2025年01月26日「互いにもてなしあう教会」

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互いにもてなしあう教会

日付
説教
小宮山裕一 牧師
聖書
ペトロの手紙一 4章7節~11節

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聖書の言葉

万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。不平を言わずにもてなし合いなさい。あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。語る者は、神の言葉を語るにふさわしく語りなさい。奉仕をする人は、神がお与えになった力に応じて奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して、神が栄光をお受けになるためです。栄光と力とが、世々限りなく神にありますように、アーメン。ペトロの手紙一 4章7節~11節

メッセージ

ペトロの手紙第一4章7節から11節は、私たちがどのように教会を形作り、互いに支え合って生きるべきかを示す大切な箇所である。「万物の終わりが迫っています」という力強い宣言に始まり、祈り、愛、もてなし、そして賜物の管理を通して神の栄光を現すよう勧めている点が印象的である。

 まず、「万物の終わりが迫っている」という言葉は、当時迫害や内部の混乱に苦しむ教会に向けられた切実な呼びかけであった。しかしペトロは、この終末観をいたずらに恐怖を煽るのではなく、かえって私たちの視線を神の永遠へと向けさせるために用いている。すべては神の栄光へと完成される、という希望を見つめながら、日々の生活の優先順位を見直し、祈りを中心に据えるようにと促すのである。思慮深く身を慎むこともまた、祈りの生活を整えるために不可欠な姿勢とされている。

 次に、ペトロは「何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい」と強く勧める。「愛は多くの罪を覆う」という言葉は、私たちが互いの過ちや弱さを赦し合い、共同体の平和と一致を保つことの重要性を示している。ここで言われる愛は単なる感情にとどまらず、具体的な行動を伴うものである。特に、初代教会で大切にされた「もてなし」は、旅する信徒を受け入れ、生活の必要を満たし合う具体的な愛の実践であった。安全や経済的余裕が乏しかった時代、もてなしは教会の一致と証しを支える柱だったのである。

 現代の私たちも、新来者への配慮や互いに開かれた態度を通して、同じ精神を生かすことができる。もてなしは単なる儀礼ではなく、神の家族として互いを迎え入れ、相手の必要を理解しようとする姿勢に基づく。その土台に祈りがあり、具体的な行いの背後には「愛が罪を覆う」という福音の真理がある。

 また、ペトロは「それぞれが授かった賜物を用いて仕え合いなさい」と勧める。私たちは神から多様な賜物を与えられ、それを善い管理者として活かす責任を負っている。語る奉仕は神の言葉にふさわしく、行う奉仕は神の力に依存して行うべきだという指針は、すべての行動が人間的な力ではなく、神の豊かな恵みによって支えられることを示している。ここにおいて重要なのは、どのような賜物であろうと、それが自己満足や名誉心のためではなく、教会全体の益と神の国の前進のために用いられるという方向性である。

 最後に、「栄光と力とが、世々限りなく神にありますように」という頌栄に示されるように、万物の終わりが近づく中で私たちが成すこと、互いに愛し合い、もてなし、賜物を用いて仕え合うことのすべては、最終的に神の栄光へとつながっていく。祈りと愛を土台として、人々を受け入れる教会の姿は、神の恵みをこの世に示す大切な証しとなる。「互いにもてなしあう教会」とは、たとえ困難な時代にあっても永遠の希望を見つめ、神の国の完成を待ち望みながら、神の愛を具現化していく共同体である。