問47.第一戒では、何が禁じられていますか。

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Q.47

問い
第一戒では、何が禁じられていますか。
答え
第一戒が禁じている事は、まことの神を否定するか、神また私たちの神として礼拝せず栄光をあらわさないこと、神だけにふさわしい礼拝と栄光を他の何ものにでもささげることです。

解説

問47 第一戒では、何が禁じられていますか。

答 第一戒は、まことの神を神とすることと(1)、わたしたちの神とすること(2)を否定し(3)、あるいは〔そのような神としてまことの神を〕礼拝せず、栄光をたたえないこと、さらに、神のみにささげられるべき礼拝と栄光を、他のなにものかに与えること(4)を禁じています。

Q.47. What is forbidden in the first commandment?

A. The first commandment forbiddeth the denying, or not worshipping and glorifying the true God as God, and our God; and the giving of that worship and glory to any other, which is due to him alone.

(1)ローマ1:21なぜなら、彼らは神を知りながら、神として崇めることも感謝することもせず、かえって、空しい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。

(2)詩81:11、12私は主、あなたの神/エジプトの地からあなたを上らせた者。/口を大きく開けよ、私はそれを満たそう。しかし、わが民はわが声に聞き従わず/イスラエルは私を求めなかった。

(3)詩14:1愚か者は心の中で言う/「神などいない」と。/彼らは堕落し、忌むべきことをした。/善を行う者はいない。

(4)ローマ1:25、26神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられる方です、アーメン。それで、神は彼らを恥ずべき情欲に任せられました。女は自然な関係を自然に反するものに替え、

問48 第一戒の「わたしの前に」という言葉によって、わたしたちは特別に何を教えられていますか。

答 第一戒の「わたしの前に」という言葉は、すべてのことを見ておられる神は、どのような他(ほか)の神を持つ罪にも注意(ちゅうい)を払い、これを非常に嫌(きら)われることをわたしたちに教えています(1)。

Q.48. What are we specially taught by these words [before me] in the first commandment?

A. These words [before me] in the first commandment teach us, That God, who seeth all things, taketh notice of, and is much displeased with, the sin of having any other god.

(1)エゼキエル8:5~18その方は私に言われた。「人の子よ、さあ目を北の方に上げなさい。」私が目を北の方に上げると、祭壇の門の北側の入り口に、この妬みの像があった。その方はまた言われた。「人の子よ、彼らがしていること、イスラエルの家がここでしている甚だしく忌まわしいことを見たか。これは私を聖所から遠ざけることになる。しかしあなたは、甚だしく忌まわしいことを、さらに見るであろう。」この方は私を内庭の入り口に連れて行った。見ると、壁に一つの穴があった。その方は私に言われた。「人の子よ、さあ壁に穴を開けなさい。」そこで壁に穴を開けると、一つの入り口があった。その方は私に言われた。「入って、彼らがここで行っている邪悪で忌むべきことを見よ。」そこで入って見ると、さまざまな這うものや憎むべき獣の像およびイスラエルの家のあらゆる偶像が、周りの壁一面に彫られていた。またその前に、イスラエルの家の長老七十人がそれぞれ立っており、その中にシャファンの子ヤアザンヤも立っていた。おのおの香炉を手にし、香のかぐわしい煙が立ち上っていた。その方は言われた。「人の子よ、イスラエルの家の長老たちがおのおの暗闇の中で、自分の偶像の部屋で行っていることを見たか。彼らは『主は我々を御覧にならない。主はこの地を見捨てられた』と言っている。」さらに、私に言われた。「あなたは、彼らが行っている甚だしく忌まわしいことを、さらに見るであろう。」この方は、私を主の神殿の北に面した門の入り口に連れて行った。すると、そこに女たちが座って、タンムズのために泣いていた。その方は言われた。「人の子よ、あなたは見たか。あなたはこれよりも甚だしく忌まわしいことを見る。」この方は私を主の神殿の内庭に連れて行った。すると、主の聖所の入り口、廊と祭壇の間に、二十五人ばかりの男たちがいて、背中を主の聖所に向け、顔を東の方に向け、東に向かって太陽にひれ伏していた。その方は私に言われた。「人の子よ、あなたは見たか。ユダの家にとって、彼らがここでしている忌むべきことは取るに足りないことだろうか。彼らはこの地を暴虐で満たし、さらに私を怒らせたからである。彼らは自分の鼻に枝を刺している。私は憤りに駆られて、憐れみの目を向けず、彼らを惜しまない。彼らが大声で叫んでも、私は耳を貸さない。」

