここから福音書記者マタイが、イエス様をモーセになぞらえて記していることが分かります。すでにマタイは、エジプトの王ファラオが男の子を虐殺したときモーセが助かったように、ヘロデ王が男の子を虐殺したとき、イエス様が助かったことを記しておりましたが、イエス様はモーセのような預言者でもあるのです(申命記18:15参照)。夢でお告げを受けたヨセフはすぐに主の天使の言葉に従い、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って行きました。しかし、父ヘロデの跡を継いで、アルケラオがユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れたのでありました。「そこ」とは「ユダの地、ベツレヘム」でありましょう。マタイによる福音書によれば、ダビデの子ヨセフは、ダビデの町ベツレヘムに住んでいたようであります。しかし、ヨセフは、父ヘロデに劣らぬ暴君であったアルケラオがユダヤを支配していたので、ベツレヘムに行くことを恐れたのです。そのようなとき、夢でお告げがあったので、彼らはガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだのでありました。そして、マタイは、「『彼はナザレの人と呼ばれる』と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。」と記すのです。

結.ナザレの人イエス

 イエス様がガリラヤのナザレの出身であるということは、四つの福音書が記していることであります。では、イエス様はナザレでお生まれになったのかと言えば、そうではありません。イエス様は聖書の預言どおり、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったのです。そのイエス様がガリラヤのナザレから出て来られたのはどうしてなのか?その経緯をマタイは今朝の御言葉で私たちに教えているのです。また、そこには「彼はナザレ人と呼ばれる」という預言者たちの言葉が実現するためという積極的な意味があると、マタイは記すのです。しかし、この文字通りの言葉を旧約聖書の中に見いだすことはできません。それで、多くの研究者はナザレ人(ナザライオス)をサムソンなどのナジル人と結びつけて解釈したり、若枝(ネーツェール)と結びつけて解釈しています。私としては、若枝(ネーツェール)と結びつける解釈を取りたいと思います。そのとき考えられる預言者たちの言葉は、イザヤ書の第11章1節やエレミヤ書の第23章5節でありますが、ここではイザヤ書の第11章1節だけを見ておきたいと思います。旧約聖書の1078頁です。「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで/その根からひとつの若枝が育ち/その上に主の霊がとどまる。」。ここでの「若枝」は来るべきメシアを表しております。マタイは、イエス様が若枝と似た言葉である「ナザレの人」と呼ばれることによって、このイザヤの預言が実現したと記しているのです。イエス様がナザレから出たことは、メシアとしてはつまずきになるわけです(ヨハネ1:46参照)。しかし、マタイは「そうではない。イエス様がナザレから出たことは、イエス様が「若枝」、メシアであることの証拠なのだ」と言うのです。また、この若枝は、「見るべき面影はなく、輝かしい風格も好ましい容姿もない」若枝でもあります。なぜなら、イザヤ書第53章2節に次のように記されているからです。旧約聖書の1149頁。イザヤ書第53章2節をお読みします。「乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように/この人は主の前に育った。見るべき面影はなく/輝かしい風格も好ましい容姿もない。」。イエス様は「ナザレの人と呼ばれる」ことによって、輝かしい風格も好ましい容姿もない人々のつまずきとなるメシアとして歩まれるのです。それが私たち人間の考えを越えた主のご計画であったことをマタイは私たちに教えているのです。

 

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