今日の御言葉384 2026.5.20(水) 聖霊によらねば誰もイエスは主である、とは言えない
コリントの信徒への手紙一 12章3節
「ここであなたがたに言っておきたい。神の霊によって語る人は、だれも『イエスは神から見捨てられよ』とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです。」 コリントの信徒への手紙一 12章3節
神の霊とは聖霊のことです。主イエスは弟子たちに、父なる神が聖霊を遣わしてくださると、弟子たちにすべてのことを教え、イエスが話したことをことごとく思い起こさせてくださる、と言われました(ヨハネ14:26)。
弟子たちは目の前で語られた主の御言葉を理解できないことがありましたが(マルコ9:32等)、聖霊が降られることによって、初めて主イエスの御言葉と御業の意味がわかったのでした。
聖霊は、主イエスの御言葉と御業の意味を悟らせてくださいますが、最も重要なお働きがあります。それは私たちが、主イエスを自分の主であると告白できるようにしてくださることです。
イエスがなさったことについて、聖書に書かれていることの意味はこうです、と教えられれば、人はそれを知識として知ることはできます。しかしそのイエスが自分のために十字架にかかってくださり、神に対する罪の償いをしてくださったのだ、ということを信じて初めて、私たちは「イエスは私の主、救い主です」と告白できるようになるのです。
聖霊がいつそのように教えてくださったのか。それが特定できなくても、イエスは私の主である、と言えるならそれは聖霊が悟らせてくださった確かな結果で、その信仰は神から来たものです。だから信仰による救いは神の賜物なのです(エフェソ2:8)。
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