【解説】

①問47と問48は、まとめて解説します。

 第一戒は「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」ですが、問47は「第一戒は、まことの神を神とすることと、わたしたちの神とすることを否定し、あるいは〔そのような神としてまことの神を〕礼拝せず、栄光をたたえないこと、さらに、神のみにささげられるべき礼拝と栄光を、他のなにものかに与えることを禁じています」と告白しています。

 ここでは、大きく三つの事が禁じられています。それは、(1)まことの神を否定する無神論、(2)神また私たちの神として礼拝せず栄光をたたえない不敬虔、(3)神だけにふさわしい礼拝と栄光を他のものにささげる偶像崇拝、の三つです。無神論、不敬虔、偶像崇拝、この三つを第一戒は禁じているのです。

②偶像崇拝とは、手で作った像を拝むということにとどまりません。「強情は偶像崇拝に等しい」(サムエル上15:23)、「貪欲は偶像礼拝にほかなりません」(コロサイ3:5)とあるように、私たちが自分の考えを、さらには自分の欲望を第一として歩むとき、それは自分の考えを、また自分の欲望を偶像として拝んでいるのです。また、相対的なものを絶対化して歩むとき、私たちは偶像崇拝の罪を犯しているのです(富、配偶者、親、子など)。

③神様は、偶像崇拝の罪を、非常に嫌われます。問48は、次のように告白しています。「第一戒の「わたしの前に」という言葉は、すべてのことを見ておられる神は、どのような他(ほか)の神を持つ罪にも注意を払い、これを非常に嫌われることをわたしたちに教えています」。

 神様は、どこにでもおられるお方であり、人の心をご覧になるお方です。私たちは、いつも神の御前に生かされているのです(コーラム・デオ)。その神様が特に注目する罪が、他のどんな神をも持つ罪、すなわち偶像崇拝であるのです。偶像崇拝は霊的な姦淫に例えられますが、自分の配偶者が、自分の目の前で、他の異性と関係を持っていたら、私たちはどのような気持ちになるでしょうか。そのようなことを心に留めつつ、私たちは天地を造られた神様、イエス・キリストの父なる神様だけを、私たちの神様として知り、礼拝をささげ、栄光をたたえたいと願います。

④ヨハネの手紙一5章21節「子たちよ、偶像から身を守りなさい」の「偶像」は偽教師たちが教えていた「人となったように見えただけの純粋な霊であるイエス・キリスト」のことである(ウ大教理 問105の「異端、誤った信仰」参照)。

