2026年06月14日「黙する主の真実」
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黙する主の真実
- 日付
- 説教
- 小宮山裕一 牧師
- 聖書
マタイによる福音書 26章57節~68節
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聖書の言葉
人々はイエスを捕らえると、大祭司カイアファのところへ連れて行った。そこには、律法学者たちや長老たちが集まっていた。ペトロは遠く離れてイエスに従い、大祭司の屋敷の中庭まで行き、事の成り行きを見ようと、中に入って、下役たちと一緒に座っていた。さて、祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にしようとしてイエスにとって不利な偽証を求めた。偽証人は何人も現れたが、証拠は得られなかった。最後に二人の者が来て、「この男は、『神の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることができる』と言いました」と告げた。そこで、大祭司は立ち上がり、イエスに言った。「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか。」イエスは黙り続けておられた。大祭司は言った。「生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか。」イエスは言われた。「それは、あなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る。」そこで、大祭司は服を引き裂きながら言った。「神を冒瀆した。これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は今、冒瀆の言葉を聞いた。どう思うか。」人々は、「死刑にすべきだ」と答えた。そして、イエスの顔に唾を吐きかけ、こぶしで殴り、ある者は平手で打ちながら、「メシア、お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ」と言った。マタイによる福音書 26章57節~68節
メッセージ
イエスが大祭司カイアファのもとへ引かれていく夜、十字架への道は事実上ここで定まる。後にローマ総督ピラトの前で起こることは、この夜に下された決定へ法的な体裁を与えるにすぎない。ユダヤの法廷では「お前は神の子、メシアなのか」と問われ、ピラトの前では「お前はユダヤ人の王なのか」と問われる。宗教の問いと政治の問いは違って見えるが、行き着くところはただ一つ、「お前は、いったい何者なのか」である。
夜の屋敷は騒がしい。偽りの証言が飛び交い、大祭司は怒って自らの服を引き裂き、人々は御顔に唾を吐き、こぶしで殴る。その騒がしさのちょうど真ん中に、一人、黙して立つ方がおられる。
この法廷はまともな裁判ではない。「死刑にする」という結論が先にあり、それを正当化するために後から証言が探される。判決が訴えに先立つところに、正しい裁きはない。偽証人は何人も現れたが、嘘と嘘はつじつまが合わず、語れば語るほど崩れていく。最も多く語る者が最も真実から遠く、ただ黙して立つ方こそが、真実そのものとしてそこにおられる。
「黙り続けておられた」という言葉は、ずっと黙し続ける姿を表す。反論できなかったのではない。あえて黙しておられるのである。マタイはこの沈黙のうちに、屠り場へ引かれる小羊のように口を開かなかった、イザヤ書53章の僕の姿を見ている。
だが大祭司が「お前は神の子、メシアなのか」と存在の中心に触れる問いを突きつけたとき、閉ざされていた口がたった一度開かれる。「それは、あなたが言ったことです」。留保のついた肯定である。人々が「メシア」に重ねた地上の王、政治的解放者という思い込みを、主は受け取られない。続く「しかし、わたしは言っておく」が決定的である。ダニエル書7章の言葉を重ね、全能の神の右に座し、天の雲に乗って来る「人の子」、すな
わち永遠の王が、ほかならぬご自分であると宣言される。
被告人席は王座から最も遠い場所である。手を縛られ、死刑を宣告されようとする方が、「あなたたちは見る」と語られるとき、すべてが逆転する。今裁いている者たちが、やがて裁かれる側となる。ここに至って、あの沈黙が敗北ではなかったことが分かる。ご自分が何者であり、どこへ向かうのかを知り、王としての道をあえて選び取られた、能動の沈黙だったのである。
真実を語った方は「神を冒涜した」と断罪され、唾を吐かれ、殴られ、「言い当ててみろ」と嘲られる。だがそれはもはや敗北には見えない。この方こそ、やがて天の座に着くまことの王だと知った目には、暴力は主を打ち負かしていない。教えられた「右の頬を打つ者には左の頬をも」を、主はまずご自身が生きておられる。
見ていながら見えなかった大祭司と同じ問いの前に、すべての者が立つ。この方を何者と見るのか。最後の言葉は、唾でも拳でもなく、この方のものである。「あなたたちは、人の子が全能の神の右に座るのを見る。」