2025年06月22日「生き生きとした希望」
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生き生きとした希望
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- 小宮山裕一 牧師
- 聖書
ペトロの手紙一 1章3節~9節
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聖書の言葉
わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。ペトロの手紙一 1章3節~9節
メッセージ
私たちが日常的に抱く希望と、聖書が語る「生き生きとした希望」には根本的な違いがある。天気や試験の合格、病気の回復といった私たちの普通の希望は、外的条件に依存する極めて脆いものだ。期待が裏切られれば簡単に失望に変わり、状況が変われば希望も変わる。良い時には明るく、困難が来れば暗い絶望に包まれる。
イエスの弟子ペトロが苦しみの中にいる人々に送った手紙は、まず神への賛美から始まる。これから語る希望が人間から出たものではなく、神から与えられるものだからだ。人間的な希望は下から上へ向かう。私たちの願いや期待が出発点となる。しかし神的な希望は上から下へ降りてくる。神の性質、愛、約束が出発点となって私たちに与えられる。
「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ」とあるように、希望の源泉は新生にある。新しく生まれるという概念は当時の流行語でもあったが、聖書が伝える新生は自分からのアクションではない。神が実際に私たちを内側から全く新しい存在に変えてくださる。赤ちゃんが母親の胎内から全く新しい環境に生まれ出るように、神の新生も破壊的ではなく、より豊かで充実した存在への移行だ。過去がどうであれ、現在がどのような状況であれ、神の憐れみによって全く新しい人生が始まる。古い価値観、恐れ、絶望から解放され、新しい視点、力、目的を持った存在に変えられる。
この希望が「生き生きとしている」理由は、キリストの復活に根ざしているからだ。生きているものは成長し、変化し、影響を与える力を持つ。死んでいるものは静的で腐敗し、最終的に消え去る。死は人間にとって最後の敵であり、どんな美しい希望も夢も、死という現実の前では色あせてしまう。しかしキリストは死を打ち破った。これは歴史の中で実際に起こった出来事だ。空の墓、弟子たちの証言、初代教会の急速な成長、殉教者たちの勇気がその事実を物語る。復活は単なる蘇生ではなく、死そのものに対する根本的な勝利だった。死さえも最終的な障害でないなら、私たちが今直面している困難や絶望的状況も決して最終的なものではない。経済的困窮、人間関係の破綻、健康問題、将来への不安、これらすべてが一時的なものに過ぎない。キリストの復活は、どのような闇の中にも必ず光が差し込むことを保証している。
私たちは神の力により信仰によって守られている。これは軍事的要塞のような保護だ。厚い城壁、深い堀、武装した兵士たちによる圧倒的な防御力によって保護されている。そして、この保護は複雑な理論の理解ではなく、神の愛と約束に対する素直な信頼である信仰によって実現する。
現代は視覚的な時代だが、人生の最も大切なものは目に見えない。愛、喜び、平安、希望、勇気、これらなしに私たちは生きられない。神への信仰も同じで、見えない方を信じる時、「言葉では言い尽くせないすばらしい喜び」が心に満ちあふれる。
この喜びは状況に左右されず、外的条件が変わっても揺らがない。神との関係から生まれ
る喜びは、神の愛が変わらないように永続的だ。信仰は種のようなもので、小さく見えな
いかもしれないが、時間と共に成長し、やがて豊かな実を結ぶ。
この「生き生きとした希望」は努力して獲得するものではなく、神の豊かな憐れみによる贈り物。子この希望は決して失望させることがない。永遠に生き続ける神ご自身に根ざしているからだ。