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2025年04月13日「エルサレムに迎えられる」

エルサレムに迎えられる

日付
説教
千禎鎬 牧師
聖書
ルカによる福音書 19章28節~44節

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日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ルカによる福音書 19章28節~44節

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今日は、パームサンデーです。イエス様が33年のお働きを終える一週間前、エルサレムへ入る日です。神様の御子イエス様が人間としてこの世に来られた目的があります。それは、すべての罪を背負い、ゴルゴタというところで十字架につけられることでした。イエス様は罪が全くないお方なので、私たち人間のすべての罪と咎(とが)、また私たちの全ての呪いと死を贖うことができます。

今日、読みました御言葉の中で三つのことに注目したいです。
まず、[主がお入り用なのです]という言葉です。31、34節に書いてあります。
イエス様は、エルサレムに上って行かれ、ベトファゲとベタ二アに 近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとしました。そして、このように言われました。「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい」
弟子たちは困ったでしょう。その時イエス様は、「もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら『主がお入り用なのです』と言いなさい」と言われました。
イエス様のこの御言葉は、イエス様ご自身の勝手な行動ではなく、神様の御言葉に従っているということが分かります。
ゼカリヤ書9章9節を見ますと、預言者ゼカリヤはこのように預言しました。[娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者。高ぶることがなく、ろばに乗って来る。雌(め)ろばの子であるろばに乗って] すなわち、イエス様が王の王としてエルサレムへ上る時に立派な馬に乗って上られるのではないということです。イエス様が乗られるものは、小さな子ろばだと預言されていました。このようにイエス様は、預言された神様の御言葉に従って行かれたのです。
ヘブライ人への手紙5章8-9節にこのように書いてあります。
[キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。そして、完全な者となられたので、ご自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となり]
十字架の道を歩んで行かれるイエス様は、ご自分のお働きに従う人を捜しました。イエス様は、二人の弟子を送り、子ろばをほどいて、引いて来ることを誰にも話したことはありません。だた、イエス様は「もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら『主がお入り用なのです』と言いなさい」と言われました。
弟子たちがイエス様が言われた通りに話をすると、何の文句もなくイエス様の御言葉に従った人がいました。誰なのかは分かりませんが、彼はイエス様の御言葉に従ったのです。このようにイエス様は神様のお働きをするために準備されている人を捜して共にお働きをなさいます。
聖徒の皆様。
今、私たちに「主がお入り用なのです」と言われるならば、何の文句なく答えることができるようにしなければなりません。急に[あなたが持っている物を少し使ってもらおう、あなたの賜物を使ってもらおう]と主に言われると私たちはどのように答えるのでしょうか。はい、アーメンでしょうか。神様が私たちをお造りになった目的があります。すでにウェストミンスター小教理問答を通して学びました。私たちは神様のために、また神様と共に生きる人です。すなわち、私たちを救ってくださった主のために、主と共に生きる人です。すべての主である主がお使いになるのならば、被造物である私たち人間は、その御言葉に従わなければなりません。主は、従う人により多くの恵みと祝福を、さらに天の報いを与えてくださいます。今、私たちに置かれた環境や事情がどのようになっていても私たちは、ためらわずに主に従いましょう。主がお喜びになると信じます。

二つ目に注目したい言葉は、38節です。[主の名によって来られる方。王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光]
イエス様がエルサレムへ上ったことを見ますと、ある意味でみすぼらしく見えます。しかし、人々が一人、二人…集まり始めました。自分たちの服を道に敷いて。他の福音書には、木の枝を切って道に敷いたと書いてあります。このように弟子たちと多くの人々は、イエス様がなさったすべてのことによって大きな声で賛美をしました。その賛美は38節です。[主の名によって来られる方。王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光]
このようにイエス様を賛美する時、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエス様に言いました。[先生、お弟子たちを叱ってください] その時、イエス様はこのように言われました。40節です。[言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫び出す]
イエス様に向かって彼らが叫んだ賛美の内容をよく見ますと、このような内容です。イスラエルは、国を失われ、ローマの植民地の下に生活しています。そのような彼らは、過去イスラエルの全盛期(ぜんせいき)であったダビデの王国が回復される時を待ち望んでいました。主の名によって来られる主イエス・キリストがイスラエルを回復してくださるメシアとして信じているということです。彼らは喜び大きな声で叫び、賛美をしたのです。神様は、人類の平和となり、特別にイスラエルの平和となり、すべての栄光となるお方だという内容の賛美です。
今、私たちも神様の恵みを体験し、神様がなさった素晴らしい出来事を通して感激し、感謝しながら賛美を捧げなければなりません。特に、私たちを救うためにエルサレムへ上られたイエス様を覚え、大声で叫び、賛美を捧げるのです。謙遜な王であるイエス様、苦難と従順の王であるイエス様、平和の王であり、栄光の王であるイエス様を大声で叫び、心から賛美を捧げましょう。

