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2025年12月14日「その名はインマヌエル」

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日本聖書協会『聖書 新共同訳』
マタイによる福音書 1章21節~23節

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旧約と新約の間には、およそ400百年という中間期があります。この期間を神様の沈黙期だと言います。この期間に神様は何も言われませんでした。それで、神殿の機能は麻痺してしまい、ユダヤの宗教は形式的な宗教となりました。神殿で多くの捧げものを捧げても神様は、受け取られませんでした。すなわちイスラエルの民と共にいてくださらなかったのです。それで、この期間をイスラエルの暗黒期だと言います。神様の臨在がなく、神様の御声も聞こえず、天が閉じられました。神様の民が神様に出会うことができないということは、もう終わりだということと同じです。しかし、その長い沈黙と暗闇を切り抜けて、イエスキリストがこの世に来られたのです。クリスマスは、神様が人間の体を通して私たちに近づいてくださった出来事です。誰とでも出会うことができる人として来られました。問題は、神様が神様のように見えなかったので、人々はイエスキリストを受け入れなかったのです。イザヤ書の預言通りに[彼は軽滅され、人々に見捨てられ]となってしまいました。人々はイエスキリストを認めませんでした。ヨハネによる福音書1章11節には、[言葉は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった]と書いてあります。神様が人となってくださった理由は、人がその方に近づくことができるように道を開いてくださるためでした。罪によって神様から離れ、神様に出会うことができなくなってしまった人間の罪の問題を解決するために神様が人として来られ、人間のために死なれました。その結果、人間が神様の御前に行く道が開かれたのです。これが今日の箇所である23節の御言葉です。[見よ、おとめが身ごもって男の子を生む。その名はインマヌエルト呼ばれる] 多くの人は、この御言葉を見て、‛処女が子供を産むなんて…’と思い、信じません。しかし、この御言葉の核心は、神様が人間となってくださったということです。イエス様がおとめマリアからお生まれになったということは、人類を救うための神様の愛です。人間が人間を救うことができない、また罪人が罪人を救うことができないので、人間の全ての罪を解決し、救うために誰かが犠牲になければならないので、神様が人間となり人間の代わりに贖い主となってくださったのです。しかし、神様は罪がある人間がそのようにできないので、罪が全くない者として来られるためにおとめマリアの体を通してこの世に来られたのです。それで、イエスキリストは神様ですが、肉体を持ち、人間となりましたが、罪が全くない救い主となりました。私たちのために十字架の上で死なれ、すべての罪の問題を解決してくださいました。そのイエス様がこの世に来られた時の名前が‛インマヌエル’という名前でした。すなわち、神様は我々と共におられるという意味の名前です。これこそ、福音です。神様が人間の体を通して来られ、私たちと共にいてくださるということです。罪によって神様から遠く離れた私たちに近づいて私たちと共におられるのです。罪人である人間が神様に出会うということこそ、福音です。
イエス様は、人間に宗教というプレゼントをくださるために来られたのではありません。イエス様は私たちと共におられるために来られました。神様は、私たち人間が、神様を知り、神様に出会うことができるように現してくださったのです。イエス様は復活され、弟子たちに[私は、世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる]と言われましたが、これこそ、イマヌエルの祝福です。そのお方が、私たちと共におられるということは、私たちの人生が完全に変わるという神様の祝福です。そのお方が赤ちゃんとしてお生まれになり、私たちに近づいて来られました。創造主が被造物となったということです。この出来事は信仰の目で見ないならば、本当に信じることが難しいです。
それでは、イエス様が人間の体を通してこの世に来られた理由は何でしょうか。
21節を見てください。[マリアは男の子を産む。その子をイエスと名つけなさい。この子は自分の民を罪から救うからである] イエス様がこの世に来られた理由は、私たちを罪から救うためです。これがクリスマスの核心であり、理由なのです。イエス様が来られたのは、単純に平和を与えるためではありません。罪の問題が解決できなければ、平和はありません。イエス様は単純に私たちの幸せのために来られたのでも、道徳的な教訓を与えるために来られたのでもありません。聖書は、イエスキリストがこの世に来られた理由についてはっきり教えます。人間の罪の問題を解決するために、罪から人間を救うためだということです。
人類が不幸になった理由は、罪のためです。今の時代、経済的な問題、政治的な問題、また様々な問題が起こっていますが、深く考えますと、そこには罪の問題があるからです。人間の根本的な罪の問題が解決できなければ、祝福は与えられません。
この世は、罪に対してあまり話しません。話したとしても人間の過ちや法律的な違反などを言います。人々は罪という単語をあまり聞きたくないでしょう。罪の認識がなければ、おとめアリアからお生まれになったイエス様の誕生も十字架の死も認めません。とにかく、キリスト者となった人は、必ず、罪の問題を通らなければなりません。本当のキリスト者は、自分自身が罪人であることを認める人です。これは、教会のメンバーシップになる資格の基準です。イエス様もお働きをなさる時、[私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである]と言われました。ですので、教会は罪人が集まっているところだと言われます。人間の罪の問題は、この世に来られたイエス様が私たちの代わりに罪の刑罰を受けられるならば解決できます。この方法しかありません。罪の問題が解決できなければ、神様の御前に近づくことはできません。私たちがこの世に来られ、私たちのために十字架の上で死なれた主の前で私たちの罪を告白し、私たちのために死なれた主イエス・キリストを認めるならば、救いの喜びが与えられます。そうするならば、神様と私たちの間にある壁が崩され、神様と和解する恵みが与えられるのです。さらに、神様が私たちと共におられることを感じられ、信じるようになります。遠く離れていた神様との関係が回復されます。ですので、クリスマスを迎えている私たちは、主イエス・キリストを人格的に受け入れ、心から信じなければなりません。

