2026年06月21日「全能の主に対する信仰」

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全能の主に対する信仰

日付
説教
久保田証一牧師
聖書
ルツ記 1章1節~22節

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 「主の御手が私にくだされたのですから」ルツ記1章13節日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ルツ記 1章1節~22節

原稿のアイコンメッセージ

 ルツ記は、モアブの女性ルツとその姑であるナオミの物語です。時はイスラエルに王国が立てられる前、さばきつかさとも訳される士師が世を治めていた頃のことです。今から三千年以上の昔のことです。短いけれども、信仰により歩む二人の女性の姿が美しく描き出されている旧約聖書の一巻です。

1.主が顧みてくださる中で生きる
 飢饉のためにユダのベツレヘムからモアブの野に移り住んだのがエリメレクとナオミ、そして二人の息子たちでした。息子たちはそれぞれモアブの女性と結婚しましたが、エルメレクは既に亡く、ナオミは二人の息子たちにも先立たれました。飢饉が終わったので、故郷に帰ろうとするナオミと二人の嫁はベツレヘムへ向かいます。その途中、ナオミは二人の嫁に、自分たちの故郷へ戻るように勧めます。そしてオルパは帰り、ルツはナオミと一緒にベツレヘムへやって来たのでした。
 今日読みました一章には、ナオミとルツの、信仰を持つ人らしい発言がいくつかあります。信仰を持つ人らしいというのは、自分の身に起こったことを神の御手の下にあるものとして受け止めようとする心で見ていくということです。自分にはその出来事等の意味や目的が良くわからないけれども、神への信仰を捨てようとはしないのです。
 まず、ナオミがベツレヘムに帰ろうと考えた理由は、主がその民を顧みて食べ物をお与えになったことを聞いた、という点にありました。イスラエルの人々に現れてくださった主を神として信じ従う者は、神がおられて人の世を導き、働きかけておられることを信じますが、その際、主を信じて歩む者のためには、神は何でも良いことをしてくださって、困った状況に追いやるようなことはない、と考えているわけではありません。主なる神は憐れみを人に与え慈しみを垂れてくださるのですが(8節)、同時に人に御手を下されることもあります(13節)。

2.主の御手が私に下された
 御手を下されるというのは、裁きや懲らしめとして人に対して神が下されるものです。ナオミの場合、夫も二人の息子たちも共に死んでしまったことがそれでした。この世に生きる人間として、誰が見ても悲しむべきことが起こり、不幸に突き落とされている、と多くの人は感じるのではないでしょうか。そういう中、神を信じない人々の間では何か不幸と思われることがあると、運が悪い、巡り合わせが悪かった、などと言って受け止めるしかありません。
 しかしここではナオミは、聖書の中で登場する人物に共通であるように、すべてのことは神の御手の下にあると信じています。そして自分の身に降りかかってきたことは主がそのようになさったのだ、とわかっているのです。
 ではルツはどうでしょうか。彼女はモアブの女性であってイスラエル民族とは親戚関係にあります。アブラハムの甥のロトの子孫にあたるのがモアブとアンモンの人々です。血筋から言えば本当に近いのです。しかし主がモーセにお与えになった律法によると、「アンモン人とモアブ人は主の会衆に加わることはできない。十代目になっても、決して主の会衆に加わることはできない」と命じられています(申命記23章4節)。それは、イスラエルの人々がエジプトから脱出してきた時、彼らが旅路で歓迎せず、逆に呪いをかけようとしたためです。その際、主は言われました。「あなたは生涯いつまでも彼らの繁栄や幸福を求めてはならない」と(同7節)。ルツはそういう民族の出身なのでした。でも彼女は、ナオミの信仰によってイスラエルの神を知り、自分もナオミと同じ主を信じるようになりました。モアブ人もアンモン人も、イスラエルの親戚とはいうものの、それぞれの神々を拝むようになっていたのです。
 ルツは、もし自分がナオミから離れるようなことがあれば、自分を罰してくださいとまで主に述べています(17節)。自分の故郷を離れて異国へ行くことは、たやすいことではないでしょう。ましてルツの場合、自分の夫は既に世を去っていて、姑しか生き残っていない中で、移り住んでいこうとしているのです。しかしイスラエルの神を信じるということは、天地の主である神を信じることであり、この主は私たちがどこの国に住んでいようが、どこの国の出身であろうが、そういうことに拘わらず主であられます。ルツにはその信仰があったのです。

