クリスマス・チャペルコンサート・メッセージ「Amazing Grace」

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クリスマス・チャペルコンサート・メッセージ「Amazing Grace」

クリスマス・チャペルコンサートには80名を越える方々が足を運んでくださいました。心に直接響いてくるような中村さんのやさしい歌声に包まれて、一同心満たされる思いになりました。

クリスマス・チャペルコンサートには80名を越える方々が足を運んでくださいました。心に直接響いてくるような中村さんのやさしい歌声に包まれて、一同心満たされる思いになりました。素敵なクリスマスコンサートをありがとうございます!

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ショートメッセージ「Amazing Grace」 吉岡契典牧師

 今日は、こんなに沢山の方々がこの教会に集まってくださり、中村さん、渡辺さんの素晴らしいコンサートを通して、クリスマスの喜びを御一緒に味わうことができますことを、本当に嬉しく思っております。今日お越しくださった皆様方、御一人御一人に、心から感謝いたします。
 そして今日は、皆様が教会に集まってくださったせっかくのこの機会ですので、少しの間、この聖書が語っておりますクリスマスの意味を、皆様にお伝えさせていただいて、この今年のクリスマスを、普段よりもより一層、豊かなクリスマスの時として、御一緒に迎えさせていただきたいと願っております。
 先程、中村さんがアメージンググレースという歌を歌ってくださいました。これは今から200年以上も前にできた歌で、日本でもとても有名な歌です。クリスマスの時によく歌われるように思いますが、しかし元々は、特別クリスマスのための曲、という訳ではないようです。

この歌は、イギリス人の船乗りだったジョン・ニュートンという人が作詞をしました。ジョン・ニュートンは、アフリカの黒人を拉致してアメリカで売りさばくという、奴隷貿易に手を染めた、奴隷船の船乗りでした。彼は熱心なクリスチャンの母の元で育てられたのですけれども、久しく神様に祈ることさえも忘れて、同じ人間である黒人を、まるで家畜のように扱って、航海中に、なんと船の中で飢え死にさせるような、そんな環境に彼らを置きながら、それを当然のことのようにして繰り返し行なって、利益を得ていたそうです。
 けれどもある時、彼が船長として乗り込んでいたその船が嵐に遭い、難破しそうになりました。そしてその時、彼は初めて心の底から神様に、祈ったのだそうです。そして船は奇跡的に荒らしを抜けて、彼は生還することができました。そして彼は、そのあと牧師になって、この曲を書いたのだそうです。

Amazing grace!「驚くような、びっくりするような、素晴らしい恵み、あるいは、目覚ましい、不思議な恵み。」彼はこのAmazing Graceという言葉に、「自分は、神様に捨てられていなかった!」というこの喜びを込めました。
今まで悪いことを繰り返してきた。神様のことなんか考えもしなかった。そういう意味では、嵐の藻くずと消えて当然の、こんな私が救われた。こんな自分の祈りも、神様は聞いてくださった。「神様っ、こんな私でも、赦してくれるのですね。こんな私でも、生きていて良いのですね。本当に驚くべきあなたの恵みに、心から感謝します。」このジョン・ニュートンの思いが、今もこの歌を通して、同時に沢山の人の思いとなって、歌われ続けているのです。

 そしてこのクリスマスに起こったことも、根本的には同じ事柄だと思います。神様は私を捨てていなかった。私は神様にあきらめられて、捨てられて、愛想を尽かされているのではなかったという驚き、これがクリスマスにはあります。
 普通、神様とはどこにいらっしゃるのかというと、神様は神様ですから、偉い方ですから、天にいる。上にいる。そして上から、下にいる私たちを見下ろしているのだと思います。それが、普通神様の立ち位置です。ですから、その、上にいる神様に会うためには、その神様の恵みを得るためには、普通だったら何か、私たちがお祈りするなり、神様に認められるような、良いことをするなりして、その神様のいるところに、私たちが昇っていかなければならない。神様のことを考えもしないような状態でしたら、仏教で言えば念仏を唱えもしないような毎日でしたら、その人にとって神様は遠い存在になるのだと思います。
 けれどもこのクリスマスには、Amazingな、見たことも聞いたこともないような、不思議なことが起きました。クリスマスには赤ちゃんが生まれました。しかも、暗くて、臭くて、汚い、およそ、誰もそこで子供が産めるとは考えないような、宿屋の裏にある小さな馬小屋で、男の子が生まれた。そこには医者も居なかったばかりか、ベッドもありませんでした。ですので、馬がそこに鼻をつっこんで草を食べる、そのわらの入った飼い葉桶に、その赤ちゃんは寝かされていました。そして聖書には、この人間として生まれた赤ちゃんが、同時に神の御子だったと書かれています。
 とても信じがたい話しです。嘘みたいな、天地が逆さまになって、私たちが普通考えている人間と神様の関係が逆転するような、上下が逆になるような話しですけれども、クリスマスに起こった事は、こういうことです。

 私は、なぜか、クリスマスのことを考えるときには、いつも、大きなシャベルカーをイメージしてしまいます。大きなシャベルで、地面の奥深くまでを、根こそぎえぐって、力強く上に持ち上げていく、あのシャベルカーです。
 シャベルカーのシャベルは、そこにある土や岩を根こそぎすくい上げるために、地面の一番下の、地中奥深くまで届くのですが、主イエス・キリストの馬小屋での誕生は、それに似ています。人間なら誰も生まれないはずの、本来ならそこで馬が生まれるはずの、小さな馬小屋で、神の御子が生まれた。このクリスマスの出来事を通して、神様の救いのシャベルが、私たちの、私たち全人類の、下の下まで、グッと入ってきたのです。そしてイエス・キリストは、そこから全人類を、根こそぎ救い上げてくださるのです。
 この神様は、御自分から私たちの足もとに下がってきて、私たちの下に潜り込んできてくださる神様です。ですからこの神様は、どんなに御自分から離れている人のことも、どんなに自分は、神様なんかとは関係ないと思っている人のことでも、どんなに取り返しの付かないことをしてしまったと嘆いている人のもとにも、そして自分は全く独りぼっちだと、自分には価値がないと思っている人の所にもしっかりと届いてきてくださる神様。決して見捨てない。ちゃんと見ていて、愛してくださる神様です。私たちの頭の上から、「お前たち、グズグズしてないで、しっかり立ってここまで上がってこい」とは言わないで、下の下から私たちを支えて、大丈夫だと、あなたは一人ではないと、わたしのもとで休みなさいと、赤ん坊の優しい姿で近づいてきてくださる神様です。
 神様が遙か天国から、この地上に手を伸ばして、私たちの所に御自分から降りてきてくださった。だから私たち人間は、この私たちの世界は、見捨てられていない。捨てたもんじゃない。この喜びが、聖書が語るクリスマスには溢れています。
 Amazing graceという歌は、もともとクリスマスの歌じゃないと言いましたけれども、でも私は、このクリスマスにこそ、この歌を喜んで歌いたいです。しかも私は、この歌を、このクリスマスに、この自分に対しても起こっている、神様からの「驚くべき恵み」。これを祝う歌として、歌いたいと思います。

毎週日曜日は礼拝の日

仙台カナン教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。

日曜日 朝の礼拝
午前10時30分~12時00分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
水曜日 祈祷会
14時00分から15時30分
こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。

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