2026年01月18日「変わることのない言葉」
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変わることのない言葉
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- 小宮山裕一 牧師
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マタイによる福音書 24章32節~35節
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聖書の言葉
「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらすべてのことを見たなら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」マタイによる福音書 24章32節~35節
メッセージ
マタイ福音書24章は「小黙示録」と呼ばれ、主イエスが世の終わりとエルサレムの滅びについて語られた重々しい箇所である。戦争、飢饉、地震、偽預言者の出現といった恐ろしい出来事が予告され、目を覚ましているようにとの警告が繰り返される。このような「滅び」や「終末」のテーマは、私たちを怖がらせるためではなく、この世界がいかに脆く頼りないものであるかという真実を明らかにし、決して変わることのない本当の希望へと視線を向けさせるためである。
私たちは「自分だけは大丈夫」という思い込みを持っている。地球の未来に漠然とした不安を抱きながらも、自分の生活だけは続くと無意識に信じている。主イエスの時代も同様であった。当時のユダヤ人たちは、壮麗なエルサレム神殿を見て「神の住まいであるこの神殿がある限り滅びるはずがない」と信じていた。しかしイエスは「一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」と宣言された。これは当時の人々にとって天地がひっくり返るような衝撃であり、彼らの「正常性バイアス」は目前に迫る危機を直視することを拒んでいた。
しかし、イエスの言葉は単なる精神的な比喩ではなく、冷徹なまでに正確な歴史の予告であった。34節の「この時代が過ぎ去る前に、これらのことがみな起こる」という言葉通り、イエスが十字架にかかられてから約40年後の紀元70年、ローマ軍がエルサレムを包囲し、人々が「絶対に滅びない」と信じていた神殿は徹底的に破壊された。楽観論は崩れ去り、「イエスの言葉は真実であった」という厳粛な事実だけが残った。
では、なぜイエスはこれほど厳しいことを語られたのか。それは恐怖で支配するためではなく、愛の警告である。32節の「いちじくの木のたとえ」で、枝が柔らかくなり葉が伸びると夏の近づきがわかるように、前兆を見て備えをさせるためである。嵐が近づいているのに「快晴です」と嘘をつく船長は優しい人ではなく無責任である。イエスは私たちの魂の船長として、滅びゆくものと一緒に滅んでしまわないようにと、誠実に警告してくださる。
35節「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」という宣言は、イザヤ書40章の「草は枯れ、花はしぼむが、神の言葉はとこしえに立つ」を背景としている。しかしイエスは「神の言葉」ではなく「わたしの言葉」と言われた。これはご自身の言葉を神の言葉と同等の権威として宣言されたということである。
神殿崩壊という厳しい予告が完全に成就したならば、イエスが語られた恵みの言葉もまた確実に成就する。「あなたの罪は赦された」「疲れた者は来なさい、休ませてあげよう」「世の終わりまであなたがたと共にいる」という約束は、天地がひっくり返っても消え去ることがない。私たちは「いつ何が起こるか」を知る必要はない。未来を支配しておられる方を知り、その変わらない言葉を持っているからである。沈没船のような世界に全財産を積むのではなく、決して沈まないイエスの言葉という岩の上に人生の錨を下ろすよう招かれている。