3.全能者が私を不幸に落とされたのに
 こうしてナオミとルツはベツレヘムにやってきました。ナオミは戻ってきて、ルツは異国の地へ移り住んできました。ナオミという名は「快い」という意味があるのですが、ナオミは自分のことはマラ、即ち「苦い」と呼んでくださいと町の人々に願います。その理由は、全能者つまり神が、自分をひどい目に合わせたからだ、というのです。大きな苦しみを与えた、とも訳されます。全能者が私を不幸に落とされた、という言葉も、災いを与えた、辛い目に遭わせた、と訳されます。ナオミの言葉は一見すると恨み節のように聞こえてきます。自分をこのように苦しめるのは全能者であられる。ナオミはそのことは良く分かっています。今の自分の境遇は、全能者であられる神の御手によるものだから、それは受け止めるしかない、という信仰はあります。しかしこのルツ記をずっと読んでいくとナオミのたくましさも感じます。ルツがこの後登場するボアズとつながることを願い、そのために働きかけることをします。ナオミは全能者のすることだから、と言ってただ忍耐して苦難に甘んじているのとは少々違って見えます。全能者なる神のなさることだから、まだ話は完結していないことに思いを至らせていたのかもしれません。
 そしてナオミの信仰は、全能者である神の御手が自分の上にあることを前向きに捉えていたのではないか、と思えます。今日の箇所のナオミの言葉からは悲痛な叫びは聞こえてこないのです。この世でひどい目に遭う、それは人間同士の間の関係によってもたらされることがあります。その極みが戦争です。または自然現象により、災害に遭ったなど。そして伝染病もあります。これらのものが私たち人間を苦しめます。しかし苦しみを与えるのが主であるということは、実は私たちにとっては実はありがたいことです。この世で生きている間に様々な苦しみや悩みが振りかかってきますが全能者が感知していないことで自分に苦しみが襲って来たら、不安になってしまいます。しかしすべてを支配しておられる全能者である神の御手の内で、すべてのことは起こります。ナオミに対するように、主がある人を不幸に落とされた、としか見えないようにする、ということはあるのです。
 ナオミは言っています。主はわたしをうつろにされた。主が私を悩ませた、と。注目すべきは、ナオミは全能者である神が自分を苦しめていると言いますが、だから自分はもう神を信じないとか、神などいない、とは言いません。私たちは、ヨブのように幸福も不幸もどちらも神からいただく、という信仰に立ちます(二章一〇節)。また、この世で自分の人生がどれだけ充実していたか、不幸だったか幸福だったかということに最重要な点があるのではない、と知るようになります。幸福も不幸ももたらせる全能者なる神に対する信仰の道は、単純ではなく深いものです。
 そしてナオミの今後の人生は、モアブの地から連れて来たルツの存在により、変わっていきました。ボアズに出会い、結婚したルツは子供を産みます。その子がイスラエルの王であるダビデの先祖になります(4章17節)。そしてその子孫から救い主イエス・キリストがお生まれになります。ルツの名前がマタイによる福音書のイエスの系図に書かれています。先ほどの申命記23章によれば、モアブ人は生涯主の会衆に加わることはできない、と言われていたのですが、その厳しい決まりごとはいったいどこへ行ってしまったのでしょうか。主の会衆どころか、救い主の系図に連なる者とされたのがルツでした。旧約聖書に記された掟は、地上で永久的に人を縛るのではなく、主の民を阻害したからと言って主の会衆からはじかれていた民であっても、何ら変わることなく救いと祝福の中に入れることができるのが救い主の恵みなのです。主はどこの国の人でも、何民族でも、同じように一人の神の前にいる人間として受け入れてくださる方です。そして一人一人に対する関わり方は違いますが全能者としてすべての人に、すべてのことに関わっておられます。私たちは全能者であり、天地の主である方に従います。私に不幸をもたらし、悩まし、苦しめているように見えても、主が何を用意しておられるかを私たちは知りません。ただ分かっていることは、このナオミのように、一見全能者が苦しめているように見えてもそれが主の最終目的ではないのです。栄光の神の国を用意していてくださいます。地上では、ある忍耐が必要ですが、一時的であり永遠の思い栄光に比べれば軽いものである、とパウロは書いています(Ⅱコリント4章17節)。私たちを造り、命を授けてくださった全能者である主は、御子キリストを私たちに与え、地上の困難や苦しみや悩みや不幸を覆い尽くしてしまうほどの素晴らしい栄光の内に、私たちを迎え入れようとしておられ、そこに至るまでは多少の労苦を地上でお与えになります。しかしそこで忍耐をして待ち望み、信仰に踏みとどまる者を主は喜んでくださり、神の子どもたちの一員として、キリストを長子とする神の家族の内に生かしてくださいます。それは全能者であられる天地の主なる神のみがなせる恵み深い御業です。

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