問83.律法違反の罪は、みな同じ重さですか。

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Q.83

問い
律法違反の罪は、みな同じ重さですか。
答え
ある罪は、それ自体で、またいくつかの加重によって、他の罪よりも神の目には重罪です。

解説

 私たちは、問82で「ただの人は、堕落以来、この世では、だれも神の戒めを完全に守れず、日ごとに思いと言葉と行いにおいて破っています」と告白しました。イエス・キリストを除いたすべての人は、この世で、神の戒めを完全に守ることができず、日ごとに思いと言葉と行いにおいて罪を犯しているのです。

 罪とは神の掟に背くことですが、それでは律法違反の罪は、みな同じ重さなのでしょうか。問83は次のように告白しています。「ある罪は、それ自体で、またいくつかの加重によって、他の罪よりも神の目には重罪です」。

 ある罪は、それ自体で、他の罪よりも神の目には重罪であることは、律法を読むと分かります。律法は盗みについて次のように定めています。「人が牛あるいは羊を盗んで、これを屠るか、売るかしたならば、牛一頭の代償として牛五頭、羊一匹の代償として羊四匹で償わなければならない」(出エジプト21:37)。盗みを働いた場合は、その五倍、あるいは四倍をもって償わねばなりませんでした。他方、律法は殺人について次のように定めています。「人を打って死なせた者はかならず死刑に処せられる」(出エジプト21:12)。このように、盗みの罪と殺人の罪では殺人の罪の方が、それ自体で神の目には重罪であるのです。

 また、ある罪は、いくつかの加重によって、他の罪よりも神の目には重罪です。「いくつかの加重」については、ウェストミンスター大教理問答の問151に詳しく告白されています。そこでは四つの視点から罪が重くなると告白しています。

 一つ目は、罪が誰によって犯されたかということです。年長のもの、指導的立場にある者が罪を犯した場合はより重い罪と見なされます。

 二つ目は、それがだれに対して犯された罪であるかということです。直接、神とその属性と礼拝に対して、キリストとその恵みに対して、聖霊とその証しと働きに対して罪を犯した場合はより重い罪と見なされます。

 三つ目は、犯された罪の性質、特色によります。律法の明らかな条文に対し、多くの戒めを破り、そのうちに多くの罪を含む場合、心に抱かれているだけでなく、言葉と行動にほとばしり出る場合、その罪はより重い罪と見なされます。

 四つ目は、罪が犯された時と場所と状況によります。主の日や他の礼拝の時、その直前直後に、公に他人の前で犯されるとき、その罪はより重い罪と見なされます。

 ある罪は、それ自体において、またいくつかの加重によって、他の罪よりも神の目には重罪である。このことを覚えて歩むとき、私たちは自分の罪とより具体的に向き合うことができるのです。 

死に至らない罪を犯している兄弟を見たら、その人のために神に願いなさい。そうすれば、神はその人に命をお与えになります。これは、死に至らない罪を犯している人々の場合です。死に至る罪があります。これについては、神に願うようにとは言いません。不義はすべて罪です。しかし、死に至らない罪もあります。ヨハネの手紙一 5章16節~17節
村田寿和 牧師