問11.神の摂理の御業とは、何ですか。

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Q.11

問い
神の摂理の御業とは、何ですか。
答え
神の摂理の御業とは、神が、最もきよく、賢く、力強く、すべての被造物とそのあらゆる動きを保ち、治めておられることです。

解説

 小教理は、問8で「神がその聖定を実行されるのは、創造と摂理の御業においてです」と告白しました。問11では、摂理(せつり)の御業について告白しています。「神の摂理の御業とは、神が、最もきよく、賢く、力強く、すべての被造物とそのあらゆる動きを保ち、治めておられることです」。

 すべてのものを造られた神様は、すべてのものを保ち、治めておられます。神様がすべてのものを保ち、治めておられることを摂理の御業と言います。造り主(ぬし)である神様は、摂理の主(しゅ)でもあられるのです。

 神様が「すべての被造物とそのあらゆる動きを保ち、治められる」というとき、そこには私たち人間も含まれています。そうすると、私たちの自由意志との関係はどうなるのか、という疑問がわいてきます。聖書は、人間を自分の意志で決断する者として描いているからです。このことに関しては、神様は人間の決断をも用いて摂理の御業を行われると考えるべきです。そして、その人間の決断には、神様の御心に反する罪も含まれるのです。

 例えば、出エジプト記を読むと「エジプトの王ファラオは、心をかたくなにして民を去らせなかった」と記されています(出エジプト8:11、28参照)。また同時に「主がファラオの心をかたくなにされたので、モーセとアロンの言うことを聞かなかった」とも記されています(出エジプト9:12参照)。ファラオは自分で心をかたくなにしたのですが、それは主がファラオの心をかたくなにされたからであるのです。また、イエス・キリストを十字架につけたのは、人間の間違った決断によるものでした。しかし、その人間の間違った決断を用いて、神様は聖書の預言を成就し、全人類の救いを成し遂げられたのです(使徒2:23参照)。

 ここで注意したいことは、神様は決断をした人間の責任を問われるということです。ファラオは自分で心をかたくなにしたゆえに、責任を問われました。その結果、エジプトには多くの災いがもたらされたのです。また、イエス・キリストを十字架につけるという間違った決断にも責任が問われます。ですから使徒ペトロは、すべての人に「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい」と説教したのです(使徒2:38参照)。

 創世記37章以下に出てくるヨセフは、神の摂理の御業を信じた人でした。ヨセフは兄たちによってエジプトに売られましたが、後にエジプトの総理大臣になりました。そのヨセフが兄たちにこう言うのです。「あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです」(創世50:20)。神様は人間の悪をも用いて善をなしてくださるお方であるのです。

あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。創世記 50章20節
村田寿和 牧師