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2026年01月25日「霊的な賜物とは」

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日本聖書協会『聖書 新共同訳』
コリントの信徒への手紙一 12章1節~31節

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私たちは11章で、礼拝に関する二つの主題について学びました。まず、礼拝でのかぶり物について話しながら教会で行う公の礼拝の権威、また秩序について学びました。二つ目は、主の晩餐を行う時に起こった問題を通して良い結果を招く集まり、すなわち、正しい礼拝について学びました。今日は、礼拝に関する三つ目の主題である霊的な賜物について学びます。パウロは、霊的な賜物について12-14章までにわたって話します。12章は、賜物を与えてくださった目的と理由について、また13章は賜物を使う基盤となる愛について記されています。続いて14章には、霊的な賜物を正しく使う方法について教えています。

私は、今年最初の主日の説教の時、教会標語に合わせて12章の一部を持って説教を一回しました。ですので、今日の二回目は長いですが、12書全体について学ぼうとします。12章は、[賜物の章]だと言うほど様々な霊的な賜物について紹介しています。教会の聖徒であれば、多くの方が12章を通して、特に12章8-10節を通して自分がどのような霊的な賜物が与えられたのかを確認する時もあります。しかし、12章を詳しく読みますと、パウロが本当に伝えたいことがあるということが分かります。それは何でしょうか。それは、霊的な賜物も大事だということも伝えていますが、神様がそれらを聖徒たちに与えてくださった目的と理由が何かを伝えたかったのです。その目的と理由を理解しようとすれば、私たちは霊的な賜物だけではなく、ほかのことにも注目しなければなりません。パウロは、12章を通してこのことを勧めています。
まず、パウロは霊的な賜物も大事ですが、その賜物を与えてくださった聖霊に注目しなければならないと言います。
3-11節を見ますと、多く出る言葉あります。それは[聖霊] という言葉です。特に8-10節には、様々な賜物を言いながらこれらの賜物の前に、[霊によって]という修飾語が書いてあります。これらの事をよく考えますと、霊的な賜物も大事ですが、パウロはその賜物を与えてくださる方が聖霊だということを強調していることが分かります。ですので、私たちは自分が与えられた霊的な賜物が何かを確認することも大事ですがその前に、まずその霊的な賜物を与えてくださる聖霊に注目しなければなりません。
聖霊は人々に同じような賜物を与えません。それぞれに違う霊的な賜物を与えてくださいます。それぞれに与えられた賜物を、それぞれ違う形で教会に仕えます。4-6節を見てください。[賜物はいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です]と書いてあります。この御言葉の意味は何でしょうか。
私たちに与えられた賜物はそれぞれ違い、その賜物を持って教会に仕える職分、役割も違い、また働きもそれぞれ違いますが、結局すべてのことは誰のためにするのか、神様が全てをなさいますが、それらの全てが神様のためだということです。もう一度4-6節を見てください。パウロは、賜物の話を言いながらそれらの焦点を聖霊と御子と神様に集中させます。これらの事は、私たちがどのような霊的な賜物を与えられたのかということより、私たちが与えられた霊的な賜物を何のために使うのかがもっと重要な事だと強調しているのです。私たちはどのような霊的な賜物を与えられたのでしょうか。その霊的な賜物を与えてくださったお方のために使わなければなりません。霊的な賜物を与えてくださった方が聖霊の神様だということを私たちが悟るならば、それぞれに与えられた賜物を大事にし、その賜物を持って主のために生きようとする心を持つようになるのです。ですので、私たちは霊的な賜物も大事にしなければなりませんが、霊的な賜物を与えてくださった聖霊により深く注目しなければなりません。