三つ目に注目したいことは、エルサレムのために泣いたイエス様の姿です。
イエス様は、美しい石と材料で造られた壮大(そうだい)で、立派な神殿、まるで平和が溢れているような多くの建物をご覧になったでしょう。過去、エルサレムは、全地の喜びでした。しかし、今イエス様の目の前に見えるエルサレムは、そのすべての喜びが消えてしまった姿でした。主の目から涙が流されました。また、主の口から嘆きの声が、苦しみの嘆息が出たのです。42節を見てください。
[もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら…しかし今は、それがお前には見えない]
平和こそ、イエス様です。主の福音です。しかし、彼らには救いの門が閉じられ、彼らの前に平和であり、救い主であるイエス様が現われましたが、彼らはイエス様を受け入れませんでした。イエス様の嘆息と涙がそこにあります。彼らに怖い刑罰と審判の日が近づいてくるのです。悔い改めず、高慢な人々に神様の怒りの審判があります。残念ながらこのことが実際に起こりました。AD70年、ローマのディドという将軍がエルサレムを滅ぼしました。
43-44節を見てください。ご一緒に読みましょうか。
安全だ、堅固だと言いながら神様の聖なるエルサレムを神様が捨てることなどないという傲慢な思いと間違った信仰によって取り返しのつかない審判を受けるようになったのです。恵みの時に救いを失った魂となりました。恵みの時を失ってしまったのです。
聖徒の皆様。
エルサレムに迎えられるイエス様の姿を見ました。イエス様は、『主がお入り用なのです』と言う時、“はい、アーメン”と従う人を捜し、エルサレムに近づいた時、大声で叫び、賛美をした人々と共にいるように願いました。さらに、中身がない、殻(から)だけのエルサレムをご覧になり泣かれました。イエス様が、今の私たちの教会、私たちの信仰の姿をご覧になるとどうでしょうか。もし、喜びも感謝もなく、形式だけの姿だけであれば、イエス様は泣かれるでしょう。
パームサンデーを迎えた私たちは、今日の御言葉を深く覚え、主に従う人、また喜びと感謝の賛美を捧げる人、さらに、神様が喜ばれる信仰生活ができるように歩みましょう。お祈りを致します。



謙遜な王であり、私たちの救いのためにこの世に来られた主イエス・キリストの父なる神様、今日も尊いあなたの御言葉を聞かせてくださり、感謝いたします。私たちは、神様の御子でありながらも一番低く、謙遜な姿で、神様の御心に従い、十字架の道を歩んで行かれたイエス様の愛と恵みを受けました。それにもかかわらず、愚かな私たち人間は、主に従わず、喜びと感謝の賛美もなく、殻(から)だけの信仰生活する時が多いです。赦してくださり、主が泣かれないような信仰を持ち、主に従う正しい信仰生活ができるように導いてください。ここに集まっているお一人お一人が、善通寺教会の聖徒の皆様が、パームサンデーの深い意味を悟り、主の御心に適う歩みをし、また救い主主イエス・キリストを延べ伝えることができるように用いてください。
弱さを覚えている方、悩みによって苦しんでいる方がエルアザルに迎えられたイエス様の姿を覚え、永遠の命を与えてくださるために苦難を受けるイエス様に感謝し、どのような環境の中でも主が喜ばれる人として生きるように導いてください。さらに、天の希望を持って、主の平安の内に過ごすことができるように恵みを与えてください。求道者の方がエルサレムに迎えられたイエス様の御心を悟ることができる恵みを与え、救い主主イエス・キリストを信じる祝福を与えてください。教会から離れている方が、再び主の元に帰り、エルサレムに迎えられたイエス様の歩みを共に歩むことができる幸いを与えてください。礼拝参加が難しくなっている方の上にもパームサンデーの恵みが与えられますように。迎えた受難節の意味を深く覚え、主の苦難の意味を悟り、主の恵みに感謝する今週も歩みとならせてください。すべてのことを主にゆだね主イエスキリストのみ名によってお祈りを致します。

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