2021年12月12日「恐れずに聞け」

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恐れずに聞け

日付
説教
小宮山裕一 牧師
聖書
ルカによる福音書 2章8節~20節

音声ファイル

聖書の言葉

その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」
 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。ルカによる福音書 2章8節~20節

メッセージ

本日の聖書箇所に登場する羊飼。彼らは暗闇の中にいた。夜を過ごしていた。彼らは羊を見張っていた。それが彼らの仕事である。羊がオオカミに襲われないように、交代で羊の番をしていた。それは、彼らにとっては日常の風景である。

 その彼らのところに、主の天使が近づいてきた。これはそばに立つ、ということ。そのとき、主の栄光が彼らを照らした。その結果、羊飼いは非常に恐れたと聖書は記している。そして、彼らに対して天使は語るのである。「恐れるな」と。羊飼い達は目の前の光景に非常に恐れた。クリスマスに恐れが登場するのは私たちの意表をつく。

 羊飼い達がこのところで恐れたのはただの恐れではない。それは、主の栄光に対する恐れである。この恐れは何も羊飼いのみではない。私たちも恐れを持たなければならない。それはどこまでも照らす光を前にしての恐れである。聖書はクリスマスを前にして私立ちに恐れるように、と求めている。

 なぜか。私たちは恐れを忘れてしまうのである。神に対する恐れ。この私のすみからすみまで正体を暴く。その神に対する恐れである。この恐れをあなたは持っているか。襲われているか。それがクリスマスに私たちが思い巡らすことの一つである。

 人は誰しも、他人に見られたくない場所がある。隠しておきたいところがある。どんなに親しい人であっても、見られたくない部分。隠しておきたい部分がある。しかし、神はそのかくしておきたいところをごらんになる。そのことに私たちは耐えることができない。だからこそ、旧約聖書では神をみると死んでしまうと言うのではないか。羊飼いが恐れたのはこの恐れである。彼らは闇を恐れたのではない。光を恐れたのである。本当に恐れるべきものは光である。なぜならば私たちは闇の住人だからである。私たちには様々な恐れがある。しかし、この光の恐れは小さな恐れをすべて吹き飛ばすほどの恐れである。その恐れが、羊飼い達をおそった。そしてそれは言い換えれば、この光の恐れをそれなくなるのであれば、小さな恐れを恐れる必要ない。

 そして、聖書は、この栄光の恐れを恐れるな、というのである。だからこそ、恵み深い知らせとして私達にもたらされる。繰り返しになるが、私たちは神を恐れなければならない。神の御言葉の前にひざまづかなければならない。私のあらゆるところを見ることができる神がいる。そのことを恐れるのである。

 本当に注意したい。クリスマスはこの恐れをわすれさせてしまう。世間の雰囲気もそうだろう。教会で語られるメッセージもそうではないだろうか。もちろん、教会では平和や喜びや慰めがクリスマスの時に語られる。しかし、その喜びや平和や慰めは、今申し上げた栄光の恐れ。この栄光の恐れを持つものに、もたらされる平和であり喜びであり、慰めなのである。そしてこのように神を恐れる者に天使は言う。「恐れるな」と。救い主がお生まれになった。すべてをご存じの方が愛なる神としてこの世界にこられた。ここに恐れからの解放と自由への道がある。