2019年11月17日(日) 日曜朝の礼拝「救いの言葉」

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2019年11月17日(日) 日曜朝の礼拝「救いの言葉」

聖書は新約聖書「使徒言行録」 13章13節から41節。

本日のピシディアのアンティオキアでのパウロの説教は、はじめて記されたパウロの説教です。
聴衆は「イスラエルの人たち、ならびに神を恐れる方々」です。神を恐れる方々とは、割礼を受けてユダヤ人すなわちユダヤ教徒に正式になったわけではありませんが、ユダヤ人の会堂・シナゴーグに出入りし、ユダヤ人と同じように律法を守って生きようとする異邦人を指します。
 パウロは、ユダヤ人と神に近づいてきたこの異邦人とを区別せず、「この救いの言葉はわたしたちに送られました」(26)と語っています。ユダヤ人と異邦人の区別のない「わたしたち」です。教会の世界宣教は、すべての人が等しく隣人であり、救いのみ言葉を聞く者はすべてが「わたしたち」であるという認識があって行えることです。
 同胞と異邦人とを峻別してきたユダヤ人の中のユダヤ人、元パリサイ人パウロの説教として聞くと、あまりの変貌ぶりに驚いてしまいます。復活のイエスに出会うこと、あるいはイエスとともに生きることがどれほど人を変えてしまうのかということがよくわかります。区別・差別のない人間理解です。
 パウロは、キリストの死と復活により、神がキリストを神の国のまことの王として即位させたことを、詩編第二編の「あなたは私の子、わたしは今日あなたを産んだ」を引いて語っています。ここには「産む」という漢字が使われていますが、出産は命がけです。キリストの即位は、父がみ子の命を十字架にて奪うこと、キリストの側からいうなら、命をささげることを経てなされました。「産んだ」との漢字こそピッタリです。
 このパウロが説教の終わりで強調したことは、ダビデでさえ朽ち果てたのに(36)、復活のキリストは決して朽ち果てることがないということです(37)。罪と死を、義なる人の十字架の死によってを克服したのですから、キリストご自身にとっても、キリストのものとされたわたしたちにとっても、朽ち果てるといる最後はなくなったのです。
 

毎週日曜は礼拝の日

日本キリスト改革派 東京教会では毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は毎週水曜日に開かれる聖書研究会&お祈り会がお勧めです。

日曜礼拝
毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
日曜夕の礼拝
午前16時00分~17時00分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
聖書研究会&祈祷会
毎週水曜日 19時00分から20時00分
こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。