ローマのバチカンに行くと、有名なシスティーナ聖堂があります。そこには、ミケランジェロの名作(アダムの創造)という作品が天上に掛かっているそうです。その絵を見ますと、神様は体を人間の方に向けて、手を伸ばしています。ミケランジェロは、神様が創造されたアダムに手を伸ばしておられる神様の姿を描いています。しかし、よく見ますと、神様とアダムの指の間に微細な間隔があります。私も大塚美術館で観賞したことがあります。インターネットを通しても確認することができます。アダムも神様に向かって手を伸ばしていますが、アダムはなんとなく近づいて行きたくないようなポーズをしています。ミケランジェロは、その微細な間隔を表現したのです。神様は人間に近づくためにできる限り手を伸ばしておられますが、アダムは積極的に手を伸ばそうとしません。ミケランジェロは、この絵を通して神様ご自身にかたどった人間と共にいようとする神様の心を表現したのです。このように神様は私たちが思っているよりもっと近づこうとされるお方です。神様は決して私たちを拒否せず、私たちに近づいてくださいます。神様の御子イエス・キリストがこの世に来られた理由です。私たちに近づいて来られた神様に出会うならば私たちの人生は完全に変えられます。迎えようとするクリスマスに私たちに近づいて来られたイエス様に出会う恵みが与えられますように願います。これこそ、新約の時代に生きている私たちの特権です。インマヌエルの主と共に日々の生活の中で生き、また導かれるすべての人生の旅が神様の民の特権であります。主は私たちと共におられるために天の栄光を捨てて、低くなり、人間の体を通してこの世に来られたのです。

ダビデは詩編23篇4節を通してこのように告白します。[死の陰の谷を行く時も私は災いを恐れない。あなたが私と共にいてくださる] ダビデがこのように告白したのは、主が共にいてくださるからです。旧約のダビデは、インマヌエルの主と共に生きていたのです。一番苦しい苦難の中でもダビデは、神様が共にいてくださるということを信じたので、災いを恐れなかったのです。
クリスマスを迎えている私たちは、私たちに近づいてくださり、また手を伸ばしてくださり、さらに私たちと共にいてくださる主を心から受け入れ、固く信じ、喜びと感謝を持って主をたたえましょう。
今日の御言葉で紹介されたインマヌエルの主は、マタイによる福音書28章の最後の御言葉を通して弟子たちにこのように言われます。[私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる] 多くの苦しみや悩みが溢れているこの世で生きる私たちは、インマヌエルの主がいつも私たちと共にいてくださるので、恐れることはありません。重要な事は、インマヌエルの主を心から信じることです。そのお方が今も私たちと共にいてくださいます。初めから生きておられる主は、昔だけではなく、今も、またこれからも私たちと共にいてくださいます。そのお方は、決してご自分の民から離れず、ずっと共にいてくださいます。その証拠が、人間の体を通してイマヌエルの主として、この世に来られたということです。
今まで、自分一人ですべてを解決しようとしたり、また自分一人で苦労をしながら寂しく生きて来たと思う方がいらっしゃるならば、いつも私たちと共にいてくださるインマヌエルの主を覚え、信じ、主の中で生きるように願います。暗闇から光が見え、不安から主の平和と恵みが与えられると信じます。インマヌエルの主だけがこの世で私たちの希望であり、救い主だからです。
憐れみ深く愛が溢れる全知全能の神様は、今もここで私たちと共にいてくださいます。また、このお方は私たち皆を招いてくださいます。もちろん、礼拝堂だけにおられる方ではありません。私たちが生きているすべての環境の中で、私たちから離れず、私たちと共にいてくださいます。アドベント3週目を迎えている私たち皆がこのインマヌエルの主と共に歩み、この世が与えられない恵みの中で幸せに生きていきましょう。

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