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2026年07月05日「神にささげられる良い香り」

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日本聖書協会『聖書 新共同訳』
コリントの信徒への手紙二 2章12節~17節

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妻が高校の修学旅行で初めて韓国に行ったときの話です。空港に着いたとき、空港の中でキムチやニンニクのようなにおいがしたそうです。
初めての韓国で、まず印象に残ったのはそのにおいだったそうです。
私も中国やフィリピンのいろいろな地域に行ったことがありますが、それぞれの地域で独特のにおいを感じたことがあります。
このように、においというものは、その国や地域の独特な文化や環境の一部だと思います。
それだけでなく、においというものはとても不思議です。においをかぐだけで、その人が何を食べたのか分かることもあります。
また、その人からするにおいだけで、その人がどんな仕事をしているのか、ある程度想像することもできます。
うどん屋で働いた後の人からは、うどんのにおいがします。焼肉屋で働いた後の人からは、肉を焼いたにおいがします。
しかし、このように鼻で感じることができるにおいだけがあるわけではありません。
その人の生き方を通して、その人の「におい」を知ることができます。聖書ではこれを「香り」と表現しています。
私たちはどのようなにおいを放ち、どのような香りを漂わせながら生きているのでしょうか。

パウロは行く先々でキリストの福音を伝えました。12〜13節を見ると、トロアスに行って、そこで福音を伝えたことが分かります。
そこでパウロは、神様が福音を伝える機会を与えてくださっていることに気づきます。
そして彼は、そこでテトスに会おうとしていたようです。おそらく、テトスはコリントに送る手紙をコリントの信徒たちに届け、彼らがどのような反応や対応をしたのか、その結果を携えてパウロとトロアスで会う約束をしていたのだと思われます。
しかし、テトスはトロアスに戻りませんでした。パウロはトロアスで会う約束をしていたテトスに会えなかったため、心配になりました。テトスに会えなかったパウロは、不安の心を抱いたまま人々に別れを告げて、マケドニア州に出発しました。
パウロがマケドニア州に出発したことに触れた後、14節で手紙の内容が突然大きく変わるのが分かります。
注釈によれば、多くの神学者たちは、コリントの信徒への手紙二の1章から2章13節まではコリントの信徒たちに送った一つの手紙の一部であり、2章14節以降は別の手紙の一部として編集されていると考えています。とにかく、その点についてはここでは触れないことにします。

今日読んだ14節以降の内容を見ると、パウロは御言葉を通して、私たちキリスト者の生き方、すなわちアイデンティティが何であるかを示しています。私たちがこの世でどのような人生を生きるように呼ばれたのか。
私たちがこの世でどのような人生を生きるように呼ばれているのか、また、なぜこの世に存在しているのかを教えています。
まず、14節にはパウロの感謝の内容が記されています。
[神に感謝します。神は、私たちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、私たちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます]
第一の感謝の内容は、[いつもキリストの勝利の行進に連ならせてくださる]ということです。
それはどういう意味でしょうか。それは、私たちに弱さや失敗、また過ちがないという意味ではありません。
時に私たちは自分自身に深く失望し、さらには絶望を感じることさえあります。しかし、神様は私たちに勝利を与えてくださいます。
神様が計画された目的のとおりに、私たちを建て上げてくださるという意味です。イエス・キリストにあって、神様のご計画は必ず成し遂げられます。時には、私たちの失敗を通してさえ、私たちを建て上げてくださいます。
これが恵みであり、感謝すべきことです。

パウロはコリントの教会のことで大きな困難を経験しています。
主の御言葉を伝えたにもかかわらず、教会は十分に神様の御心の中に立つことができませんでした。
このことで、失望し、落胆することもあり得ます。しかし、パウロはそのようにはしませんでした。なぜなら、神様が教会を建て上げてくださると確信していたからです。
ヤコブのことを思い出してみてください。彼は父親をだまし、また兄をもだました人でした。
そして長年、多くの困難を経験した人でもありました。しかし、後になって見ると、神様に対する信仰告白がはっきりしていることが分かります。
神様がヤコブを神様の人にふさわしく導き、建て上げてくださったのです。
私たちも同じです。キリストにあって生きるなら、たとえ私たちがどれほど不十分で弱く、失敗の多い人生を歩んでいたとしても、神様は私たちを神様の民にふさわしく建て上げ、導いてくださるのです。

