2019年11月24日(日) 日曜朝の礼拝「足のチリを払い落して」

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2019年11月24日(日) 日曜朝の礼拝「足のチリを払い落して」

聖書は新約聖書「使徒言行録」 13章42節から52節。

ピシディアのアンティオキアにおけるパウロの説教は、大きな結果をもたらしました。「人々は次の安息日にも同じことを話してくれるようにと頼んだ。集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神をあがめる改宗者とがついて来たので、二人は彼らと語り合い、神の恵みの下に生き続けるように勧めた」(42,43)。
 「生き続けるように」とは、もともと「とどまる」という語を意訳したものです。生涯キリストのもとに「とどまる」ことこそ重要です。
 では、次の安息日はどうだったのでしょうか。「ほとんど町中の人が主の言葉を聞こうとして集まって来た」のですから、熱気は続いていたのです。 「しかし、ユダヤ人はこの群衆を見てひどくねたみ、口汚くののしって、パウロの話すことに反対した。」今日の教会であれば、大勢の聴衆に大喜びするはずですが、パウロの話に反対したのです。不思議な話しです。
 なぜ変わってしまったのでしょうか。聖書が書いているとおり、パウロの説教を聞きに大群衆が集ってきたのを見てひどくねたんだからです。ねたむとは「他人の長所や幸福をうらやみながら、悔しがり、憎むこと」です。「ねたみ」は神の恵みを無にしてしまう、すなわち一週間前の熱狂を冷やしていまうほどの悪なる力を持っています。福音や神の恵みから人を遠ざけるものは、自分の中にあるこのような弱さや罪のなのではないでしょうか。。
 このユダヤ人の拒絶にあうと、パウロは「わたしたちは異邦人の方に行く」と宣言しました。これこそ異邦人の使徒とされたパウロの使命です。
 ただし、パウロが「神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている」と語ったからといって、ユダヤ人全体が永遠の命に値しない者になったとか、パウロはユダヤ人を見捨てて異邦人に向かったと考えるのは間違いです。
この町の、パウロを拒否したユダヤ人に向けて語っただけのことです。
 それゆえ、次に訪れた町、イコニオンでは「パウロとバルナバはユダヤ人の会堂に入って話をしたが、その結果、大勢のユダヤ人やギリシア人が信仰に入った」(14:1)と書かれています。パウロは、どこに行ってもまずユダヤ人に福音を語ることを忘れません。

毎週日曜は礼拝の日

日本キリスト改革派 東京教会では毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は毎週水曜日に開かれる聖書研究会&お祈り会がお勧めです。

日曜礼拝
毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
日曜夕の礼拝
午前16時00分~17時00分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
聖書研究会&祈祷会
毎週水曜日 19時00分から20時00分
こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。