この聖句と同じ内容の言葉をパウロは既に1:17で書いていますが、6:16は「不滅」を「不死」と言い換え、「近寄り難い光の中に住まわれる方」という一句を加えています。
神がどんな方かという質問に対する答えとして、愛と憐れみと慈しみに満ちたお方である、という面と、永遠で不滅、不死の存在である、という面があります。1:17と6:16の二ヵ所は、神という方の、他のものにはない際立った御性質を示しています。愛に満ちた方であっても、それが一時的なもので永遠にそれを保てないなら、実に頼りない存在だと言えますが、神は永遠に不滅の、不死の存在としてご自身を保つことができるお方です。
また、近寄り難い光の中におられる、となると私たち人間との大きな隔たりを感じさせられます。近寄り難く、畏れ多い思いです。とても人間はその前に出ることなどできないと。
しかしその神様が、人間をご自身のかたちに似せて造られたのですから、大変驚くべきことです。人間には初めがあり、この世での命には限りがあります。それは人間が罪を犯して堕落したためですが、その人間を永遠に生かそうと神はお考えになったのでした。そのために近寄り難い光の中に留まっていないで、人間の罪を償って赦し、救うためにこの世に姿を現してくださったのが、永遠の神の独り子、イエス・キリストだったのです(ヨハネ1:18)。