次に、パウロは何を感謝しているのでしょうか。14節の途中からもう一度見てください。[私たちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます]
神様の御心はここにあります。神様は私たちを通して「キリストを証しする」ようにしてくださいます。
時々、人はイエス・キリストの名によって自分を現そうとすることがあります。後で学びますが、4章7節には[わたしたちは、このような宝を土の器に納めています]と書かれています。「宝」とは、イエス・キリストのことです。人はこの宝を持っていながら、自分こそが宝であるかのように語ろうとします。しかし、私たちは宝であるイエス・キリストを現す生き方をしなければなりません。
私たちの人生を通して証しされるべきお方は、イエス・キリストなのです。
「キリストを知るという知識の香り」という表現があります。「知る」という言葉は、単に知識として知るという意味ではなく、人格的な交わりを通して、また共に経験する中で知るという意味です。すなわち、キリストと共に歩むなら、キリストを現すことができるということです。
イエス・キリストを知り、キリストを現すことこそが、キリスト者の香りなのです。

15節を見ると、パウロは再び、私たちキリスト者のアイデンティティが何であるかを教えています。
[救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、私たちはキリストによって神にささげられる良い香りです]
私たちキリスト者のアイデンティティとは何でしょうか。それは「キリストによって神にささげられる良い香り」であると語られています。
「香り」という言葉は、旧約聖書のいけにえのささげ物に用いられていた表現です。
例えば、創世記8章20節を見ると、洪水の後、ノアは箱舟から出て祭壇を築き、焼く尽くささげものを神様に捧げました。
創世記8章21節を見ると、[主は宥めの香りをかいで]と記されています。出エジプト記29章18節にも、焼き尽くすささげ物について述べる中で、[宥めの香り]と記されています。この香りは、神様を「喜ばせるもの」です。
ローマの信徒への手紙12章1節には、[自分の体を神に喜ばれる生けるいけにえとしてささげなさい]と書かれています。
すなわち、私たちのすべての生き方を通して、神様に喜ばれる香りとなるように教えています。私たちがイエス・キリストを現すとき、神様の前に香りを放つ存在となります。私たちの人生はすべて、イエス・キリストを現す香りでなければなりません。
私たちは自分自身を生きた供え物としてささげ、イエス・キリストを現さなければなりません。

私たちキリスト者は、イエス・キリストの香りです。しかし、その香りは異なります。16節を見てください。
[滅びる者には死から死に至らせる香りであり、救われる者には命から命に至らせる香りです。このような務めに誰がふさわしいでしょうか]
キリスト者の生き方は、イエス・キリストの十字架と復活の福音を伝える生き方です。しかし、それはある人にとっては死の香りとなります。そのような人々は福音を聞いても、なお死の道を歩み続けます。イエス・キリストを受け入れないなら、神様の怒りがその上にとどまり続けます。
しかし、ある人々にとっては、命に至る命の香りとなります。それは、命を与える福音です。
イエス・キリストを信じるなら、永遠の命が与えられます。
[このような務めに誰がふさわしいでしょうか]と書かれています。福音を伝える働きは、重要で重い使命であることを意味しています。
福音は、永遠の命と永遠の死を分けるものです。真の福音を伝える人は、イエス・キリストを受け入れ、信じるようにと語ります。
しかし、偽りの福音を伝える人々は、自分自身を認めてほしいと求めます。
パウロは今、自分がそのような偽りの人たちとは違う存在であることを示しています。

パウロは再び、自分と当時の偽りの人々とは違うと述べています。17節です。
[私たちは、多くの人々のように神の言葉を売り物にせず、誠実に、また神に属する者として、神の前でキリストに結ばれて語っています]
この御言葉を見ると、当時の偽りの使徒や偽りの預言者たちの特徴を知ることができます。
[売り物] という言葉は、商人たちの用語です。
彼らは御言葉を自分たちの利益のために変えて伝えます。御言葉を伝える者の重大な罪は、神様の御言葉を自分たちの都合の良いように作り変えてしまうことです。しかし、真の使徒は違います。純粋な御言葉をそのまま伝えます。神様の御言葉をそのまま語ります。
まるで神様ご自身が語っておられるかのように御言葉を伝え、神様の御前で証しをします。
そして、これらすべてのことは、必ずイエス・キリストの裁きの座の前で明らかにされます。

私たちは、神様に召され、神様に遣わされたキリストの香りを放つ者です。真理であるイエス様を現す者として召された者です。キリストの香りは、私たちが語るときに香りとなります。では、何を語るのでしょうか。それは、キリストを知る知識、すなわち福音の真理を語るということです。
これこそがキリストの香りの働きであり、また語るべき内容なのです。

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