2025年12月14日「クリスマス―キリストの誕生-」

問い合わせ

日本キリスト改革派 綱島教会のホームページへ戻る

クリスマス―キリストの誕生-

日付
説教
小宮山裕一 牧師
聖書
マタイによる福音書 1章18節~25節

音声ファイル

聖書の言葉

イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。マタイによる福音書 1章18節~25節

メッセージ

アドベントの連続説教として「脇役たちのクリスマス」を掲げ、物語の主役が救い主イエス・キリストであり、さらにその背後で救いを進める神ご自身であることを確かめる。登場人物は皆、神の救いの物語の中で役割を与えられた「脇役」とも言えるが、聖書はその一人ひとりに神の眼差しが注がれていると示す。そこで焦点を当てるのは、系図の末尾に名が出る程度で、福音書の中で一言も語らない沈黙の人ヨセフである。

マリアが婚約中に身ごもっていることが明らかになったとき、ヨセフは信じたい思いと現実の残酷さの間で引き裂かれる。当時の婚約は法的にも重く、彼はすでに「夫」と呼ばれる立場にあった。神の教えと人として歩むべき道に忠実な「正しい人」として、婚約中の不貞を公に訴える権利もあったが、マリアをさらし者にすることを望まず、ひそかに縁を切ろうと決める。そこには律法の正しさと愛の間で揺れた末の苦渋があり、誰にも相談できない孤独がある。

しかし思い悩む夜に神は沈黙せず、夢の中で天使が「ダビデの子ヨセフ、恐れるな」と呼びかける。ヨセフは裏切られた男ではなく、ダビデの家系としてメシア誕生の計画に組み込まれた者だと示される。胎の子が聖霊によること、男の子が生まれること、その名をイエスとすることが告げられ、「自分の民を罪から救う」使命が明確になる。さらに預言の成就として「インマヌエル(神は我々と共におられる)」が語られる。

インマヌエルの約束は、神の臨在を実感できる人だけでなく、むしろ神が不在に思える闇の中で沈黙の叫びを抱える者に向けられる。ヨセフは言葉を残さないまま、命じられたとおりマリアを迎え入れ、子が生まれるまで関係を持たず、その子をイエスと名付ける。その沈黙の従順に、自己の計画を手放して神の計画に身を置く信仰が表れる。

目立たず感謝されない役割であっても、神は苦悩を見ておられ、祈りを聞いておられる。それは今も同じだ。人はしばしば自分こそ主役だと思い、思いどおりにならない出来事に意味を見いだせずに立ち尽くす。ヨセフもまた、傷つくこと、人々の噂、将来への不安を恐れていた。だが「恐れるな」という言葉と共に、神は彼の手を取り、守るべき家族と担うべき使命を与えた。同じように、孤独や誤解の中にいる者にも「あなたは一人ではない」と告げられる。

神は関わりのない方ではなく、名もなき日常のただ中に来てくださるインマヌエルとして共におられる。その恵みを覚え、与えられた道を静かに誠実に歩むよう促される。脇役に見える働きも神の物語には欠かせず、派手な言葉よりも従順な一歩が福音を支えると示される。たとえ評価されなくても、神の前での忠実は決して無駄にならない。必ず実を結ぶ。だからこそ、この季節に希望を受け取る。恐れに代えて平安を受ける。最後に祈りで、神が孤独の中にある者を見捨てず招いてくださることに感謝し、インマヌエルの恵みの中で、恐れず歩めるよう願いをささげよう。