それでは、私たちは与えられた賜物をどのようにして主のために使うことができるのでしょうか。それは、教会の中で賜物を使うことです。主の教会は、私たちが与えられた霊的な賜物を使う現場です。ですので、私たちは私たちが与えられた霊的な賜物を使う教会に注目しなければなりません。7節を見てください。
[一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです] ここに[全体の益]と書いてありますが、これは教会共同体の益を言います。霊的な賜物は、それぞれの自分の益ではなく、教会共同体全体のために使わなければならないという意味です。11節を見てください。[これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです]と書いてあります。この御言葉の意味は、聖霊が一人一人に違う賜物を与えてくださったのは、神様の御心を成し遂げられるためだということです。この神様の御心について話した後、その次にはキリストの体である教会について語っています。12節を見てください。[体は一つでも、多くの部分から成り、体の全ての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である]と書いてあります。これは神様の御心こそ、一つである教会と関連があるということを意味します。ですので、私たちは自分がどのような霊的な賜物を与えられたのかに注目する以前に私たち自身はどのような部分が教会の益となることができるのかということを考えなければなりません。そうするならば、私たちが与えられた霊的な賜物の意味を悟り、それを持って神様の御心に適うところに用いられることになります。普通、聖徒たちは、教会に仕えるために自分がどのような霊的な賜物を与えられたのかを先に悟って教会に仕えることができると思います。当然そう思うでしょう。しかし、それより自分がどのようにして教会の益となる働きをすることができるのかということを先に悟ると、その後は自分が与えられた霊的な賜物が何かを自然に悟ることができて、それを通して教会に仕えることができるのです。

最後にパウロは、神様が私たちに霊的な賜物を与えてくださった理由は、キリストの体である教会を立てる兄弟姉妹が互いに配慮し合うためだと語ります。
25節を見てください。[それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています]と書いてあります。神様は兄弟姉妹が互いに配慮し合うために霊的な賜物を与えてくださいました。ですので、私たちは与えられた霊的な賜物に注目する前にまず、私たちの助けが必要な兄弟姉妹に注目しなければなりません。助けが必要な兄弟姉妹に注目するならば、彼らをどのようにして助けることができるのかを考え、また神様が与えてくださった霊的な賜物を通して実践することができるのです。主の中で一つとなった私たちは、皆互いに大事な兄弟姉妹です。主に選ばれた一人一人は、教会共同体を立てるために必要な兄弟姉妹です。このことを絶対に忘れてはなりません。21-25節をご一緒に読みましょうか。

今読みました内容を簡単に言いますと、主の教会の中にいるすべての兄弟姉妹は、人間の目には弱く、尊い存在ではないように見えているとしても主の体である教会を立てることにおいて皆が必要であり、尊い存在だということです。ですので、主の中で一つであり、大事な兄弟姉妹となった私たちはそれぞれに与えられた霊的な賜物を持って互いに配慮し合わなければなりません。仲間割れをしてはならないということです。偏愛、偏見してはなりません。皆が霊的な賜物を持って互いに配慮し合わなければなりません。健全な教会、主の教会はこのような関係を結ばなければなりません。そうするならば、26節を通してパウロが勧めたように“一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶ”教会共同体となるのです。

最初の主日礼拝の時も言いましたが、私たち皆は、聖霊によってそれぞれに違う霊的な賜物を与えられました。この霊的な賜物だけに関心を持つことではなく、神様はなぜ、この霊的な賜物を与えてくださったのかという理由と目的を悟り、教会共同体全体の益のために生きる私たちとなるように願います。また主の体である教会を立てる兄弟姉妹が互いに配慮し合い、助け合い、また愛し合うことができる共同体となるように願います。そうするためには、私たちに霊的な賜物を与えてくださった聖霊に注目し、また、霊的な賜物を生かす現場である教会に注目し、さらに霊的な賜物を通して互いに配慮し合う関係である兄弟姉妹に注目しなければなりません。そうするならば、私たちは霊によって与えられた霊的な賜物を通して神様の御心に適うキリスト者として生きることができるのです。その祝福と恵みが豊かにありますように願います。

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