問90.御言葉が救いに有効となるには、御言葉を…

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Q.90

問い
御言葉が救いに有効となるには、御言葉をどのように読み、また聞かなければなりませんか。
答え
御言葉が救いに有効となるには、私たちは、勤勉、準備、祈祷をもってこれに傾聴し、信仰と愛をもって受けいれ、私たちの心のうちに蓄え、私たちの生活の中で実践しなければなりません。

解説

 私たちは、問89で「神の御霊が、御言葉を読むこと、特に説教を、罪人に罪を自覚させて回心させるため、また信仰によってきよめと慰めのうちに救いに至るまで建て上げるために、有効な手段とされます」と告白しました。キリストが贖いの祝福を私たちに伝える外的手段は、御言葉と礼典と祈りですが、それを有効にしてくださるのは神の御霊、聖霊であられるのです。では、私たちは何もしなくてよいかと言えば、そうではありません。問90は次のように告白しています。「御言葉が救いに有効となるには、私たちは、勤勉、準備、祈祷をもってこれに傾聴し、信仰と愛をもって受けいれ、私たちの心のうちに蓄え、私たちの生活の中で実践しなければなりません」。

 聖霊なる神は、私たちの中に住み、私たちを用いて働かれます。それゆえ、聖霊なる神は、私たちの勤勉、準備、祈祷を豊かに用いて、御言葉を有効な手段としてくださるのです。このことは、説教のことを考えるとよく分かります。わたしは、礼拝において説教しますが、何の準備もせずに説教するということはありません。聖霊が御言葉の説き明かしである説教を救いのために有効な手段としてくださることを信じて、勤勉、準備、祈りをもって御言葉に聴き、その聴き取ったものを説教として語らせていただくのです。

 それと同じことが、説教を聞くことにおいても言えます。説教が救いに有効となるためには、勤勉と準備と祈りをもって傾聴しなければならないのです。御言葉を聞く者たちは御言葉への熱心をもって、心と体をよく整えて、「主よ、お話しください。僕は聞いております」との祈りをもって耳を傾けることが求められるのです(サムエル上3:9)。また、説教者をとおして語られる御言葉を、自分に対して語られている神の言葉として、信仰と愛をもって受けいれなければならないのです(ヘブライ4:2参照)。さらには、私たちの心のうちに蓄え、私たちの生活の中で実践しなければならないのです。聞いて終わりではなく、聞いて行う者とならなければならないのです(ヤコブ1:22参照)。

 もし、礼拝に出席し、聖書の朗読と説教を聞き続けても何も変わらないのであれば、その人は、自分がどのように御言葉を聞いているのかを点検してみる必要があります。問90は、そのよい助けとなるはずです。

良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。ルカによる福音書 8章15節
村田寿和 牧師