2026年04月26日「あなたを忘れない」
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あなたを忘れない
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- 小宮山裕一 牧師
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ヨハネによる福音書 20章24節~29節
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聖書の言葉
十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」ヨハネによる福音書 20章24節~29節
メッセージ
あなたを忘れない ヨハネによる福音書20章24節~29節
ヨハネによる福音書二〇章二四節から二九節は、復活されたキリストとトマスとの出会いを伝える物語である。十二弟子の一人であるトマスは、キリストが最初に弟子たちのもとに現れた夜、その場にいなかった。理由は記されていない。ただ「いなかった」とのみ淡々と書かれている。この一行は、教会の輪の外側に自分はずっといたと感じている者たちの存在を、物語の入口にそっと置いている。
仲間たちから「主を見た」と告げられたトマスは、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ……決して信じない」と答えた。原文のギリシア語では、否定が二重に重ねられた最も強い表現が用いられている。しかしトマスは、この強い拒絶の言葉を口にしながらも、弟子たちのもとを去らなかった。八日後、彼はまた同じ場所に仲間と共にいた。ここからは、彼が単に疑り深い人だったのではなく、不器用なほど正直な人であったことが見えてくる。信じたいのに信じきれない、もう一度傷つくことを恐れた者の正直さである。聖書はこの状態を恥ずべきものとしてではなく、そのままトマスを物語の中に大切に留めている。
8日後、戸に鍵がかけられた部屋にキリストが現れ、トマスにまっすぐ近寄ってこう語りかけられた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。……信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」その言葉は、八日前にトマスが仲間に向かって口にした言葉とほとんど同じであった。その場におられなかったはずのキリストが、トマスの不信仰の言葉も、頑なさも、その奥にあった傷ついた心も、すべてご存知であった。これは単なる再会ではなく、「あなたのことをわたしはずっと知っていた」ということ。
ここでイザヤ書四九章の言葉が響き合う。「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。……わたしがあなたを忘れることは決してない。見よ、わたしはあなたをわたしの手のひらに刻みつける。」神はご自分の手のひらに、ひとりひとりの名を刻んでおられる。そしてトマスの目の前に差し出されたキリストの手には、釘の傷跡が刻まれていた。「あなたを忘れない」という神の約束が、傷ついたキリストの手として、目に見える形で現されたのである。
トマスはもはや傷跡に触れる必要なく、「わたしの主、わたしの神よ」と告白した。ヨハネ福音書は冒頭で「言は神であった」と宣言するが、物語の中でキリストご自身に向かって「わたしの神よ」と告白した者は、それまで誰もいなかった。福音書の最も深い告白を最初に口にしたのは、信仰の優等生ではなく、正直に「信じない」と言い切った一人の弟子であった。「信じる者になりなさい」とは、立派になれという命令ではなく、この方に出会うことへの招きである。トマスは立派になって告白したのではなく、出会わされたゆえに告白せざるを得なかった。
最後にキリストは、「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」と言われた。これは時代と場所を越え、復活のキリストに直接触れることのできない者たちに向けられた言葉である。信じきれない理由は人それぞれであろう。過去の傷、家族との関係、プライド、関心の薄さ。そのすべてをキリストはご存知であり、その上で今日も、ひとりひとりの真ん中に立って「あなたがたに平和があるように」と語りかけておられる。主はあなたを忘れない。その手のひらには、あなたのために刻まれた傷跡がある。