2026年01月11日「キリストが来られるとき」

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キリストが来られるとき

日付
説教
小宮山裕一 牧師
聖書
マタイによる福音書 24章29節~31節

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聖書の言葉

「その苦難の日々の後、たちまち太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。そのとき、人の子の徴が天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使たちは、天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」マタイによる福音書 24章29節~31節

メッセージ

現代社会は「乱世」と呼ぶにふさわしい、心がざわつく時代である。昨日まで当たり前だった秩序が揺らぎ、見えない将来への不安が、静かに、しかし重く心にのしかかる。かつて弟子たちが、世界の中心であった神殿の崩壊を告げられて動揺したように、私たちもまた「これからどうなるのか」と問わずにはいられない。しかし、主イエスは現実の厳しさを認めつつ、不安のただ中にある弟子たちに、ご自身が再び来られる時の希望を語りかけておられる。マタイによる福音書24章29節以下の言葉は、三つの動詞によって私たちの恐れを正し、希望を確かなものとする。

 第一に、世界は「揺り動かされる」。主が語る「太陽が暗くなる」という言葉は、単なる天変地異の描写にとどまらない。それは、私たちが人生の「太陽」として頼りにしてきた健康、仕事、家族、安定した日常といった秩序が崩れる時を指す。頼りにしていた支えが失われる時、人は「もう終わりだ」と絶望しがちである。だが、主はそこで突き放しはしない。人間の支配がほどけ、偽りの支えが剥がされるその瞬間にこそ、私たちは「この世界は最初から主のものだった」という真実に初めて直面できるからである。神は私たちを救うために、あえて私たちの偶像を揺り動かされるのだ。

 第二に、王が「現れ」、私たちはそれを「見る」。混乱の時代、人は不安ゆえに「徴(しるし)」や「近道の救い」を求めがちだが、主役はあくまで「人の子」ご自身である。キリストの来臨は、密室で行われる内輪の熱狂ではなく、稲妻のように公然たる事実として、誰の目にも明らかにされる。ここで重要なのは、救いの確かさが私たちの内側にある不安定な感情や信仰の熱心さではなく、外側から来られる「王の確かさ」にあるという点だ。たとえ自分の心が冷え、信仰が弱く感じられたとしても、王であるキリストの客観的な事実は揺るがない。私たちは見えない王を信頼して歩むのである。

 第三に、主は「呼び集める」。ラッパの音と共に、選ばれた人たちが「天の果てから果てまで」集められる。ここにある「選び」とは冷たい運命論ではなく、「あなたは決して取りこぼされない」という王の約束である。世の恐れや忙しさが私たちを散らし、あるいは自分の弱さゆえに群れから離れそうになる時であっても、主の呼び集める力は私たちの事情を凌駕する。救いは人間の努力の到達点ではなく、最初から最後まで神の主権による恵みなのだ。

 「キリストが来られる時」とは、世界の破滅ではなく救いの完成の時である。その時、分断や暗闇はもはや「最後の言葉」ではなくなる。天地は滅びても決して滅びない主の言葉に信頼し、「わたしは必ず来る」「わたしが呼び集める」という約束に身を委ねて歩み出すこと。それこそが、乱世を生きる私たちの確かな希望である。