2021年10月10日「神の祝福」

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神の祝福

日付
説教
小宮山裕一 牧師
聖書
創世記 15章1節~21節

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聖書の言葉

これらのことの後で、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。「恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。」アブラムは言葉をついだ。「御覧のとおり、あなたはわたしに子孫を与えてくださいませんでしたから、家の僕が跡を継ぐことになっています。」見よ、主の言葉があった。「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。主は言われた。「わたしはあなたをカルデアのウルから導き出した主である。わたしはあなたにこの土地を与え、それを継がせる。」アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。この土地をわたしが継ぐことを、何によって知ることができましょうか。」主は言われた。「三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩と、鳩の雛とをわたしのもとに持って来なさい。」アブラムはそれらのものをみな持って来て、真っ二つに切り裂き、それぞれを互いに向かい合わせて置いた。ただ、鳥は切り裂かなかった。はげ鷹がこれらの死体をねらって降りて来ると、アブラムは追い払った。日が沈みかけたころ、アブラムは深い眠りに襲われた。すると、恐ろしい大いなる暗黒が彼に臨んだ。主はアブラムに言われた。「よく覚えておくがよい。あなたの子孫は異邦の国で寄留者となり、四百年の間奴隷として仕え、苦しめられるであろう。しかしわたしは、彼らが奴隷として仕えるその国民を裁く。その後、彼らは多くの財産を携えて脱出するであろう。あなた自身は、長寿を全うして葬られ、安らかに先祖のもとに行く。ここに戻って来るのは、四代目の者たちである。それまでは、アモリ人の罪が極みに達しないからである。」日が沈み、暗闇に覆われたころ、突然、煙を吐く炉と燃える松明が二つに裂かれた動物の間を通り過ぎた。その日、主はアブラムと契約を結んで言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで、カイン人、ケナズ人、カドモニ人、ヘト人、ペリジ人、レファイム人、アモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人の土地を与える。」創世記 15章1節~21節

メッセージ

神はアブラハムと契約を結ばれた。この契約をアブラハム契約という。このアブラハム契約を本日の聖書箇所から見ていきたい。

 主はアブラムに恵み(プレゼント)を約束する。それが、こどもが与えられるということ、そして土地が与えられるということ。そして長寿である。旧約聖書のなかで、神が人に与えるもっとも価値のあるプレゼントは、一つはこどもが与えられること、もう一つが土地が与えられること、そして最後が長寿である。イスラエルは遊牧民なので、土地が与えられるということはとても価値が高い。そして、その土地を安定して治めるためには人が必要となる。だから、子孫が増えることが求められる。そして、その土地で人々が長くすめばより良い。これらは前回見た12章のところで、土地を与えるということ、大いなる国民にするということが約束されていた。主なる神はあらためてこのところで、アブラムに約束してくださったのである。しかもその具体的な中身は12章よりも具体的になっていく。

 しかし、アブラハムには子供がいない。それなのに、神はアブラハムから出るものが後を継ぐという。アブラムからすればこれは驚くべきことである。いや、信じられない。いやいや、信じろという方が無理な命令である。しかし、神は証拠を見せる。それが5節であるが、ある聖書ではこのように翻訳している。「さあ、天を見上げなさい」。心を高く上げよ、というのである。空には満点の星空が広がっていた。この星のようにあなたの子孫は増えていくというのである。なんというすばらしい約束であろうか。この時、アブラハムは75歳。人間的に考えればもうこどもが与えられることはない。しかし、アブラハムはこの星空のように、自分の子孫が増えること、そのことの初めとして子供が与えられることを信じたのである。

 さあ、天を見上げなさい。この主の言葉を覚えたい。心を高く上げよう。大いなる主の導きに信頼しよう。思いもよらない主の御業を共に見に行こう。この天を見上げなさい、というのは神様からの招きの言葉。

 このところ、スマートフォンを多くの人が持っている。電車など載るとだいたいがみんなスマホを見ている。スマホはとても便利だし、あらゆる情報が手に入る。自分にとって便利になるように出来ている。その意味で、そこにあるのは一つの自分だけの世界、だといっても良い。その自分だけの世界に閉じこもるのではなく、空を見上げよう。そこには人の考えを越える神の約束が確かにある。

アブラムはこの主の約束を信じた。

 この契約はアブラハムと神の間でなされたものであるが、この契約をイエス・キリストを介して私たちもまた与ることができる。それは、神がこの私の生涯の主となってくださるということであり、責任をとってくださるということ。アブラハムに土地が約束されたように、神の国を目指して歩む。アブラハムと同様に、そのことをまた私たちもまたこの約束を信じる。