問104.第四の祈願では、私たちは何を祈り求める…

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Q.104

問い
第四の祈願では、私たちは何を祈り求めるのですか。
答え
(「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」という)第四の願で私たちが祈る事は、神の一方的な賜物のうちから、私たちがこの世の良き物の正当な分を受け、それによって神の祝福を楽しむことができるように、ということです。

解説

 キリストが贖いの祝福を私たちに伝えるのに用いられる外的な手段は、キリストの規定、特に御言葉と礼典と祈りです。また、祈りの特別な指導基準は、キリストが弟子たちに教えられた主の祈りです。

 問104は、主の祈りの第四の祈願について、次のように告白しています。「(『我らの日用の糧を今日も与えたまえ』という)第四の祈願で私たちが祈る事は、神の一方的な賜物の内から、私たちがこの世の良き物の正当な分を受け、それによって神の祝福を楽しむことができるように、ということです」。

 「私たちに必要な糧を今日与えてください」。この祈りは「私たちが今日を生きていくために必要な食べ物を与えてください」という祈りです。しかし、食べ物に限定されない広い意味を持っています。つまり「私たちに必要な糧を今日与えてください」という祈りは、「私たちが生きていくために必要なすべてのものを今日与えてください」という祈りであるのです。そして、神様は、私たちの生活に必要なすべてのものを、一方的な賜物、無償のプレゼントとして与えてくださるのです。

 また、私たちは「神の祝福を楽しむことができるように」「この世の良き物のふさわしい分を受ける」ことができるよう祈り求めます。ここで「正当な分」とありますが、これは「ふさわしい分」とも訳すことができます。私たちは、神の祝福を楽しむことができるように、この世の良き物のふさわしい分を与えてくださいと祈り求めているのです。

 このことは、箴言30章に出て来るアグルが祈り求めたことでした。「二つのことをあなたに願います。わたしが死ぬまで、それを拒まないでください。貧しくもせず、金持ちにもせず、わたしのために定められたパンで/わたしを養ってください。飽き足りれば、裏切り/主など何者か、というおそれがあります。貧しければ、盗みを働き/わたしの神の御名を汚しかねません」。

 私たちは「天の父なる神様の御名が聖とされますように」と祈る者として、「私たちに必要な糧を今日与えてください」と祈るのです。そして、この「私たち」の中には、イエス・キリストを信じていない他の人たちも含まれているのです(大教理問193参照)。それゆえ、私たちは、第四の祈願を祈るとき、世界には今も飢えで苦しんでいる多くの人々がいることを思い起こしたいと思います。そして、飢えに苦しんでいる人々を助けるために、天の父なる神様から私たちがいただいている良き物の一部を、喜んで分け与えたいと願います(ヤコブ2:16参照)。

というのは、神がお造りになったものはすべて良いものであり、感謝して受けるならば、何一つ捨てるものはないからです。テモテへの手紙一 4章4節
村田寿和 牧師