2026年05月24日「神は新しい命をくださる」

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神は新しい命をくださる

日付
説教
久保田証一牧師
聖書
使徒言行録 11章1節~18節

聖句のアイコン聖書の言葉

 「この言葉を聞いて人々は鎮まり、『それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ』と言って、神を賛美した。」 使徒言行録11章18節日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 11章1節~18節

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 私たちはこの世に生まれてきて、物心つくと、人にも他の生き物にも命が与えられていて、それは一度きりのもので、一度失われたらそれはもう人の力では取り返すことができないということを知ります。だから命を尊ばなければならないということも知るようになります。今日は、私たちに与えられた、生まれながらの命とは別に、神は新しい命をくださる、という聖書の教えを与えられています。

1.ユダヤ人でない者も神の言葉を受け入れる
 神は私たちに命を与え、この世で生きるのに必要なものも造り、与えてくださっています。しかし私たちは必ず死ぬものです。そのような私たちに、神は新しい命をくださろうとしています。そしてそれは今私たちが持っている命に勝るものである、ということもまた教えられています。
 ここに書かれていることは紀元1世紀のイスラエル周辺で起こったことであり、最初の頃のキリスト教会が広がっていく過程の中でのことです。イエス・キリストが十字架にかかって死なれ、そして復活されたことをキリスト教会はイスラエルの中で、まずユダヤの人々に告げ知らせ始めました。しかし、イエスについての良き知らせ、つまり福音は、ユダヤの人々のためだけではなく、世界中の人々に知らせられるべきものでした。一部の弟子たちは、外国人にもイエス・キリストの福音を告げ知らせ始めていたのですが、エルサレムを中心とする教会では、まだまだユダヤ人への宣教、ということに重点が置かれていたのでした。
 しかし、地中海沿いの町カイサリアに住むローマ軍の百人隊長コルネリウスという人のところに神の天使が現れて、彼の信仰と良い業が神に覚えられていることを告げ、ペトロと呼ばれる人を招くようにと命じたのです(使徒言行録10章1~6節)。何を話してもらうためだったかというと、「あなたと家族のすべてを救う言葉をあなたに話してくれる」(11章13、14節)ということでした。ペトロはイエス・キリストが選ばれた十二弟子の一人です。そしてペトロが招かれた時のことがその後10章全体に記されています。それは、神がユダヤ人でない人も神を受け入れて悔い改める人つまり神に立ち帰る人を受け入れて救いに入れてくださる、ということをペトロに示すためでした。

