今日の御言葉383 2026.5.13(水) 主は幸いをも、災いをもくだされる
ゼファニヤ書 1章12節
「その時が来れば
わたしはともし火をかざしてエルサレムを捜し
酒のおりの上に凝り固まり、心の中で
『主は幸いをも、災いをもくだされない』と
言っている者を罰する。」 ゼファニヤ書 1章12節
ゼファニヤは紀元前七世紀前半、ユダのヨシヤ王の時代に預言しました。主は全世界に、また神の都エルサレムがあるユダに対して厳しい審判の言葉を告げられます。「主の憤りの日」(1:18)が来る前に主を求めよ、と警告します。しかし人々の内には「主は幸いをも、災いをもくだされない」と言う者がいたのでした。
悔い改めないならば主が災いをくだす、という預言者たちの警告に対して、それは起こらないという人たちは、心が凝り固まって鈍感になり、頑固になり、神は自分たちと世界に対して何の力も発揮しない、と思い込み、偽りの安心感に浸っています。神の御言葉を聞いてきたはずの民がそのような有様でした。
今日、形を変えてこのような考え方は世にはびこっています。幸いも災いも神とは無関係であり、そもそも神など存在しないのだ、と。人は災いが降りかかると、神がいるならなぜこのようなことが起こるのだ、と疑問を投げかけます。しかし、幸いが与えられてもそれを神に感謝したりはしないのです。これは堕落した状態にある全ての人間が持つ罪のゆえです。凝り固まった人の心を解きほぐせるのは、厳しい審判を語る主のみです。主は民に幸いを与えることを望んでおられるからです(エレミヤ7:23)。
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