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2025年07月13日「神の霊に教えられた」

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日本聖書協会『聖書 新共同訳』
コリントの信徒への手紙一 2章6~16節

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限界、限りがある私たち人間は、自分の知恵と経験だけで神様を完全に理解することはできません。しかし、真理の霊、すなわち、聖霊を通して神様の御言葉と摂理を正しく悟り、神様に出会うことができるのです。また、このような聖徒が神様の恵みと祝福が溢れる人生を生きることができます。
先週、私たちはパウロが伝えた福音について学びました。一言で言いますと、教会が何を宣言し、伝えなければならないのかについて学びました。世の知識を伝え、自分を表わそうとすることではなく、十字架につけられたキリストだけを伝えなければならないという事です。
続いて、今日の御言葉はパウロが伝えた十字架につけられたキリストとその意味と秘密を悟ることができる人は、聖霊を受けた人だという事を教えます。反対に聖霊を受けてない世の人々は、決してこの内容を理解することも受け入れることもできないのです。なぜなら、この秘密、この知恵はただ、聖霊が悟るようにしてくださった人が理解し、受け入れることができる内容だからです。このためにパウロは、今日の御言葉を通して二つの人を比較します。聖霊を受けた人と肉に属している人です。

今日の箇所、6-16節でパウロは、救われた人、すなわち、聖霊を受けた人と肉に属している人との違いについて話します。結論から言いますと、聖霊を受けた人は、十字架につけられたキリストとこの素晴らしい出来事の霊的な秘密を悟ることができますが、肉に属している人は、絶対にこれらの出来事を悟ることができないという事です。なぜでしょうか。6節にかいてあるようにそれは、この世の知恵ではないからです。それは、7節に書いてあるように隠されていた神秘としての神の知恵であり、神が私たちに栄光を与えるために、世界が始まる前から定めておられたものだからです。その内容は、罪が全くない神様の御子が、人間としてこの世に来られ、人間の全ての罪を背負い、人間の代わりに十字架につけられ、死なれたことです。しかし、8節を見ますと、この世の支配者たちは誰一人、この知恵を理解しませんでした。9節を見ますと、主イエス・キリストがこの世に来られたのは、神様が御自分を愛する者たちのために準備されたことでした。これらの事を悟らなかった世の支配者たちは、イエス様を殺し、神様が人間のために送ってくださったイエス様を拒否したのです。

それでは、この神様の知恵を悟る人は誰でしょうか。神の霊、聖霊を受けた人です。パウロは、10-16節までこれに対して伝えました。神秘的な神様の知恵を悟り、分かることができるのは、ただ聖霊によってできるのです。
感謝することは、私たちがその聖霊を受けたという事です。12節を見てください。[私たちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。それで私たちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです] ですので、聖霊を受けた私たちは、神様の知恵を悟ることができるのです。
それでは、聖霊を受けた人が知るようになることは何でしょうか。それは、聖霊が私たちに教えてくださることを知るようになります。私たち自らではなく、聖霊によって知るようになるのです。一生懸命、聖書を読み、聖書を勉強する過程を通して私たちが知るようになったと思う時がありますが、実は、その中で聖霊が悟らせてくださらなければ、知ることも理解することもできないのがキリスト教の福音です。今日、このように御言葉を聞いていますが、聖霊を通して御言葉を悟り、理解するように願います。

私たちが聖霊を受けた後、悟るようになる大切なことは、真理です。ヨハネによる福音書14章17節を見ますと、イエス様は聖霊を[真理の霊]だと言われました。また、ヨハネによる福音書15章26節を見ますと、その真理の霊がイエス様の証しをなさると言われました。ヨハネによる福音書16章13節を見ますと、この内容をイエス様は再びこのように言われます。[しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである]
聖霊を受けた人は、イエス様がどのようなお方なのかについて知るようになります。すなわち、十字架につけられたキリストの福音の意味を悟ることになるという意味です。これから学ぶ箇所ですが、コリントの信徒への手紙一12章3節にパウロは[聖霊によらなければ、だれもイエスは主であるとは言えないのです]と言いました。聖霊を受けた人の最初の証拠は、イエス様が自分の救い主だという事を知り、イエス様を受けれ、告白します。今日の箇所は、結局、このことを教えているのです。

この真理を知り、悟るようになれば、その後に続いて知るようになることがあります。それは、神様が私たちのために準備され、なさった驚くべき恵みを知るように、悟るようになるという事です。もう一度12節を見てください。[私たちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。それで私たちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです]
この恵みの代表的な内容は何でしょうか。私たちの全ての罪の問題を解決してくださるという事です。私たちの力で解決できないすべての罪の問題を解決してくださり、その罪を思い出しはしないと言われます。ヘブライ人への手紙8章12節にこのように書いてあります。[私は、彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い出しはしないからである] 私たちは、過去にどのような罪を犯したとしても主の御前で心から悔い改めるならば、すべての罪を赦され、再び神様の子どもとして生きることができるのです。これが恵みです。この世の人々は、これを恵みだと認めません。彼らは決してこの恵みを悟ることも知ることもできません。この恵みを悟り、知る人はただ聖霊を受けた人だけです。

13-14を一緒に読みましょうか。[そして、私たちがこれについて語るのも、人の知恵に教えられた言葉によるのではなく、“霊”に教えられた言葉によっています。つまり、霊的なものによって霊的なことを説明するのです。自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かな事であり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです] どのような意味でしょうか。一言で言いますと、聖霊を受けた人は、神様の御心、神様が喜ばれることを悟るように、知るようになるという事です。
ローマの信徒への手紙8章5-9節にこのように書いてあります。少し長いですが、捜してご一緒に読みましょうか。

パウロは、もし、神様の霊である聖霊が私たちの内に宿っているならば、私たちは必ず、神様の霊である聖霊に導かれ、聖霊に導かれた人は、肉に属することを考えず、霊に属することを考えると言います。霊に属していることを考えるという意味は何でしょうか。それは、神様が喜ばれることをするという意味です。ローマ8章8節にこのように書いてあります。[肉の支配下にある者は、神に喜ばれるはずがありません] 肉に従って歩む人は、神に喜ばれるはずがありません。反対に霊に従って歩む人は、霊に属することを考え、神様が喜ばれることをすることができます。なぜなら、聖霊に導かれ、神様が喜ばれることが何かを悟り、知るからです。

聖徒の皆様。
神様の霊、すなわち、聖霊に教えられた言葉によって知ることは、真理を知るようになります。主イエス・キリストが誰なのかについて知るようになります。また、神様の恵みを知るようになります。主イエス・キリストの十字架の出来事が自分自身にどのような意味があるのかを悟るようになります。また、神様の御心、神様が喜ばれることを知り、するようになります。それで、十字架につけられたイエスキリストとその恵みを悟った人として、神様が喜ばれる人生を生きようと最善を尽くします。今日の御言葉を通してパウロは、これらの事をコリント教会の聖徒たちに言っているのです。
私たちは、十字架につけられたキリストを信じる恵みを与えられ、また神の霊である聖霊を受けました。聖霊を受けた人として、神様が願われ、喜ばれることを深く悟り、その人生を共に生きていきましょう。

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