問106.第六の祈願では、私たちは何を祈り求める…

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Q.106

問い
第六の祈願では、私たちは何を祈り求めるのですか。
答え
(「我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ」という)第六の祈願で私たちが祈る事は、神が私たちを罪の誘惑から守ってくださるか、私たちが試みられる時に私たちを支えて助け出してくださるように、ということです。

解説

 キリストが贖いの祝福を私たちに伝えるために用いられる外的な普通の手段は、キリストの規定、特に御言葉と礼典と祈りです。また、祈りの特別な指導基準は、キリストが弟子たちに教えられた主の祈りです。

 問106は、主の祈りの第六の祈願について、次のように告白しています。「(我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ」という)第六の祈願で私たちが祈る事は、神が私たちを罪の誘惑から守ってくださるか、私たちが試みられる時に私たちを支えて助け出してくださるように、ということです」。

 私たちは、イエス・キリストを信じてすべての罪を赦された者たちです。しかし、私たちには依然として罪が残っているので、神様が私たちを罪を犯す誘惑から守ってくださいと祈るよう命じられています。また、私たちが罪を犯す誘惑に負けてしまうときにも、罪の支配に落ち込んでしまうことがないように、支えて、助け出してくださいと祈るよう命じられています。

 聖書は、イエス・キリストが十字架の死によって、神の敵である悪魔に決定的な勝利をおさめられたことを教えています(ヘブライ2:14参照)。しかし同時に、今も、悪魔はほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っているとも教えています(一ペトロ5:8参照)。

 また、聖書は、イエス・キリストを信じる私たちは悪魔が支配する「世」に属していないと教えています(ヨハネ17:14参照)。しかし同時に、私たちが世の様々な誘惑にさらされていることも教えています(一ヨハネ2:16参照)。

 さらに、聖書は、イエス・キリストを信じる私たちが霊の導きのもとにあることを教えています(ガラテヤ5:16)。しかし同時に、私たちの内には生まれながらの自己中心的な肉の思いがあることも教えています(ガラテヤ5:17参照)。

 神の敵である「悪魔」と悪魔の支配する領域である「世」と私たちの内に残る自己中心的な「肉」の思い、それらが、私たちを罪を犯すようにと誘惑します。ですから、私たちは、悪魔と世に勝利されたイエス・キリスト、また、御言葉と聖霊によって恵みの御支配のうちに私たちを守ってくださるイエス・キリストに依り頼みつつ「わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から守ってください」と祈るべきであるのです。

 罪とは神の掟に背くことですが、最大の罪は、神様が遣わされたイエス・キリストを信じないことです(ヨハネ16:9参照)。その最大の罪に陥ることがないように、「わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から守ってください」と日々祈りましょう。

誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」マタイによる福音書 26章41節
村田寿和 牧師