2022年05月01日 朝の礼拝「愛と祈り②」

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聖句のアイコン聖書の言葉

1:3 わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、
1:4 あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。
1:5 それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです。
1:6 あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。
1:7 わたしがあなたがた一同についてこのように考えるのは、当然です。というのは、監禁されているときも、福音を弁明し立証するときも、あなたがた一同のことを、共に恵みにあずかる者と思って、心に留めているからです。
1:8 わたしが、キリスト・イエスの愛の心で、あなたがた一同のことをどれほど思っているかは、神が証ししてくださいます。
1:9 わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、
1:10 本当に重要なことを見分けられるように。そして、キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり、
1:11 イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、神の栄光と誉れとをたたえることができるように。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
フィリピの信徒への手紙 1章3節~11節

原稿のアイコンメッセージ

説教要約:キリストの愛の心で祈り、共に歩む
聖書箇所:フィリピの信徒への手紙 1章7〜11節

1. 「恵みにあずかる」という信仰の交わり(コイノニア)
パウロは獄中にありながら、フィリピ教会の人々を常に心に留め、喜びをもって祈っています。それは単に、彼らがパウロに経済的な援助をしてくれたからという理由だけではありません。パウロは彼らを「監禁されているときも、福音を弁明し立証するときも、共に恵みにあずかる者(コイノニアにある者)」と呼んでいます。ここで「あずかる」と訳されている言葉は、深く親密な「交わり」を意味します。パウロにとってフィリピ教会の人々は、単なる支援者ではなく、キリストの福音という同じ宝物を共有する「福音の同労者」であり、真の信仰の友でした。本当の友とは、順調な時だけでなく、自分が苦境に立たされた時にこそ傍にいてくれる存在です。獄中のパウロにとって、自らの苦難を自分のこととして担い、祈り支えてくれる仲間たちの存在は、何にも代えがたい大きな慰めであり、支えとなっていました。

2. キリストの「はらわた」から湧き上がる愛
パウロは8節で、「キリスト・イエスの愛の心で、あなたがた一同のことをどれほど思っているかは、神が証ししてくださいます」と語っています。ここで「愛の心」と訳されている言葉は、元来「内臓・はらわた」を指す言葉です。当時の人々は、人間の深い感情や憐れみの心は、胸ではなく「はらわた(お腹)」にあると考えていました。つまりパウロは、理屈や義務感ではなく、キリストの深い憐れみによって、お腹の底から突き動かされるような、はらわたが千切れるほどの熱い情愛をもって彼らを思っているのです。 私たち自身を振り返るとき、「私はキリストの愛の心で、誰かのために祈っています」と胸を張って言えるでしょうか。それは容易なことではありません。しかし、ひび割れた「土の器」にすぎない私たちに、キリストの愛が絶えず注がれ、溢れ出していくとき、その愛は必ず「祈り」となって現れます。愛と祈りは切り離せない表裏一体のものであり、心臓が全身に血液を送り出すように、祈りは教会の隅々にまでキリストの愛を行き渡らせる不可欠な働きなのです。

3. 愛を豊かにする「知る力」と「見抜く力」
パウロの祈りは、フィリピの人々の「愛がますます豊かになるように」という願いへと続きます。しかし、そこでパウロが強調しているのは、単なる感情の盛り上がりではなく、「知る力(エピグノーシス)」と「見抜く力(感覚)」を身に着けることです。
 ここでいう知識とは、単なる情報の蓄積ではなく、イエス・キリストを通して示された「神についての深い認識」です。神がどのような方であり、どれほどの愛をもって私たちを救ってくださったのか。その真理を教理や御言葉を通して正しく深く学ぶことは、私たちの神に対する愛を、単なる一時的な感情から、揺るぎない確信へと変えていきます。教会の学びは、私たちの神の姿をより鮮やかにし、愛を豊かに育むための地道で大切な作業なのです。そして「見抜く力」は、相手の必要としているものを「察知する感性」のことです。イエス様が当時の人々が目を向けなかった徴税人や病める人の必要を見抜かれたように、私たちも「相手が今、何を求めているのか」をあらゆる感覚を研ぎ澄ませて知る必要があります。 私たちは往々にして「良かれと思って」自分の愛を押し付け、かえって相手を傷つけたり、関係を複雑にしたりすることがあります。人間は生まれつき、正しく愛する技術を持っていません。だからこそ、神の御心を学び、隣人の心の奥底にある必要を感じ取るための訓練が必要なのです。

4. 祈りの交わりの中に生きる教会
自分勝手な愛ではなく、神についての正しい知識と、隣人への鋭い感覚に基づいた愛が豊かにされるとき、教会は「本当に重要なこと」を見分け、キリストの日への備えをすることができます。私たちの信仰生活において、御言葉を学び、教理を学び、そして互いの声に注意深く耳を傾けることは、すべてこの「愛の豊かさ」へとつながっています。教会の交わりは、この神の愛を互いに行き渡らせるために神が与えてくださった特権です。 自らの欠けを知りつつも、キリストから注がれる愛に満たされ、その愛が祈りとなって溢れ出す。そのような祈りの交わりをますます厚くしていきましょう。キリストの愛の心が教会の隅々にまで行き渡り、私たちが清く、とがめられるところのない者として、神の栄光と誉れを讃えることができるよう、共に歩んでまいりましょう。

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