問96.主の晩餐とは、なんですか。

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Q.96

問い
主の晩餐とは、なんですか。
答え
主の晩餐も、ひとつの礼典です。そのとき、キリストの指定にしたがって、パンとぶどう酒を与え、また受けることによって、キリストの死が示されます。また、ふさわしい陪餐者が、身体的、肉的な仕方でではなく信仰によって、キリストの体と血を、キリストのあらゆる祝福もろとも分け与えられて、霊的に養われ恵みのうちに成長するのです。

解説

 問88によれば、キリストがあがないの祝福を私たちに伝えるのに用いられる外的な手段とは、キリストの規定、特に御言葉と礼典と祈りです。また、問93によれば、新約の礼典は洗礼と主の晩餐の二つです。

 問96は、主の晩餐について、次のように告白しています。「主の晩餐も、ひとつの礼典です。そのとき、キリストの指定にしたがって、パンとぶどう酒を与え、また受けることによって、キリストの死が示されます。また、ふさわしい陪餐者が、身体的、肉的な仕方でではなく信仰によって、キリストの体と血を、キリストのあらゆる祝福もろとも分け与えられて、霊的に養われ恵みのうちに成長するのです」。

 主の晩餐は、イエス・キリストが引き渡される夜、過越の食事の席において制定された礼典です。主の晩餐は、イエス・キリストを記念する食事であり、そこではパンとぶどう酒を与え、受けることによって、主の死が告げ知らされます。

 復活されたイエス・キリストは、天に上げられ、父なる神の右に座しておられますが、そのキリストと、聖餐式のパンとぶどう酒は、どのような関係にあるのでしょうか。このことについては、教派によって理解が異なります。ローマ・カトリック教会は、キリストの制定のことばにしたがって、パンとぶどう酒はキリストの御からだと御血に変化すると理解します。ローマ・カトリック教会は、「これは、あなたがたのためのわたしの体である」というキリストの言葉を文字通りにとり、司祭がそれを語るとき、パンとぶどう酒はキリストの体と血に変化すると主張します(ただし物理的属性は残る)。小教理の言葉で言えば、ローマ・カトリック教会は、「身体的、肉的な仕方によって」キリストの体と血にあずかるわけです。

 それに対して、宗教改革の遺産を受け継ぐ小教理は、天におられるキリストが聖霊において、パンとぶどう酒に現臨されると考えます。キリストはパンとぶどう酒に聖霊において臨在されるのです。そして、その聖霊は、まことの神でありつつ、まことの人であられる二性一人格のキリストの聖霊であられます。それゆえ、パンとぶどう酒は、信仰をもって受ける者にとって、まさしく、キリストの体であり血であるのです。キリストは聖霊において主の晩餐のパンとぶどう酒に臨在し、御自分のあらゆる祝福を分け与え、私たちを霊的に養い、恵みのうちに成長させてくださるのです。

一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」マタイによる福音書 26章26節~29節
村田寿和 牧師