2025年04月27日「将来と希望を与える神」
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将来と希望を与える神
- 日付
- 説教
- 小宮山裕一 牧師
- 聖書
エレミヤ書 29章4節~14節
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聖書の言葉
「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしは、エルサレムからバビロンへ捕囚として送ったすべての者に告げる。家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。妻をめとり、息子、娘をもうけ、息子には嫁をとり、娘は嫁がせて、息子、娘を産ませるように。そちらで人口を増やし、減らしてはならない。わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから。
イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。あなたたちのところにいる預言者や占い師たちにだまされてはならない。彼らの見た夢に従ってはならない。彼らは、わたしの名を使って偽りの預言をしているからである。わたしは、彼らを遣わしてはいない、と主は言われる。
主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう、と主は言われる。わたしは捕囚の民を帰らせる。わたしはあなたたちをあらゆる国々の間に、またあらゆる地域に追いやったが、そこから呼び集め、かつてそこから捕囚として追い出した元の場所へ連れ戻す、と主は言われる。エレミヤ書 29章4節~14節
メッセージ
私たちは不安定な時代を生きている。世界には紛争や経済の不安定さ、環境問題などがあり、個人の生活でも仕事、家庭、人間関係の悩みを抱えている。「この状況はいつまで続くのか」「本当に希望はあるのか」と、心の奥で揺るがない希望を求めている人は少なくない。
今日はエレミヤ書29章4-14節から、「将来と希望を与える神」について考えたい。この箇所は約2600年前、バビロン捕囚という深刻な状況の中にあったイスラエルの民に宛てられた手紙だ。
当時の人々は故郷を追われ、異国の地で、言葉も文化も違う環境で暮らしていた。神殿は破壊され、いつ帰れるかも分からない状況で、深い絶望と悲しみの中にいた。そのような中、神は彼らに「家を建てて住み、園に果樹を植え、その実を食べなさい」と命じられた。これは現実逃避ではなく、与えられた場所で根を下ろし、日常を営むように促す言葉だった。
さらに神は「わたしがあなたたちのために立てた計画をよく心に留めている。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」と語られた。「計画」はヘブライ語で「マハシャバー」、熟慮された設計図を意味する。「将来」は「アハリト」、最終的な良い結末を示す。「希望」は「ティクヴァー」、語源は「綱」「ロープ」で、神に堅く結びつける確信に満ちた期待を表す。
神の約束は「バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる」という具体的なもので、実際に紀元前538年、ペルシャ王キュロスによる解放令で歴史的に成就した。しかし、その完全な成就はイエス・キリストにおいてなされる。
キリストは私たちの罪と弱さを十字架で引き受け、三日目によみがえられた。この復活が「将来の栄光」の確かな保証であり、聖霊によって私たちはキリストと結び合わされ、希望を持って生きる民となる。
聖書の希望は根拠のない楽観主義ではなく、キリストの十字架と復活という歴史的事実に根ざしている。キリストこそが私たちの「将来(アハリト)」であり、「希望(ティクヴァー)をつなぎとめる錨」なのだ。
現在の苦しみは時に重く長く感じられるが、将来の栄光はそれと比較にならないほど偉大だと聖書は約束している。この希望があるからこそ、与えられた場所で生活を営み、周りの人々の平和を祈りつつ、来るべき栄光の日を待ち望むことができる。
神は今も私たち一人ひとりに「わたしは、あなたのために立てた計画をよく心に留めている。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」と語りかけておられる。この確かな約束に立ち、揺るがない希望をしっかりと握りしめて共に歩んでいこう。