Q.22. How did Christ, being the Son of God, become man?
A.Christ, the Son of God, became man, by taking to himself a true body, and a reasonable soul, being conceived by the power of the Holy Ghost, in the womb of the Virgin Mary, and born of her, yet without sin.
問22 キリストは、神の御子でありながら、どのようにして人となられましたか。
答 神の御子キリストは、聖霊の力によっておとめマリアの胎に宿り、彼女から生まれながらも(1)罪はないという仕方で(2)、御自身の真実の体(3)と理性的霊魂(4)をとって人となられました。
Q.22. How did Christ, being the Son of God, become man?
A.Christ, the Son of God, became man, by taking to himself a true body, and a reasonable soul, being conceived by the power of the Holy Ghost, in the womb of the Virgin Mary, and born of her, yet without sin.
(1)ルカ1:27 ダビデ家のヨセフと言う人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアと言った。
ルカ1:31 あなたは身ごもって男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。
ルカ1:35 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを覆う。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。
ルカ1:42 声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子様も祝福されています。
ガラテヤ4:4 しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から生まれた者、律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。
(2)ヘブライ4:15 この大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではなく、罪は犯されなかったが、あらゆる点で同じように試練に遭われたのです。
ヘブライ7:26 このように清く、悪も汚れもなく、罪人から離れ、もろもろの天よりも高くなった大祭司こそ、私たちにふさわしい方なのです。
(3)ヘブライ2:14 そこで、子たちは皆血と肉とを持っているので、イエスもまた同じように、これらのものをお持ちになりました。それは、ご自分の死によって、死の力を持つ者、つまり悪魔を無力にし、
ヘブライ2:16 確かに、イエスは天使たちを助けるのではなく、アブラハムの子孫を助けられるのです。
ヘブライ10:5 それで、キリストは世に来て、次のように言われたのです。/「いけにえも供え物も、あなたは望まず/私のために、体を備えてくださった。
(4)マタイ26:38 そして、彼らに言われた。「私は死ぬほど苦しい。ここを離れず、私と共に目を覚ましていなさい。」
KING JAMES VERSION
Then saith he unto them, My soul is exceeding sorrowful, even unto death: tarry ye here, and watch with me.
【解説】
①小教理は、問21で「神の選びの民の唯一の贖い主(ぬし)は、主(しゅ)イエス・キリストです。かれは、永遠の神の御子でありながら人となられました」と告白しました。続く問22では「キリストは、神の御子でありながら、どのようにして人となられましたか」と問います。答えはこうです。「神の御子キリストは、聖霊の力によっておとめマリアの胎に宿り、彼女から生まれながらも罪はないという仕方で、御自身の真実の体と理性的霊魂をとって人となられました」。
②人は誰でも、夫婦(男女)の交わりによって生まれて来ます。しかし、神の子であるイエス・キリストは、聖霊によっておとめ(処女)マリアの胎に宿り、お生まれになりました(ルカ1:26~38参照)。神の御子であるイエス・キリストは、真実の体と理性的霊魂をおとりになり、私たちと同じ人となってくださったのです。イエス様は肉となったように見えただけではなく、私たちと同じ「真実の体」をとられました(二ヨハネ7参照)。イエス様は私たちと同じように、空腹と喉の渇きを覚え、疲れ、眠り、痛みを感じられたのです。また、イエス様は私たちと同じ「理性的霊魂」をとられました。『ウェストミンスター信仰告白』の第4章「創造について」の2節は、神様が人間を「理性的で不死の霊魂を持つ」者として造られたと告白しています。私たちが理性的霊魂を持っているように、イエス・キリストも理性的霊魂をとられたのです。神の御子イエス・キリストは、人間の魂をとられたのです。イエスは、私たちと同じように、喜び、怒り、悲しみ、苦しまれたのです。
