2023年09月24日「むなしさのただ中におられるイエス」

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むなしさのただ中におられるイエス

日付
説教
小宮山裕一 牧師
聖書
創世記 12章34節~56節

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聖書の言葉

イエスはオリーブ山へ行かれた。朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」創世記 12章34節~56節

メッセージ

本日の聖書箇所は、一人の女性が姦通で捕まり、イエス・キリストの前に連れてこられた場面。この物語は新共同訳聖書ではカッコに囲われている。なぜならばこの箇所はヨハネ福音書の原本にはなく後の時代に挿入されたものだと考えられているので他の聖句と区別してカッコに入れられているのだろう。それでもこの話が聖書に残っているのは多くの人々に愛されてきたから。多くの人が自らをこの女性や律法の専門家に重ね、イエスの教えに触れるから。

この場面で法律の専門家たちはイエスを試すため、姦通で捕らえた女性を連れてきた。そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」(3節~5節)。彼らの目的はイエスを罠に嵌めること。どのように裁くかで、イエスがどのような人物であるかを試したかった。この女性を石で撃ち殺せといえば聴衆はイエスに失望するだろう。殺さなくてもよいといえば律法をないがしろにする人物だということでイエスが石打にされても不思議ではない。そこでイエスは当初、沈黙を守っていた。最終的には「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」といわれた。

この一言によって、法律の専門家たちは一人ずつ去っていった。彼ら自身も罪を持っていることを自覚したのだ。罪には大小がある。この女性は大木な罪を犯した。それでも罪があるかないかでいえば全員が罪人なのである。そのことを自覚したから彼らはキリストのところから離れていったのだ。

女性の命は助かった。しかし、これでは命の危険が取り去られたに過ぎない。まだ救われていない。そこでイエスはさらに彼女に「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」と言われた。罪を定めるのは神に与えられた権威。キリストはこのところでご自分が神であること、そして罪を赦す権威をお持ちであることを明らかにしている。そしてキリストは十字架に向かう。人々の罪を赦すために。