【参考】

①ウェストミンスター大教理問答

問105 第一戒で禁じられている罪は何ですか。

答 第一戒で禁じられている罪は、次のものです。無神論、すなわち、神を否定したり、神を持たないこと(1)。偶像礼拝、すなわち、ひとりより多くの神々を持ったり、礼拝すること、あるいは、まことの神と一緒に、またその代わりに、他の神々を持ったり、礼拝すること(2)。まことの神を神として、またわたしたちの神として持たず、そのように告白しないこと(3)。この戒めにおいて求められている神に対するどのような義務でも、それを省略したり、無視したりすること(4)。まことの神について無知(5)、忘却(6)、誤解(7)、誤った意見(8)、ふさわしくない悪い考え(9)。神が秘めておられる事柄に対する不遜でもの好きな詮索(10)。神を汚すすべてのこと(11)、神への憎しみ(12)、自己愛(13)、自己追求(14)、そのほか、他のものにわたしたちの知性・意志・感情を過度に節度なく向けさせて、全面的にも部分的にも、それらを神から引き離してしまうすべてのこと(15)。無分別な軽信(16)、不信仰(17)、異端(18)、誤った信仰(19)、不信(20)、絶望(21)、改めようとしない性質(22)、裁きに対する無感覚(23)、心のかたくなさ(24)、高慢(25)、うぬぼれ(26)、肉的な安心(27)、神を試みること(28)、不法な手段を用いること(29)と合法的手段に頼り切ること(30)、肉的な喜びと楽しみ(31)。有害で、見境のない、無分別な熱心(32)。神に関することについての生ぬるさ(33)と無気力(34)。神から遠ざかり、背教すること(35)。聖人、天使、あるいは他の何らかの被造物に向かって祈ったり、宗教的礼拝をささげること(36)。悪魔とのあらゆる盟約や相談(37)、また悪魔の示唆に耳を傾けること(38)。人間をわたしたちの信仰と良心の主とすること(39)。神と神の戒めを軽んじ、侮蔑すること(40)。神の御霊に逆らい、悲しませ(41)、神の配剤に不満を持ち、我慢できず、神がわたしたちに下される災いに対して愚かにも神を非難すること(42)。そして、わたしたちの状況、所有、能力に関するあらゆる幸いが称賛されることについて、それを運命(43)や偶像(44)や自分自身(45)、あるいは他の何らかの被造物のおかげだとすること(46)です。

  (1)詩14:1、エフェ2:12、(2)エレ2:27、28、さらにⅠテサ1:9も参照、(3)詩81:11[81:12]、(4)イザ43:22−24、(5)エレ4:22、ホセ4:1、6、(6)エレ2:32、(7)使17:23、29、(8)イザ40:18、(9)詩50:21、(10)申29:29[29:28]、(11)テト1:16、ヘブ12:16、(12)ロマ1:30、(13)Ⅱテモ3:2、(14)フィリ2:21、(15)Ⅰヨハ2:15、16、サム上2:29、コロ3:2、5、(16)Ⅰヨハ4:1、(17)申9:6、24[底本は10:6、14だが9:6、14の誤り]、ヘブ3:12、(18)ガラ5:20、テト3:10、(19)使26:19、(20)詩78:22、(21)創4:13、(22)エレ5:3、(23)イザ42:25、(24)ロマ2:5、(25)エレ13:15、(26)詩19:13[19:14]、(27)ゼファ1:12、(28)マタ4:7、(29)ロマ3:8、(30)エレ17:5、(31)Ⅱテモ3:4、(32)ガラ4:17、ヨハ16:2、ロマ10:2、ルカ9:54、55、(33)黙3:16、(34)黙3:1、(35)エゼ14:5、イザ1:4、5、(36)ロマ10:13、14、ホセ4:12、使10:25、26、黙19:10、マタ4:10、コロ2:18、ロマ1:25、(37)レビ20:6、サム上28:7、11さらに代上10:13、14も参照、(38)使5:3、(39)Ⅱコリ1:24、マタ23:9、(40)申32:15、サム下12:9、箴13:13、(41)使7:51、エフェ4:30、(42)詩73:2、3、14、15、22、ヨブ1:22、(43)サム上6:7−9、(44)ダニ5:23、(45)申8:17、ダニ4:30[4:27]、(46)ハバ1:16

問106 第一戒の「わたしの前に」という言葉によって、私たちは特別に何を教えられますか。

答 第一戒の「わたしの前に」、すなわち「わたしの顔の前に」という言葉は、わたしたちに次のことを教えています。すなわち、すべてのことを見ておられる神は、どのような他の神を持つ罪に特別に目を留め、これを非常に嫌われることと、それゆえそのことが、その罪を思いとどまらせる論拠となること(1)、また、神を怒らせる最も恥知らずなものとして、罪を一層重くする論拠となること、同様に、わたしたちが神への奉仕としてすることは何であれ、神のまなざしの中でそれを行うように説得する論拠となることを教えています(2)。

  (1)エゼ8:5−18、詩44:20、21[44:21、22]、(2)代上28:9

愚か者は心の中で言う「神などいない」と。彼らは堕落し、忌むべきことをした。善を行う者はいない。詩編 14章1節
村田寿和 牧師