③私たち人間が肉体と霊魂をもっているように、神の御子イエス・キリストも肉体と霊魂をとられました。しかし、決定的に違う点が一つあります。それは、キリストには罪がなかったということです。罪は、罪責と腐敗の大きく二つからなります(問18参照)。イエス様は、通常の出生ではない仕方で、聖霊によっておとめマリアの胎に宿るという仕方で、お生まれになりました。それゆえ、最初の人アダムの罪責を負っていません(問16参照)。第二のアダム(最後のアダム)であり、新しい契約の頭であるイエス様は、最初の人アダムの罪責とは無縁のお方であるのです(一コリント15:45、47参照)。また、聖霊の御力によって、イエス様はマリアから伝えられる腐敗から守られたのです。つまり、イエス様には原罪がありません。神の御子は、聖霊の御力によって、おとめマリアの胎内に宿り、お生まれになるという仕方で、罪を別にして、私たちと同じ人となってくださいました。それは、御自分の民を、罪から贖うためであったのです(問21参照)。
④最後に、おとめマリアがダビデ家のヨセフのいいなずけであったことに注目したいと思います。神様はダビデ家のヨセフのいいなずけであるおとめマリアに恵みを与えることによって、「ダビデの子孫の王座を永遠に堅く据える」というダビデ契約を実現してくださったのです(サムエル下7章参照)。
【参考】
①ウェストミンスター大教理問答
問37 キリストは、神の御子でありながら、どのようにして人となられましたか。
答 神の御子キリストは、聖霊の力によっておとめマリアの胎に、彼女の本質を取って宿り、彼女から生まれながらも(1)罪はないという仕方で(2)、御自身に真実の体と理性的霊魂をとって人となられました(3)。
(1)ルカ1:27、31、35、42、ガラ4:4、(2)ヘブ4:15、ヘブ7:26、(3)ヨハ1:14、マタ26:38
問38 仲介者が神であることが、なぜ必要でしたか。
答 仲介者は、人間の本性が神の無限の怒りと死の力の下に沈んでしまわないように支え続けるために(1)、また、御自身の苦難と服従と執り成しに価値と効力を与えるために(2)、さらに、神の義を満たし(3)、神の愛顧を得(4)、特別な民を買い取り(5)、彼らに御自身の霊を与え(6)、彼らのすべての敵を征服し(7)、彼らを永遠の救いに導くために(8)、神であることが必要でした。
(1)使2:24、25、ロマ1:4、さらにロマ4:25も参照、ヘブ9:14、(2)使20:28、ヘブ9:14、ヘブ7:25−28、(3)ロマ3:24−26、(4)エフェ1:6、マタ3:17、(5)テト2:13、14、(6)ガラ4:6、(7)ルカ1:68、69、71、74、(8)ヘブ5:8、9、ヘブ9:11‐16
問39 仲介者が人であることが、なぜ必要でしたか。
答 仲介者は、わたしたちの本性を向上させ(1)、律法への服従を果たし(2)、わたしたちのために、わたしたちの本性において苦しみ、執り成し(3)、わたしたちの弱さに同情するために(4)、また、わたしたちが神の子としての身分を授けられ(5)、慰めを受け、大胆に恵みの座に近づくことができるために(6)、人であることが必要でした。
(1)ヘブ2:16、(2)ガラ4:4、(3)ヘブ2:14、ヘブ7:24、25、(4)ヘブ4:15、(5)ガラ4:5、(6)ヘブ4:16
問40 仲介者が一位格において神であり人であることが、なぜ必要でしたか。
答 神と人を和解させる仲介者は、それぞれの本性に固有の御業が、一位格全体の御業として、わたしたちのために神によって受け入れられ(1)、また、[その御業が]わたしたちによって寄りすがるものとされるために、御自身、神であると共に人であり、しかも一位格においてそうであることが必要でした(2)。
(1)マタ1:21、23、マタ3:17、ヘブ9:14、(2)Ⅰペト2:6
問41 わたしたちの仲介者は、なぜイエスと呼ばれましたか。
答 わたしたちの仲介者は、御自身の民をその罪からお救いになるので、イエスと呼ばれました(1)。
(1)マタ1:21
②ウェストミンスター信仰告白 第8章「仲介者キリストについて」
[2]三位一体の第二位格である神の御子は、まことの、永遠の神であり、御父と同一本質また同等であるが、じっさい、時が満ちるに及んで、人間の本性を(1)、そのすべての本質的特性と共通の弱さと共に、しかし罪は別として、御自身に取られた(2)。聖霊の力により、処女マリアの胎内に、彼女の本質を取って、みごもられたのである(3)。そのようにして、欠けるところなく、完全で、全く異なった二つの本性、すなわち神性と人性が、変化も合成も混合もなく、一つの位格において分離しがたく結合された(4)。この方こそまことの神であり、まことの人であって、しかもなお、ひとりのキリスト、神と人の間の唯一の仲介者である(5)。
(1)ヨハネ1:1、14、Ⅰヨハネ5:20、フィリピ2:6、ガラテヤ4:4、(2)ヘブライ2:14、16、17、ヘブライ4:15、(3)ルカ1:27、31、35、ガラテヤ4:4、(4)ルカ1:35、コロサイ2:9、ローマ9:5、Ⅰペトロ3:18、Ⅰテモテ3:16、(5)ローマ1:3、4、Ⅰテモテ2:5
③ウェストミンスター信仰告白 第4章「創造について」
[2]神は、他のすべての被造物を造られた後に、人間を、男性と女性に(1)、そして理性的で不死の霊魂を持ち(2)、知識と義と真の聖とを賦与されたものとして、御自身のかたちに従って(3)、創造された。彼らは神の律法をその心に記され(4)、同時にそれを履行する力を持っていた(5)。それにもかかわらず、変わりうる彼ら自身の意志の自由に任されていたので、違反する可能性があった(6)。彼らはその心に記されたこの律法のほかに、善悪の知識の木から食べてはならないという命令を受けた。それを守っている間、彼らは神との交わりの中にあって幸福であり(7)、被造物を支配していた(8)。
(1)創世1:27、(2)創世2:7、さらにコヘレト12:7とルカ23:43とマタイ10:28も参照、(3)創世1:26、コロサイ3:10、エフェソ4:24、(4)ローマ2:14、15、(5)コヘレト7:29、(6)創世3:6、コヘレト7:29、(7)創世2:17、創世3:8~11、23、(8)創世1:26、28