2.神が清めた者は清い
 今日の私たちは、イエスを信じて救われる、とか罪の赦しをイエスによって与えられるといっても、まず罪そのものが良くわからない、何から救われねばならないのか、ということがあるのではないでしょうか。ひどい犯罪に手を染めたことなどなく、いわゆる善良な市民として暮らしていると自分で思っている人々は大勢いるでしょう。それに対して、善良な市民を平気で殺してしまう人たちがいます。最近のニュースではそういう事件をしばしば耳にします。自分が大金をつかみたいために、誰でもよいから殺してしまい、その財産を奪ってしまう。そういう犯罪者たちがこの世にはなくなりません。罪とは、この世の法律で犯罪者として裁かれる人たちが持っているものこそ罪である、という考え方は一般的に世の中にあるかもしれません。或いは、社会の法律に違反していなければ、それでよい、という考え方もあるかもしれません。または、見つからなければよい、と。しかし聖書の示す真理は違います。罪とは神に対して犯されるものであって、それが人の目に明らかになろうがなるまいが、神はすべてを見ておられ、人の心の中にあることもすべては見通しておられます。心に抱いただけの憎しみも悪意も、すべては神の前に明らかであり、罪なのです。
 10章43節でペトロが語っていたのは、そういう罪の問題です。ユダヤの世界では、神が預言者たちを通して御自身の御心を示した十戒に代表される律法を与えられていました。そして、イスラエルの人々は神に特別に選ばれた民であって、他の民族とは違う、という誇りを持っていました。イスラエル人ではない他の民族の人々はそれだけで神に背いている罪深い者だ、という見方をしていました(ガラテヤの信徒への手紙2章15節)。神の律法を与えられて、それに従って生きるように教えられていたユダヤ人は、それだけで異邦人とは区別される聖なる民だと思っていたのです。異邦人も救われたいなら、ユダヤ人になるしかない、とも考えられていました。
 しかし、神の御子イエス・キリストはユダヤ人としてお生まれになりましたが、全世界の人々のための救い主としてこの世に来られました。そしてイエスの十字架の死はすべての人の罪のための償いとしての死であって、イエスを信じる人は、どこの国の人、どの時代の人でも神に対する罪の赦しを与えられる、という福音が告げ知らされたのでした。ところがユダヤの人々にはなかなかこれがすぐにはわかりませんでした。イエスの弟子たちでさえです。それで神は、イタリア人のコルネリウスという軍人のもとに天使を遣わして、ペトロからイエスによる救いの言葉を聞くようにさせ、悔い改めと信仰を与えてくださったのでした。ペトロはこうして異邦人であるコルネリウスの家に招かれました。
 ペトロが異邦人であるコルネリウスの家に行った理由があります。ペトロはある日、我を忘れたような状態になり、幻をみて、汚れた物とされている動物などを屠って食べよ、と命じられたのです。その直後にコルネリウスのもとから来た使いの者から招かれたのでした。そしてペトロは、それは神からの招きであると悟り、コルネリウスの家に赴きました。そうしてイエスによる救いについて語り、イエスを信じる者は誰にでもその御名によって罪の赦しが与えられると語りました(10章43節)。するとその時に、そこにいた一同の上に聖霊が降られたのです。
ユダヤの人々の中には、ペトロがコルネリウスの家に行って食事を共にしたことを非難する人たちがいました。罪深い異邦人と交流することは罪の汚れを受けてしまうから、ユダヤ人は異邦人とは食事をしませんでした。それでペトロはエルサレムに来た時に、彼を非難するユダヤの人々に、事の次第を順序正しく説明したのです(11章4節)。
 ペトロは幻を見た時、汚れた動物などは食べたことがないと言ったのですが、「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない」と天からの声、つまり神から諭されたのです。それでペトロは異邦人であっても、自分たちと同じようにイエスを信じることで救いにあずかれることを悟りました。そして11章15節にある通り、最初聖霊が教会に降ったように(使徒言行録2章4節)、コルネリウスたちの上にも聖霊が降られたのを見ました。
 この時聖霊が降られたことにより、人々はいろいろな言葉を語りだし、神を賛美したのでした。それはこの初代教会に起こった特別な目に見える現象でしたが、それが明らかに神の聖霊が教会に降られたことを人々に示すためでした。確かに神の聖霊がお働きになって、人々を、イエスを信じる信仰に導き、そして罪の赦しと救いを与える、という真理をお示しになったのです。

3.神は誰でも悔い改めに導き、新しい命をくださる
 ところがイエスの弟子たちでさえ、異邦人も救い主イエスを信じるだけで救われるという真理を悟るのには、神から示される必要がありました。そのくらい、ユダヤ人以外の人々は神から遠く離れている、と考えられていたのです。しかし、聖霊が教会に降られたことによって、弟子たちは真理を悟り、異邦人たちはユダヤ人のように律法を知らずにいたとしても、神に対する罪を悔い改めて、イエスを信じるならばそれで罪の赦しが与えられて救いに入れていただける、と悟ったのです。
 この、最初に聖霊が教会に降られたことを「聖霊降臨」といい、キリスト教の用語で「ペンテコステ」と呼びます。それは五十番目の、という意味で、イエスが復活されてから五十日目に起こった出来事だったからです。今年は今日がその日に当たります。聖霊降臨が起こったので、今や世界中のどこの国の人でも、イエスについての福音を聞いて、イエスを自分の救い主と信じるなら、その人は罪が赦され、救われます。そしてそれは、神がユダヤ人以外の人にも信仰と悔い改めを与え、新しい命を与えてくださる、ということなのです(11章18節)。今日、イエスを救い主と信じ、ここで礼拝をしている私たちにも同じように新しい命が与えられています。聖霊は、使徒言行録に書かれているような目に見える仕方では今日降られるわけではありません。しかし、ある人がイエスについての福音を聞き、信じて信仰を告白するなら、それはその人の内に確かに聖霊が働きかけた結果、その人を新しい命に生かしてくださっているのです。その人は新しく生まれた人です。聖霊は目には見えませんが、そのお働きは、確かに信じた人の内にあり、イエスは主である、という信仰へと導いてくださったのです(コリントの信徒への手紙一 12章3節)。そしてさらにその人の信仰を養い、助けと力を与えて、この世での信仰による歩みをお守りくださいます。私たちはそれによって、イエスを信じた者は自分も他の人も、神のものとされたのであり、新しい命すなわち永遠の命を与えられて、やがて最後の時に復活の恵みを与えられる、という幸いをいただいたことを知り、神への賛美に至るのです。私たちが神を賛美するのは、今、私たちの内にイエス・キリストによる神からの救いの恵みが、確かに実現しているからです。

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