2022年01月16日「ダビデ契約」

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ダビデ契約

日付
説教
小宮山裕一 牧師
聖書
サムエル記下 7章

音声ファイル

聖書の言葉

王は王宮に住むようになり、主は周囲の敵をすべて退けて彼に安らぎをお与えになった。王は預言者ナタンに言った。「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ。」ナタンは王に言った。「心にあることは何でも実行なさるとよいでしょう。主はあなたと共におられます。」しかし、その夜、ナタンに臨んだ主の言葉は次のとおりであった。
「わたしの僕ダビデのもとに行って告げよ。主はこう言われる。あなたがわたしのために住むべき家を建てようというのか。わたしはイスラエルの子らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、家に住まず、天幕、すなわち幕屋を住みかとして歩んできた。わたしはイスラエルの子らと常に共に歩んできたが、その間、わたしの民イスラエルを牧するようにと命じたイスラエルの部族の一つにでも、なぜわたしのためにレバノン杉の家を建てないのか、と言ったことがあろうか。
わたしの僕ダビデに告げよ。万軍の主はこう言われる。わたしは牧場の羊の群れの後ろからあなたを取って、わたしの民イスラエルの指導者にした。あなたがどこに行こうとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう。わたしの民イスラエルには一つの所を定め、彼らをそこに植え付ける。民はそこに住み着いて、もはや、おののくことはなく、昔のように不正を行う者に圧迫されることもない。わたしの民イスラエルの上に士師を立てたころからの敵をわたしがすべて退けて、あなたに安らぎを与える。主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。
わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が過ちを犯すときは、人間の杖、人の子らの鞭をもって彼を懲らしめよう。わたしは慈しみを彼から取り去りはしない。あなたの前から退けたサウルから慈しみを取り去ったが、そのようなことはしない。あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。」
ナタンはこれらの言葉をすべてそのまま、この幻のとおりにダビデに告げた。
ダビデ王は主の御前に出て座し、次のように言った。「主なる神よ、何故わたしを、わたしの家などを、ここまでお導きくださったのですか。主なる神よ、御目には、それもまた小さな事にすぎません。また、あなたは、この僕の家の遠い将来にかかわる御言葉まで賜りました。主なる神よ、このようなことが人間の定めとしてありえましょうか。ダビデはこの上、何を申し上げることができましょう。主なる神よ、あなたは僕を認めてくださいました。御言葉のゆえに、御心のままに、このように大きな御業をことごとく行い、僕に知らせてくださいました。主なる神よ、まことにあなたは大いなる方、あなたに比べられるものはなく、あなた以外に神があるとは耳にしたこともありません。また、この地上に一つでも、あなたの民イスラエルのような民がありましょうか。神は進んでこれを贖って御自分の民とし、名をお与えになりました。御自分のために大きな御業を成し遂げ、あなたの民のために御自分の地に恐るべき御業を果たし、御自分のために、エジプトおよび異邦の民とその神々から、この民を贖ってくださいました。主よ、更にあなたはあなたの民イスラエルをとこしえに御自分の民として堅く立て、あなた御自身がその神となられました。主なる神よ、今この僕とその家について賜った御言葉をとこしえに守り、御言葉のとおりになさってください。『万軍の主は、イスラエルの神』と唱えられる御名が、とこしえにあがめられますように。僕ダビデの家が御前に堅く据えられますように。万軍の主、イスラエルの神よ、あなたは僕の耳を開き、『あなたのために家を建てる』と言われました。それゆえ、僕はこの祈りをささげる勇気を得ました。主なる神よ、あなたは神、あなたの御言葉は真実です。あなたは僕にこのような恵みの御言葉を賜りました。どうか今、僕の家を祝福し、とこしえに御前に永らえさせてください。主なる神よ、あなたが御言葉を賜れば、その祝福によって僕の家はとこしえに祝福されます。」
サムエル記下 7章

メッセージ

サムエル記下7章には預言者ナタンを通して神からダビデに与えられたダビデ契約が記されている。ある人はこの章を「旧約聖書で最も重要なテキストの一つである」といって言う。旧約聖書。この分厚い聖書の中に大切だと思われる箇所はたくさんある。この世界の創造。エデンの園の物語。ノアの箱舟。モーセの十戒。色々と有名な、そして大切な聖書箇所がたくさんある。その中でも、このテキストはとても大切なテキストである。

 なぜか。それは、この箇所はイエス・キリストを指し示しているからである。もちろん、旧約聖書には他にもイエス・キリストを指し示す箇所がある。しかし、このところは、イエス・キリストを目指す旧約聖書の中でもひときわ、キリストの色が濃い場所である。急所といってもよい。

 物語の初めは、王(ダビデ王)が神のために家を建てようとと思った。そこからはじまる。ダビデは自分が王宮にすんでいながら、神には家がないことを憂いた。そこで神の神殿を建てようと思い立つ。預言者ナタンも同意する。確かに、神のために神殿を建てることは良いことである。 しかし、それだけではなく、やはりダビデには思惑があった。それは、自分の統治、支配を確かなものにしようとしたということ。立派な神殿が立てば、ダビデの素晴らしさ、ダビデの信仰、そしてダビデの名声は確かに高まる。それは、ダビデの王としての力を確固たるものにする。そのために、ダビデは神殿を建てようとした。なんとも不純な動機のようにも思えるが、往々して信仰的に最もらしいことの背後に、その人の個人的な思いが隠されている、ということがある。真正面から、自分の力を誇示するために神殿を建てよう、ということなどダビデがいうわけはない。また、さきも触れた信仰的な熱心さがまったくないわけではない。この両者はいわば混ざり合っている。人間はそれほどピュアではない。そして神の御計画はこうした人間の思いを超えた形で成就する。

 神はダビデに対してダビデの家を興すといわれた。(8節~13節)。家を興すということ。この家とは、ダビデの血筋がイスラエルを治める。歴史でいうところの王朝のこと。ダビデは神のために家を建てようとした。そのダビデに対して、主なる神が家を建ててくださるという。人の思いを超える神の姿をこのところは伝えている。

 主は、ただダビデの王朝を立てるというのではない。ダビデに安らぎを与えるという。ダビデが安らぎを得られるということは、ダビデに連なるイスラエルの人々にも安らぎが与えられるということ。

 イスラエルは非常に小さな国である。しかし、主が戦ってくださるのであれば、そこには安らぎがある。平安がある。神の民は、私たちは戦ってくださる主に信頼するところから始めたい。そうすれば、安らぎが与えられる。それこそ、聖書が私たちに伝える約束である。そしてこの安らぎはイエス・キリストによって与えられる。このお方が十字架にお掛かりになり私たちのために犠牲となってくださったことによって神との和解が実現した。この神との和解こそ、真の平安である。