「すると彼女は言った。『わたしがあなたに子供を求めたことがありましょうか。わたしを欺かないでくださいと申し上げたではありませんか。』」 列王記下 4章28節
ある裕福な夫人が預言者エリシャと親しくなり、彼のために小さな部屋を作り、町での滞在中はそこに泊まれるようにしました。
エリシャは感謝を表したくて何か望みはないかと尋ねますが彼女は何不足ないと答えます。しかし彼女に子供がないことを知ったエリシャは、来年彼女に男の子が与えられると告げ、その通りになります。ところが成長したその子はある日、急死してしまい、母親は従者と共にエリシャのもとに行きます。彼は子が死んだことを知りません。その時に彼女が言ったのが上の言葉です。
彼女は子供の誕生を喜んだでしょうが、死んでしまったので、子供がいなければこんな悲しみを味わうこともなかったのに、と思ったわけです。喜びが深い悲しみに変わり、「欺かれた」という気持ちになったのでしょう。この後、エリシャが彼女の家に駆け付け、子どもは生き返ります。それ自体は特殊なことです。
大事なものが失われるという悲しみに突き落とされる。結局、この世では最後はそうなります。いずれは人も自分もこの世から消え去るという虚しさを感じます。しかし命の主である神は、一時的な喜びを私たちに与え、結局は取り去って私たちを欺こうとしておられるのではありません。与え、奪う主を信じ(ヨブ1:21)、命の主なるイエスにより頼むなら私たちの一生は決して虚しくはありません(ヨハネ11:25,26)。そして主にあっては、この世で与えられた命は心から喜べるのです(ヨハネ16:21)。
【引用聖句】
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。
主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」ヨブ記1:21
→「今日の御言葉261」(2024.1.10)
「イエスは言われた。『わたしは復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。』」 ヨハネによる福音書11:25,26
→「今日の御言葉125」(2021.6.29)
「女は子供を産むとき、苦しむものだ。自分の時が来たからである。しかし、子どもが生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない。」 ヨハネによる福音書16:21
→「今日の御言葉278」(2024.5.8)